◆2009年1月31日(sat) 準備完了

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 いよいよ明日は、FIRSTLIGHTでのワークショップです。

きょう、一緒に版画を教えてくれる時任さんと一緒に会場の壁にライトな感じに版画を展示してきました。時任さんはシルクスクリーンのお花です。わたしは参加するみなさんの参考になるように、ドライポイントの小さい作品を中心に持って行きました。銅版、塩ビ、アルミ板、紙などでドライポイントしたものです。絵をまったく描いたことがない方もいそうなので、参考までに、です。準備万端整い、あしたがとても楽しみです。

 教える、というよりも学びたいと思います。多分。考えてみたら、ヒトに教えるような人間じゃないんです。先生嫌いなのに先生にはなれないですからねえ。でも音楽よりは版画はマシですね。音楽はまったく独自のやり方でやってるので、絶対ヒトに教えることは一生ない・・というか教えるものがないんで、んなわけはないのよね。わたしは孤高が一番イイです、音楽は。版画は時に発見がありまして、その都度「ねえねえ、こんなのできたから見て!」と教えたくなる。ヒトの作品を見てさらに「どうやってやるの?」と疑問に思う。そうやって毎度毎度学ぶ喜びを感じております。だから、ワークショップもしたいと思いました。音楽ではわたしにはそうゆう感覚はほとんどない、というか内に籠って一人で考えるのが良いので、どんどん音楽友達もいなくなりますねえ。わたしが知ってることはなんでもお答えしちゃいますので、聞いてくださいね。わたしも、参加者の方々がなにをしでかしてくれるのか、とっても楽しみにしています〜!

 これから会場で流す曲をCD-Rにしようかなあ、と思ってるんだけど、きょう聞こえていたテリー・ライリーみたいのがよかったので、そうゆうのにしちゃおうかしらね・・・・生でやるとか・・・との意見も出ましたが、やっぱりそこまでは無理なんで断念しております。版画制作の楽しい一日にしたいと思います。どうぞ、よろしくね〜〜〜

あしたできる作品が記念すべき1枚になりますよ〜に

◆2009年1月30日(fri) ニューサレジオの葬列

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Judee Sill
上右1st.『Judee Sill』
上左2nd.『HEART FOOD』
下右1st.と2nd.が入った
『Abracadabra:The Asylum Years』
下左3rd.『Dreams come true』(最近のスリーヴ)


 夢を見た。
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 父のお葬式をするというので、名古屋へ向かう。夜遅くなって、新幹線に乗り込みホッとしたところで、新幹線のチケットを家の机の上に忘れたことを思い出すのだった。二日間徹夜で仕事をしたあとだったので、もう身体はドロドロで、どうでもいいや、と寝てしまう、その寸前に夜のターミナルステーションビルの5Fから手を振る人を発見。ああ、誰か知ってる人だった・・・。名古屋に着くとセピア色の昭和な商店街で、タクシーを待つわたし。そこへ母が場末のいかがわしい女風にクリーム色のシフォンに赤い花柄の細身のワンピースにくわえ煙草で現れて、「あんた、喪服はどうしたのサ、その格好でニューサレジオ教会にいくつもりかい?」と聞く。ああ、そうだった、徹夜仕事でそのまま来てしまったので何も用意してなかったわ、どうしよう、黒の地にバラの模様のこの服ではマズいよねえ・・・・と悩んでいると、タクシーが止まり、中から三沢あけみともう一人女が降りてきた。母が「そうだ!」と言って、三沢あけみに「あなたの喪服を貸してくれないでしょうか?」と頼み込んでくれる。三沢あけみは、快くわたしに喪服を貸してくれて、一緒にタクシーに乗って、ニューサレジオ教会に行く。ニューサレジオ教会は、真っ白で、鐘の下にはステンドグラスが太陽の光を浴びてキラキラと輝いてきれいだった。屋根はなく、広い。お葬式というよりは結婚式のような晴れやかな、そして眩しい空間。わたしは黒のワンピースの喪服を着て、ブーケを持っていた。

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 起きる時にもたくさん断片的な夢を見る。毎晩早寝をしてたくさん夢を見ている。ニューサレジオ、というのがおかしかった。しかし、今朝の夢は何か意味ありげでありました。母から電話が来て、いつも送ってくれる宝の箱の中身について語ってくれた。「それでね、カーディガンが入ってるんだけど、子どもに小さかったら犬に・・・」というところで携帯電話の充電が切れた。犬にカーディガンを着せろって言いたかったのか、ほかの文章が続くのか気になりながらも、そこまでにしておくことにした。三沢あけみはきのうドラマに出ていたから出てきたのだ。

 しばらくずっとジュディ・シル(1944〜1979)の3作品を聞いていたので、彼女のスピリチュアルな部分、教会風なメロディやゴスペル寄りのR&Bピアノなどがグルグルしてしまい、こんな夢を見たのだろうと思う。
 ジュディ・シルは結局デビューアルバムを一番聞いていて、ほとんどの曲が名曲だなあ、と思った。セカンドはやりたいことはいっぱいあって彼女の才能がほとばしっているのだけど、アルバムとしては多分彼女のやりたかったことがうまく昇華しきれずに、最後おもいっきりスピリチュアルな世界にはまり込んで、聴く者をおきざりにし、突き放し、終わってしまった気がする。シルは35歳で波瀾万丈の人生を終え、その後74年にレコーディングされていた曲群が発見されて2005年にジム・オルークがMIXしてリリースされた。その時はこのスリーヴではなくて、インパクトのあるイラストだった。今思えば、あのイラストはなんか違うなあ〜という気がする。リリースされてすぐ、タワーレコードで購入する気満々で1曲試聴したら、う〜ん・・・で、2曲目視聴、う〜ん・・てな具合で結局全曲試聴したあげくに買わなかったんよぉ〜。
  それからしばらくしてからネットラジオでデビューアルバムの中の曲『The Archetypal Man』をたまたま聴いた時に、即買おうと思ったのだった。 曲の展開もバロック調な、カントリー調な感じや終わり方も、声にも独特の魅力があった。3拍子が好きということもあるのだけど、これを聴きながら、わたしは勝手に日本語の歌詞をつけて歌っていて、何を歌っているのかあとで歌詞カードを見て知ったが、そんなにかけ離れてないような感じで、その後もわたしは勝手に日本語歌詞を自分でつけて歌っている。彼女の歌詞は、ポップなものではなくて、自分にしかわからないようなところもあるけれど、わたしはその奥ゆかしさがとてもシックリとする。結局は自分にしかわからないでしょ、やっぱり。
  わたしはライノからの2枚のアルバムが入ってるお得ものを買っています。アサイラムの最初のミュージシャンだからアサイラム・イヤーズなのね。ライブでもギターがうまいなあ。3rd.はようやく最近買ったので、新しいスリーヴになっていて、中にライブの映像も入ってます。やっぱりライブでもうまいなあ。ギターはフォーク&クラシックで、ピアノはゴスペル。わたしはギターの方が好きかな。

 そんなこんなのせいで、教会が出てきたのかなあ。 それにしても、「ニューサレジオ」なんて、ホテルみたいで・・・・すみませんです。
 


◆2009年1月28日(wed) 雪の絵ズラ

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小さい作品『Snow」ドライポイント(withローラー)

 『銭ゲバ』は”ズラ””ズラ”ばかりが残るばかりでうろ覚えズラ。なのに、「アシュラ』は強烈に覚えている。同級生の男の子が授業中ずっとアシュラばかり描いていたからで、それで興味を持つようになった。その頃は多分手塚作品は「三つ目がとおる」をやってたような気がする。兄が手塚モンだけは必ず読んでいたので、わたしも読んでいたんだと思う。これは「ワトさん」が男みたいで好きだった。
 きょう工房でザクロの話をしながらアシュラのことを思い出していた。人肉食い。松山ケンイチ好きなんで、『銭ゲバ』がうれしい。何もしゃべらなっくてもドアップでずっと見ていたいですわ〜(ミーハー)。この顔ならズラズラ言ってもカッコ良くてよズラ〜。アシュラを描いてた子はSくんと言って、天才肌でありました。どうしてるかしら。その親友のHくんのことがわたしは好きでした。Hくんも漫画がうまかったからで、しかも、寡黙。そのうえ、わたしのグリーンのジーンズの唯一の理解者だったからだ。その頃の子どもはジーンズはいてる子は滅多にいなかったのでした。そういえば、きょうもわたしはグリーンだったズラ。
 ジョージ秋山はおもしろいな。「浮浪雲』は漫画もよかったけどテレビも良かった。
 なぜか最近学校の頃を思い出させる話題が多い。学校で生徒の指紋をとった先生がいたって。実はわたしは高校1年生の時に指紋とられたことがあります。ある事件が教室内で起こり、ついに全員が指紋をとる『犯人探し』となりました。勿論その後講堂で父兄&学校側の喧々諤々アリ。結局犯人はあがらず、迷宮入りとなったのでありました。これは朝礼という限られた時間内に教室で何者かによって行われた誹謗中傷事件なのでありました。第一発見者は早く教室に戻ってきたわたしと友人数名でした。見せてはいけないようなことが書かれていた黒板と、模造紙に書かれ教室の壁にズラズラと貼られたものと。思わずみんなが戻ってくる前に、書かれた本人を探してまず見せ、そして黒板を消してしまったんですねえ、わたしは。そして、模造紙も外した。その後延々つづくホームルーム。書かれた彼女は友達だったので、とてもショックでしたが、なにかドラマチックな出来事だったのでした・・・
 その高校時代は西宮北口にいたのですが、最近そのあたりは関西で一番大きいショッピングモールができた、と近所が実家の友人が教えてくれてビックリ。西宮球場のあったところなのかなあ。そこにはシネコンもできたそうで、こけら落としにはキアヌが来たとかで、なぜかわたしはキアヌはタカラジェンヌを見たかなあ?なんてことが気になってしかたがなくなってしまった。西宮北口は宝塚へ行く路線があるわけで、わたしもよくこの駅で阪急線に乗り換えるスッピンでも派手な顔立ちの男役の大きな女の人を何人も見ていたのだ。だからってキアヌが見ることはないかもしれないけどね。ゲイだかゲイじゃないのかもハッキリ知らないけど、ゲイの人はタカラジェンヌはどんな風に見えるんだろうか・・・う〜〜〜ん、複雑〜強烈〜(by ゆってぃ)
 男のナリをしてる女なんだから、やっぱし素敵とは思わないよね。タカラジェンヌは不思議だ・・

 数日前に東京でも雪が降ったらしいけれど、見てない。プーチンの「冬景色」という絵が億で落札されたとかのニュースを片目でチラッと見た時、案外いいじゃん、と思った。よく見てないけどカーテンがかわいかったような気がする。そのむこうにどんな景色が描かれていたのかはほとんど見てなかったのだけど、なんとなく窓の外の雪とカーテンを描く。ボゥ〜〜っとした絵ですが、これはドライポイントという手法だけで作ったものです。シルバー。最後にローラーに暗い紫をまきとってス〜ッところがしてみた。数枚刷ったがどれもみんな違った刷りになってしまったので、すべてエディションナンバーは1/1。
 
 


◆2009年1月27日(tue) 授業

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学校。途中で避難訓練のサイレンが!
わたしは教室に残って一休み・・・で写真を。
「松本先生の版画授業」です。


図工の先生と話し合って、紙版画をすることにしました。これは、デコレーションケーキの箱を利用した紙版画作品です。立派にできるでしょ!

 2月1日の日曜日はギャラリーで版画のワークショップをします。その前に小学校の図工の時間に版画を教えるというありがたいお役目をいただき、きのう行ってまいりました。わたしのようなアウトロー&アウトサイダー女として数十年生きてきたような人間が、人に請われるなんてことがあるということを経験することができたというだけで、生きててよかったなあ、と思うのでした。
  6年生2クラス65名。クラスごとに2時間づつ版づくりの授業を行いました。図工の先生のサポートというかたちですが、見本を見せながら、凸版と凹版の違いの説明からです。

 凸版はだいたい誰でも想像はつくと思います。みんな木版画はやったことがありますもんね。でも、凹版となると、なかなか理解はできにくいですねえ。へこんだ部分のインクがどうして紙にうつるのか、不思議に思っちゃう。だから、その説明をまずはしなくてはなりません。子どもたちの中にはすぐに理解できる子もいます。それはマレなことで、頭をどうひねってもアイディアが何も浮かばない子もいます。実際の版と完成作品を見せたり、触ってもらったりしてみました。ヘレン・ケラーじゃないけど、触ると良くわかりますね。紙版画は、紙の上の層をカッターではがしたり、クギで描画したりして作ります。左の「Snow Wing」はわたしが作った見本です。紙だと自由な形に切れるし、はがした部分は下の層のボソボソとした柔らかな感触が出てやさしい版画になりますね。

 来週はいよいよ刷りに入ります。みんなの作品がうまくできるといいんだけど・・・・プレス機から紙をはがした時に感動の声があがることだけを祈っております。

 授業中突然避難訓練の放送が流れ、先生も生徒も一人残らず校庭に出ていきました。わたし一人教室に残り、ポケットの中のガーナチョコレートを食べながら校庭を眺めておりました。先生の声も生徒の声も聞こえているのに聞こえない。ぼう〜っと何か安心感だけが漂う中、キバの生えたドラえもんを描いてる子の笑顔なんぞを思い、人の心は複雑だ、と思うのでした。
 


◆2009年1月25日(sun) グリーンなこのごろ

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ティアンドのグリーンのフエルトのお花

かとうさんのグリーンの羽根帽子と笑顔の
写真たち


 国立で半日すごす。

 「ゆりの木」で仙川で洋服屋をしている友人かおるちゃんの店茶安土(ティアンド)の展示個展。そして、「亀福」で帽子作家かとうひろみさんの個展。それから最後に、BLUE WILLOWの食器を買ったことがあるアンティークショップへ。

 かおるちゃんは古い友達で、きょうは共通の友達あっちゃんにもここで会いました。ホエ〜、久しぶり〜。サボテン初代ドラマーですぅ。久々といっても、昨年はエヴリン・グレニーのマリンバ演奏を一緒に見にいったんだった。あ、フリスを見にいった話するの忘れた。グレニーはフリスとも一緒に演奏しているパーカッショニストです。ほかにも古い知人に会う。古いながらも、みんなそれぞれ創作活動をしているから、次は何をやるのか、といった話ができて、昔話はほとんどしないのが良いですねえ。かおるちゃんは洋服のデザインをして、売ってます。糸から染めているコットンを使った洋服で、作りが立体的です。今はフエルトのコサージュも作っていて、大きなグリーンのものを買う。最近はグリーンばかりに目が行く。
 「ゆりの木」と「亀福」は同じ通り沿いにあるので、何度も行ったり来たり。かとうひろみさんがそのうちグリーンのコートとバッグで登場。なんというかビックリなのだけど、かとうさんに持ってきたお花にはグリーンのリボンをつけてもらっていたのです。今グリーンだよね。そうなの、わたしもグリーンなの。というわけで、グリーンだらけ。工房の唐津さんも現れて、一緒にかとうさんの個展会場へ。唐津さんは2月と5月にギャラリーハウスマヤで展示があります。おしゃれして会場に立つのがいいよね、ということで帽子を見てました。ベレーがかわいかったです。
 かとうさんはオーダーの帽子を作っています。写真で残しておかないとなくなっちゃうものなので、たくさんたくさん写真をとってます。会場には多くの帽子をかぶった方たちの写真が貼ってあって、それがとても楽しい。みんな帽子をかぶると特別な気分になるようで、笑顔がとっても素敵です。わたしの写真もありました。嬉しいわー
 小鳥がくっついてるアーティスティックな帽子があって、幸福の卵を産んでくれるのよ、っつーことで、この帽子をみなさんかぶって、写真をとってもらいます。かとうさんはチャッチャカ撮っては、その場でプリントして、壁に貼ります。最終日までには幸せな顔の写真が 壁いっぱいになることでしょう。この「亀福」さんは隣が台湾のお茶カフェになっていて、良い香りがしてました。

 アンティークショップではスポードのBLUE WILLOWのカップ&ソーサーが1脚入ってました。が、ちょっとモダンなかたちで、模様もスカスカな感じだったので今回は購入を見送る。でも、たくさんのかわいいものをみてやっぱり楽しかった。カメオもよ〜く見るといいもんだなあ。そういえば、わたしも母からもらったっけ。アレ持ってる人は多いと思うけど、あまり最近みかけないですね。今年のわたしの年賀状はBLUE WILLOWに牛の読書というもので、あまったものを名刺がわりにいつも持っています。このお店のマダムにもお渡ししました。さっそくスポードのカップの後ろにたてかけてくれました。嬉しい。

 

 国立と大森はとっても遠いので、きょうは本を2冊もってでた。1冊は新しい本で、もう1冊は最後の数ページ残っていた「ロッパの悲食記」。この本はロッパの大食いも凄いと思ったけれど、戦前の洋食の素敵さがいっぱい詰まっていて楽しかったしロオマンス〜だなあと感心してしまいました。戦中でもどん欲に洋食をたくさん食べていて凄いな。圧巻は箱根の富士屋ホテルの話だった。

 最近のお笑いのひとたちは売れっ子になってくるとドンドン醜く太っていくよね。あれを見るのがとても嫌なんだけど、やっぱり弟子がいるとか、食通がいるとか、そんなこんなで食事がエスカレートしていくんですねえ。ロッパさんはお坊ちゃんということもあるし、子どものころから老舗料理屋に行っていて舌が肥えている。わたしがロオマンだなあ、と思うのは、戦前は洋食が今のようにアレンジされていないからダイレクトな洋食をしっかり味わっているのですねえ、そんなとこにウットリしちょりました。たとえば、オートミールを普通に食べてる。今日本人でコレを普通に朝食に食べてる人って滅多にいないと思います。それから、ローストビーフを食べる時に「戦前はちゃんとヨークシャプディングがついていたのに、今(戦後)はついてないのが残念だ」なんて書いている。カタカナ表記も「レストオラント」とか「ポタアジュ」とかねえ、シチューは「スチュ」だし、いいねえ。昔の芸人は半端じゃない。富士屋ホテルに一人でフラリと長期滞在して、メニュー全部一度に食べてるんですよ。毎日やっちゃう。それも、味わいながら、なんで、全然下品じゃないのですよねえ。食べ物のうんちくを聞くのは、ちょっとなら楽しいけど、延々する男ほど辟易するやつはいない。ロッシーニのオペラは楽しいけど、この人と一緒に食事したら具合悪くなると思うし。でもロッパさんはそうゆうわけでもなくって、「ギトギトしたもん」とか「濃い味」が好きだ、とか書いていて案外大雑把なところが微笑ましいです。でも、やっぱし糖尿病・・・・・なんてこったい。みなさん糖尿病には気をつけましょうね。本当に大変ですからね。
 この人の本に東京ではすきやきではなくて牛鍋がはやっていた、という記述があり、これはよく昔の本で読むので知ってはいたものの、実際には見たことがないからどんなもんなのかなあ、と想像だけよくしている。で、その話が多いもんだから、牛肉はあまり食べないようにしてるんだけど辛抱堪らんようになってしもて、ついにきのうはすき焼きにしてしもた。神戸の餃子屋や肉饅頭屋の話もあまりにもおいしそうで、元町とセンター街の途中の路地の肉饅頭屋に行きたい・・・・(もうないかもしれないけど)とフツフツと思うのでありました。

ワークショップ参加者定員数になりましたので、締め切らせていただきました。アリガト!


◆2009年1月23日(fri) AmyとJudeeと「TARIKI」

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<最近良くきいてるモン>

Derek Bailey, Amy Denio & Dennis Palmer
『THE GOSPEL RECORD』


ジュディ・シル3rd.
『Dreams come true.』


敬虔なものへの違ったアプローチ

 「TARIKI」五木寛之の著書は親鸞についての本だそうで、たまたまBSでの五木@アメリカの番組で知った。おもしろかった。考えさせられた。不勉強なわたしは五木さんの小説は初期のもの数冊で終わってしまっていたなあ。「五木寛之21世紀仏教の旅/「他力」救いをめぐる対話ーー日本・アメリカ」
  『自分は生き残ってしまったのだという罪の意識(13歳で38度線を越えた時からの意識)。(ーー略ーー)無力感から出発する。(ーー略ーー)影を見つめる。影をみて光を感じる、そこから始まるのだというのがわたしの考え方だ(まさにTARIKIですね)』という五木。日本人には実はこの考え方はよくわかると思うし、わたし自身も(シチュエイションは違っても、やはり罪の意識や無力感というものは抱えている)そうだからなのだが、アメリカ人にとってはそれは理解できるのだろうか?哲学をちょっとでも学んだ人はどうかわからない。そういった考え方はサルトルがしているからだ(わたしのとっかかりは親鸞ではなくてこの人だった)。
  でも、一般的にはどうなんだろうか?明るい力強いアメリカはそういった考え方を受け入れることはできるのだろうか?という疑問はわたしにも漠然とあった。しかし、五木さんがリポートしていたように、911から、アメリカ人にもこの気持ちが理屈ではなく、身体で感じ取ることができるようになったのではないか、ということがよくわかった。愛されてると思っていたら、憎まれていたということを知る。このショック。国・個人変わらず奈落に落とされる感覚だ。
 自分のことを語ればきりがないし、これは自分の心の中におさめることにするけれど、前回のオバマの話ついでに言えば、あの演説にはこのショックから出発するという意味において、TARIKiの考え方を自然に理解できるアメリカになってきたのではないか、と感じたのでした。「責任」ということばと「チャレンジ」ということばにもそれを感じた。27歳のスピーチライターとともに作成したそうで、今朝ラジオでジョン・カビラが「チャレンジ」の使い方について説明していておもしろかった。その使い方は、まさに、光に向かってのチャレンジではなく、影に向かってのチャレンジという一歩ふみこんんだ使い方だったからで、「TARIKI」の番組をそのあと見て、つながった。
 アメリカにある禅寺も興味深かった。住職が英語3つですべて語れるよ、と
「I'm sorry」「Thank you」「I love you」だと言ったのも感慨深いですねえ。罪と寛容と愛。
 愛なんだよね、愛。
  
 就任式で歌ったアレサ・フランクリンはゴスペルもすばらしい。たまたまなのだけど、わたしはここんところはずっとジュディ・シルを聞いていて、ゴスペルではないけれど、バッハのような旋律ときれいで素直な声に聞き入っているのでした。ポップだけれど敬虔な気持ちにもさせられる。
  そしてこれまた、たまたまわたしが一番好きとあからさまに言ってはばからないエイミー・デナイオがデレク・ベイリーともうひとりシンセのデニス_パーマーとやっている「THE GOSPEL RECORD」をずっと聞いている毎日です。全然違うゴスペル。これはおもしろいですー。エイミーはいろんな楽器を演奏するし、食器洗浄機でも音楽を作る人ですが、このアルバムでは歌をうたってます。この人が大好きなのは、とてにかくユーモアのセンスがイイことで、どのアルバムでもキュートな魅力がキラキラとしていて、わたしのツボなユーモアに満ちているのだ。どんなアーティストでも、わたしはユーモアのセンスが良くなきゃ(わたしと合わなきゃという意味)好きになれないのよね。エイミーは声も明るくて好きです。歌い上げたり絶対しないところがイイです。歌い上げるヴォーカルが本当にわたしは苦手です。ジュディ・シルもサラッとしてるところと、朗らかな(人生は波乱に満ちているけれど、それこそ、影があるから光が見えていた人なのだと思うのです)歌い方とメロディが好きなんですよねー。エイミーとベイリーのアルバムはとてもおかしくて、ベイリーさんがエイミーの朗らかな歌の後ろで、どんな顔してギコギコギュエ〜〜〜ッとギターかき鳴らしているのか、想像するだけで笑っちゃうのよねえ〜。きっと、そのベイリーさんの様子を、エイミーも吹き出すのをこらえながら歌っていると思うのよねー。すごくおかしい。

 お正月に特番でノーベル賞をとった ・・・・あ、ここまできて息切れ。これはまたあした。

ワークショップ、あと一人参加できますので、お待ちしてま〜す!



 


◆2009年1月21日(wed) オバマッチ

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オバマッチ--胸の中は静かに燃えているか

 夜中まで起きてられず、オバマ大統領就任式は、そののち録画したものを見るに終わる。アレサ・フランクリンの大きなリボンのベレーは素敵でしたねえ。リボン大好き。

●OBAMATCH
 表参道で2、3用事をすます。その通り道のOPAギャラリーへも「マッチ展」を見に寄りました。工房の二人が参加してます。毎年同じ時期にある。マッチは使う機会もないのだけど、アイデアいっぱいのものだったり、絵で勝負するものだったりの中、必ず笑えるものが1点はあるから見に行く。
  今年は写真のもの。これは細長いタイプのマッチ箱を利用した作品で、みんなすわれるようになってる。ほかのはかわいいキャラなのに、これだけ「オバマッチ」と書かれていて、スーツ着てます。いい感じの細長さで、多分作家のコイデヒロミさんは、このマッチ箱の形を見て「似てるかも〜〜〜」と思ったんでしょうね。ネクタイの色違いで5体ほど並んでいて、後ろに「YES WE CAN」とカードが立てられてます。「オバマッチ」というネーミングだけ一発で気に入ったので、即買ってしまいました。工房へ行って、みんなに見せた時に中をあけたら写真のようにちゃんと「CHANGE」とカードが入っていて、よくできているなあ、「記念になるなあ」と思いました。帰宅後、家族に見せると、やはりみんな気に入ってくれて、ライブで見れなかった就任式録画を見るのでした。
 演説は、まさに今抱えてる問題をひとつづつ噛み締めたものになっていて良かったと思いました。浮かれてる場合じゃないことはよくわかっているわけで、あれだけの人が集まった中、生の気持ちはよく伝わったと思います。絵空事じゃない言葉が良かったな。今までのやりたい放題を顧みるのだ。今、世の中のみんながそんな風に自然と感じているのではないかと思う。昨年あたまくらいから、わたしもヒシヒシと思うようになったのは、ヒトのために何かしたい、ということで、自分のことというのは、何かしていくうちで自然とついてくるものだと思うから、考えないようになってきたのだ。謙虚に生きたいものだ、と思うのだ。重く晴れやかな就任式だった。

●版画ワークショップ
 ヒトが喜ぶことができるとイイなあ、と思っていたら、学校の図工の先生から版画を教えてはもらえないか、というお話をいただき、やはり強く思うと通じて行くものなのだなあ、と不思議な気持ち。プレス機があるというのであしたは道具類がどんな具合かを見に行くことになった。子どもはおもしろいので、版画の楽しさを伝えたいし、多分子どもの方がアイデイアはおもしろいので、逆にお勉強させてもらいたいと思っている。でもやっぱり、プロとしての一言をせっかくだから言いたいと思ってる。それは「人に見せるためのものを作ろう。伝えるための絵を描こう」です。授業はそうゆうことはしてないと思う。でも、わたしが教えるんだから、そうゆう絵もあるのだ、ということを言ってみたい、と思うのだ。それが、わたしができて、先生ができないことだからだ。

 この学校での版画授業はギャラリー・ファーストライトでのワークショップの翌日なんですよね〜。ところで、2月1日の日曜日のワークショップ、定員あとのこりわずかになりました!!二回目の回があと数名ですので、迷ってる方はお早めにね〜〜〜ギャラリーへご連絡くださいませ。

 


◆2009年1月18日(sun 神楽坂のフリス

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グルッとつながって11個のエフェクター&ペダル

















ホカホカまんぢゅう

 きのうのメインは日仏学院のラ・ブラスリーでのフレッド・フリス(G)、アマッド・コンパオレ(D)でした。この二人でよかったんだけど、前売り購入時はもうひとり横川理彦さんが入ってて、その3人でも良さそうだったので即買いにいったのよ(見間違いだったの?)。会場にはヴァイオリンのセットがなく、フリスのギブソンのギターセットのほかにもう1本テレキャスターのギターがあって、「アレ?」。実際にはきのうは2部でセイゲン・オノさんが加わったのでした。・・・・う〜む・・でした。顔がまったく覚えられないので、横川さんもオノさんも区別つかずのひどいわたし。なんでギター弾きがいるんだろう、しかも二人と意識の場所が違うなあ・・・口笛がテキトーだなあ・・・・と、モヤモヤしつつ終わるのでした。1部の即興デュオはとてもよかったです。ストイックな感じで。2部はなんかセイゲンさんが即興をするでもなく曲をするでもなく...なのが多分モヤモヤっとしたんだと思います。真っ向からの冷や汗かくほどの即興がみたかったもので。かといって、フリスさんとコンパオレさんの即興は汗かく即興というわけではなく、なぜか心あたたまる居心地よさのある(激しいとか激しくないとかの違いではなく)ノイジーな即興で、途中ふわ〜っと寝たりしました。
  ノイズがこんなでいいのかっ!いや、いいんじゃないでしょうか。別に。慣れとは恐ろしい。というか、元々ノイズというのは空気中に常にうごめいている音で、誰でも身体の中に受け入れる土壌みたいなもんがあるのだと思っている。慣れというよりは元々もっているものが『呼び覚まされる響き』がノイズなのだろうと思うのだ。弓をつかったり棒を弦につっこんだりというのは、今や誰でもすることなんで、もう新しいとかオリジナリティとかの問題じゃないんだなあ、と思ったりした。
  ただ、コンパオレさんは歯切れがよくって気持ちよかったし、フリスさんは、生で見る(会う)のは25年ぶりくらいなわけで、なんとも嬉しかったし、11個のエフェクターが感慨深いのでした。ここに行き着いた道というのか(これから先もあるのだけど)歴史を思ったりもする。トレモロだけで3つはあったかなあ。わたしは前から2番目の席だったので、よく見えてよかったです。レストランなので、照明もあかるくて。
 お客さんはいっぱいで、知り合いもきっと多くきてるだろうと思ったら、突段の俊ちゃんのみでした。久しぶりに会ったと思ったら、ミュージックマガジンの目隠しプレイの取材で松山さんと一緒だったらしく、そのまま一緒に来ていた。松山晋也さんはCDジャーナルで『Bronze & Willow』のレビューを書いてくださっていて、わたしはとっても感謝しています。これまた顔も知らず、紹介してもらってやっとのことご挨拶できました。ああ、よかった。ずっと気になってた。『いやあ、奇遇だなあ、きょうの目隠しプレイで松本さんのソロの曲も使ったんで、ここで会えるとは〜』わたしこそ、ビックリだわ。思わず握手して年賀状を渡す(名刺がわりに使っているのだ)。本当にありがとうございました〜!俊ちゃんからは新しいアルバム「D」を。ありがとーござんすー。聞きごたえがありますねえ。よかったよ。またゆっくり聞きますね。おめでとう!

 きのうは午後はまず新宿世界堂へ。版画用品物色。それからIさんと待ち合わせして新宿伊勢丹をのぞく。鍋売り場で新しい鍋の実演販売をジックリ鑑賞。この階で近々作品展の予定がありまして・・・ちょっとのぞいてみました。自分の版画が合うのかどうなのかよくわからないんで、ジワッと汗をかく。きのうはこの階の高級食器の売り場にはたくさんのお客さんがいて、やっぱり日本は格差社会ってヤツなんだなあ、とつくづく思った。倒産したウエッジウッドも日本ではまだまだ元気なようだし、ヘレンドのコーナーにも人が何人もいた。
 ぴあに行き、「ジンガロ」の一番安い席のチケットを購入する。「ジンガロ」は馬がたくさん出るエンターテイメントです。一回目はモンゴルの唱名と一緒だった。これはいかなかったけど、今回はルーマニアのロマのバンドが生で演奏するんで、どうしても見たかったのでした。フライヤーも白馬にのった花嫁のベールがたなびいているもので、それがとても美しい。クストリッツアワールドではないか!Iさんがバンドの立ち位置を調べてくれていたので、そのそばの席をゲットしたのでした。

 そこから神楽坂に行き、まんぢゅうカフェ『MUGIMARU2」へ。一休み。よもぎアンチーズとチャイ。できたてホヤホヤであちいあちいと言いながら食べるまんぢゅう、おいしい〜。店はなんだか西荻窪あたりにありそうな雰囲気でした。アンティークな感じ。次ぎから次へとお客さんが来る。男の人もたくさん来るのでした。そういえば、テーブルにクエイ兄弟の「ストリート・オブ・クロコダイル」の写真のパンフレットがあり、見てみたら「コム・デ・ギャルソン」の2009年のコレクションの宣伝でした。そのあと見たセイゲンさん&フリスさんはコム〜〜のショーの音楽もやってるそうなんで、これも奇遇でした。
 まだまだフリスの時間までには早かったので、チィ散歩しながら行き着いた店で野菜フォンデュをつつく。カウンター席で日本酒のキリッとした辛口を冷やで1合飲む。 ほかはささみのタルタルとがんもどきの揚げたのを。神楽坂といってもそんなに高くなかった。たくさん飲食店があって、はしごしたい気分だった。

 まんぢゅうはお土産を4個。紅茶風味のもさつま芋アン入りのも、よもぎアンチーズもみんなおいしかった。また行こうっと。1個140円也。

 きょうは工房へ。最近新たな技法の実験をしている。紙を使った版画をやっている。とてもおもしろいので、何枚も作ってます。塩ビも紙もみんなおもしろい。ただ、最終的にはやはり銅版に戻ります。なぜなら手触りが、重みが、好きだから。
 中目黒に住んでるKさんにカフェの話をする。ほかにもおいしいパン屋があるそうで、今度ジックリ聞いておこうっと。

 ロッパの本を読んだせいか、食べ物にどん欲になってしまい困る。


◆2009年1月16日(fri) オイルとジン

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エキストラヴァージンオイル







 イタリア〜ンな友達Kちゃんから『2008年秋 1000ml エキストラバージンオイル グレッゾ』を購入。 写真では黄色みが濃いように見えるけど、実際にはもっと緑なのです。
 中目黒の目黒川沿いのカフェHで、一緒に購入したNと3人でガールズトークす。Hはカフェというよりもブラッセリーですね。パリ〜なお店で気に入ってしまった。家具もアンティークな感じだし、ランチもあとで頼んだエクレアもおいしかった。買って帰ったバゲットも細いタイプのもので、好みです〜。帰宅後、これを薄く切って、さっそく購入したオイルにつけて食べました。青臭くておいしかったです。本当はこれにワイン、といきたいところだけど、家ではわたししか最近ワイン飲まないので、なかなか開けれないから、ここんとこわたしはジンとかラムなのでありました。この日はKちゃんがお得意のマカロンを持ってきてくれて、それが、実はパリ〜なマカロンよりもおいしく・・・・・。それはたっぷりとラムの味がしていたからのような気がする。なので、濃くいれたコーヒーにラムを入れて飲んだ。
 ラムコーヒーは癖になる。ちょっと飲んだくらいではあまり感じないため、ついドボと入れてしまう。すると1杯飲み終えた時には身体もあたたまるが、頭も熱を帯び、サッサと眠りについてしまいます。普段は砂糖いれませぬが、これには砂糖を入れた方がおいしいと思います。
 ちなみにジンはソーダとグレープフルーツを絞ってステア、というのが一番好きです。ライムジュースを使えばハードボイルドだど〜、なギムレット(フィリップ・マーロウが好きな)になるけれど、シェイクするわけでもないので、グレープフルーツ・フィズというのか・・・でも砂糖は入れないのだ。ジン数々あれど、最近はずっとボンベイ・サファイア(ドライ・ジン)ね。あれはスパイスやハーブの香りがエキゾチックで爽やかで、壜もまたきれいな水色で良いのです。これもまた2杯飲むと俄然眠気に襲われ、最近は早寝して山ほど夢を見ている。

 ガールズトークは楽しい。しかも、年齢が年齢なので(お二人はわたしよりずっと若いけど)恋愛話はほとんどなく、政治、世界情勢から仕事、家族、音楽、将来のことなど、様々で、しかしやはり人の恋愛話は一番楽しい。恋愛まっしぐらの人の様子は、バカ丸出しなところが良いです。自分が具合が悪い時には、一番近寄られると我慢ならない存在だけれど、平安な毎日を送っている時にはこうゆうのを見るのは笑えて楽しい。わたしの周りにいるかわいいガールズたちよ!目がハートの形になるところが見たいなぁ〜
 しかし、話ている内にやはりわたしはオタクな女だな、と思えてきた。家電の話が一番燃えたからで、しかもネットでそれを見て燃えてるわたしはガールズトークには似合わないなあ、やっぱし、と思うのであった。オタクボーイズトークしませんか?誰か

 このカフェの隣もいい感じのカフェだった。その隣も隣も・・・中目黒いいなあ。


◆2009年1月13日(tue) ロイド眼鏡のフジタとロッパ

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ニャ〜なものばかり







 上野の森美術館で「没後40年レオナール・フジタ展」。20世紀初頭華やかなりしエコール・ド・パリでもっとも有名だった日本人。戦後フランスに帰化した画家、レオナール・フジタ(藤田嗣治、1886〜1968年)。「すばらしき乳白色」の裸婦や自画像、長年所在不明で92年にパリ郊外の倉庫で発見された「構図」と「争闘」が公開されていた。たくさんの子どもの絵もあり、それがそこはかとなく奈良さんの子どもの絵みたいで、ええ!?と思ったりしてしまった。「フランスの宝」というたくさんのタイル絵がたのしくて良かった。
 わたしが昔から持っていたフジタの印象は、ある時々で違う。たとえばある時はスノッブなイラストレーターで、ある時は綿密で濃厚な戦争画を描いた人で、ある時はイカレていて、ある時は美しい。特にこの時代がわたしはあらゆる面で好きなので、どこから切り出せば良いか迷ってしまうのだ。モンパルナスのキキがモデルになっている写真なんぞを見たりするとクラッとなってしまう。今回わたしはフジタの猫の絵のお皿を購入してしまいました。最後に住んだ家は、自身でコツコツと楽しみながら作っていったものがたくさんあり、それも展示されていたのだけど、中でも奥さんへのプレゼントのお手製の箱や、家の模型、屏風につけたブリキの飾りなどはピカソよりもずっとわたしの好みだった。ピカソのお皿は欲しいと思わなかったけれど、フジタのお皿は愛らしくて箱に入った5枚セットで買ってしまった。5000円だった。大皿も3000円で買ってしまった。フジタの猫はいいなあ。
 油絵なのにサラッとしていて面相筆で描いた輪郭の線がきれいで日本画のようだった。こうゆうのは当時のフランスではきっと驚きだったろう。
 タローの発掘された絵に感動のなかったわたしですが、フジタの「構図」と「争闘」は良かった。良かったといっても感動を誘うというわけではなくて、筋肉と骨をしつこく描く行為に共鳴してしまったのでした。それがキッチリしたデッサンではないところがよろしいです。私情プンプンの肉体。ボッチチェッリもそうだったが、若い頃は体のバランスなどキチンと見据えているのに、ノッテきた頃からだんだん体のバランスが私情で流れていく。そこがおもしろいんだけど、たまに嫌な時もある。
  たくさんの人間を描くのは楽しい。とても楽しんで描いているのがわかって、こちらも楽しくなった。肌ももちろんきれいだけど、わたしは髪の毛の描き方も柔らかく繊細で好きです。あとは指かな。本当に手の指、足の指がイイな。戦後フランスで洗礼をうけ帰化した。戦争画と何か関係があったのかはわたしはよくわかりません。でもきっとあったんだろうな。最後に教会を自分でデザインして建ててしまいました。「プリマヴェッラ(春)」のような3人の乙女と花の絵などあったせいか、ボッチチェッリばかりを思い出してしまうのだけど、ボッチチェッリも衣服の裾の襞や指の描き方が偏執狂的にしつこくて(いい意味でいっている)、わたしはそうゆうところが好きです。何なんでしょうねえ・・・・カーテンとかスカートの襞や手足の指やギュッと力を入れた時の筋肉なんかを見るとゾクッとなるというか昇天しそうになることがあるんですねえ・・・・しかも、それが群衆となっているような絵を見ると、気絶しそうになってしまう。ミケランジェロの「天地創造」くらい凄い連作があり、ビックリしてしまった。描いて描いて描きまくった人間が、これでもかと描かれていて、わたしのような者からすれば、「よだれが出るほど楽しかっただろうなあ」ということになる。しかも、描きながらのすべての時間の中で、作家は多分、今までの人生を思い出し、懺悔したり思い出し笑いしたりし続けていたに違いない。その濃厚な時を過ごした教会ではあるけれど、全体が重々しい感じがなく、軽やかなのがよかった。思い切り楽しんだ人だと思った。でも、みんなの見てないところでたくさん努力した人なのだとも思った。
 我が家の玄関のキーボックスは額のようになっているもので、それ用にも猫のカードを買った。図録はとても良さそうだったけど、もう置くところがないので、やめた。目に焼き付けた。

 動物園に寄ろうと思ったらお休み。お腹もすいたので、芸大から日暮里方面に行き、カフェに入ろうと思ったら、そこも、休み。前に入った喫茶店も中華屋ものきなみ休み!さらに元銭湯のコンテンポラリーアートのギャラリーもまだお正月休み!!ええ〜〜〜!?なにこれ〜。仕方なく千駄木方面へブラブラとチィ散歩。よく雑誌に載ってるカフェに入ろうとしてメニューを見たらヴェジタリアンぽくて、肉が食べたかったわたしはパス。で、結局「往来堂書店」まで行ってしまい、入ってすぐのところで「ロッパ悲食話」をつい買ってしまった。エノケン・ロッパのあの古川ロッパよ。立ち読みしてたらさらにお腹がすいてしまった。
 しかし、8000円もお皿に使ってしまったので、結局は「やなか珈琲」でホットサンドでおわりにしてしまった。読書。ロッパはロイド眼鏡がトレードマークだった。やっぱりロイドが好きだったんだろうな。あまり芸があったような記憶はないけれど、恰幅が良くて美食家だった。ロッシーニみたいな体つきだった。有名な話だけど、戦争中に、帝国ホテルのレストランに弟子をつれていき、二人分頼むけど、自分だけ食べる、というのが本当に載っていた(日記形式です)。一人でもレストランに入るわたしには理解できないんだけど、一人以上じゃないと入れないような言い回しになっていた。言われているように(確か・・)イケズでやっていたわけではなさそう・・・。だって、ちょっと申し訳なさそうに書いてたし。貴族だか華族なんだよ。フジタも軍医の息子だったし。
 そういえば、子どもの頃、フジタの写真を見てトニー谷とゴッチャになっていたことがあった。 ロイド眼鏡の坊ちゃん二人の一日だった。

 「やなか珈琲」は安くておいしいなあ。と、そこにあったチラシを見ていたら、大森にもあるじゃん!
帰宅後、フジタに習ってまじめに絵を描いた。展覧会に行くと描きたくなる。そして、挫折感にさいなまれ、また立ち直る。


◆2009年1月11日(sun) 版画ワークショップのお知らせ

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くわしくはクリックして大きくして見てね〜

 銅版画のワークショップを行いまする。

 今回は銅版と塩ビの2タイプやってみようかしらんと思います。銅版で本格的に。塩ビで遊びながら、という感じです。場所は大森駅徒歩6分のところにある、すてきなギャラリー「ファーストライト」さんです。昨年個展をさせていただいたところです。
 2回行います。計16名様まで。先着順ですので、お早めにお申し込みくださいね。ギャラリーへ直接電話かメールです。

 くわしいインフォメーションは左の画像をクリックして見てくださいね。当日はシルクスクリーン(&銅版画)作家の時任亜矢子さんもお手伝いにきてくれます。たのしく制作いたしましょ!

 プレス機を自分の手で回すのはとってもワクワクするもんです。
ライブのあとのビールはおいしい〜、刷り終わったあとのお茶もおいしい〜


 つーことで、ドシドシッと参加お待ちしております。


◆2009年1月8日(thu) 着物マイタンス

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散歩で歩きすぎたので、スタバでパンケーキを食べた。チイ散歩








 きょうは初工房の日だったよ。原宿は相変わらず人が多いね。年末からなんでもかんでも整理しまくって、身の回りスッキリしてきたよ。身辺整理だよ。あれ?違うか!?洗濯機も新しいのがきて快適だよ。テレビも新しくて、エガシラの開ききった毛穴が汚かったよ。今のところ、ヤツが一番汚い毛穴だったよ。なんだか眉毛が日に日に薄くなってきて、これまたスッキリだよ。眉毛がなくなると不良に見えてしまうから、きょうは原宿のドラッグストアで眉毛グッズを2点買ったよ。今からでも遅くないよ、若い人!あんまり若いうちに眉毛を変なことしちゃうとサ、歳とってきたらみんな中島ミカちゃんみたいになっちゃうよ。わたしは彼女好きだけどね。
  日本人のお正月終わった?わたしも終わったよ。残念だね。でも、学校始まるから給食も始まって、お母さんは楽だよね。よかったよね。アレ?子どもも良いよね。だから給食費は払うよね。わたしは払ってるよ。
 髪の毛がグリグリと立つワックスも買ったよ。種類がたくさんあって決めるのに時間がかかるね。気がついたらもう1時間たってたよ。ふぅ、疲れたよ。だから工房は一番乗りじゃなかったんだ。日本のお正月はカニとクリだよ。栗きんとんがなぜか机に置いてあった。版画の工房に栗きんとんって、ちょっとシュールだったけどおもしろかったよ。K太郎が好きなんだよ、女みたいでしょ、と言ったら、それを食べないからって持ってきていたYさんがくれたんで、家に持って帰っちゃった。1パック。K太郎大喜びで、一人でほとんど食べちゃった!わ〜お!そういえばイモもタコもナンキンもK太郎は好きなんだよ。本当は女の子なのかも・・・ママンは子どもがそうなっても全然平気だよ。

 Kさんが持ってた成人式の写真を見せてもらったよ。日本人のお祝いはお金がかかるね。でも、とってもきれいだった。フランスにはそうゆう衣装はないよ。とってもうらやましいけど、あんまりキモノを着るチャンスはないんだよね。わたしも持ってるよ。色留袖っていうのと小紋っていうのだよ。小紋は椿柄で帯も同じできれい。でも、キモノには季節があるんだよね。だから椿以外の季節には着れないから残念。色留袖っていうのはまあまあ正式の時のもんで、子どもの七五三の時に着たんだよ。そしたらわたしの方が浮いてて、写真みたら、わたしの七五三みたいだった。家族大笑いで楽しかったよ。

**************

 ああ、疲れるわね、フランス人が書いたみたいに書くのは。さっきフランス人が日本語で書いてるブログを読んでてとっても楽しかったので真似してみました。

 それで、初工房では持ってる着物はいったいいつ着ることができるのか?という話になったのよ。娘がいれば1回は着てもらえる。わたしはK太郎が女にならない限り無理。みなさん、わたしにはライブで着ろ、というのだけど、わたしは着物は邪道な着方をしたくないマッツグな人間なので、嫌だね、とお答えした。だったら、いつ着るか・・・・小紋はよいとして、半正式な色留袖(ちゃんと紋がついている)はどうするよ?と自ら思い当たったのは「ノーベル賞」だった!!

 そうだ、「ノーベル賞」をとれば色留袖着れる。スウェーデン国王謁見と晩餐会でも着れる。
「松本さん、ノーベル何賞とるつもりなの?」
「それは、平和賞です」
何か、役にたつことをして平和賞、というのが良いな。

あとは演歌歌手のようにどんなに歳をとっても振り袖を着て、個展のオープニングに出る。還暦の個展ではそうゆうのがいいかな、と思っております。わたし、成人式してないし。成人式ではたくさんの演歌歌手が街を歩くね。


◆2009年1月5日(mon) ロンドン伝統の『イール・パイ』の作り方教えます

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クックさん秘伝のパセリソース。小麦粉ぶっ込む。

イーストエンドに帰郷した姉妹

フライング・パイマン「とろける味、栄養たっぷり〜」

Jellied Eel ゼラチンを入れて作ってます

わたしが食べたうなぎの店が!!

店内で。家族みんなうなぎパイが大好き〜

食べないけど入りたいクラブ

会長自ら伝統の「Eel Pie」を作ります。

今では英国でもうなぎは高いのね

四角いパイ皿。肉汁と共に封じ込める

塩をかけて。パリッとしておいしそうでしたヨ。

 みなさん、見なかったかもしれませんが、松もあけたというのに昼日中から暇なわたしは、夕方4時からNHK-BS2で「グランド・グルメ/ヨーロッパ食材紀行/ウナギの味はテムズの流れとともに』というのを見ました。

●Eel Pieの真実

 勿論わたしの曲の中に『Eel Pie Island Song」というのがある通り、わたしはうなぎパイが大好きです。というか、EEL PIEについてはひとかたならぬ思い入れがあります。なんでかって、もう聞かれても答えるのが大変なんだけど・・・

何のことか知らない方のためにちょっとだけ説明しますが、「うなぎパイ」といっても、浜松の名物ではありません。ロンドンの西の方にあるテムズ川にある小島と関係してますです。詳しくは、別ページにある『もうひとつの「英国フード記A to Z」』の中のVol.6『マーケット』の巻とVol.7--『観覧車に乗ろう』の巻、をご覧ください。同時に「英国フード記A to Z」(石井理恵子著:松本里美版画)をお持ちの方は、『E』の項を開いてご覧くださいね。より詳しくわかります。

 食べたことがないとなかなか理解できないあの味・・・・・あの形態・・・・2005年に本の取材のために石井さんとわたしはロンドンを訪ねました。『E』の項は、最初っから「うなぎ」と決めていたわたしたちでした。調べれば調べるほどおもしろいイギリスのうなぎ話。これがイギリスのR&Bと結びついていなかったのなら、それほどでもなかったかもしれないですが、これがまた楽しい繋がりがあったために、わたしの想像と妄想は広がる一方となりました。そして、できたのがかの名曲『Eel Pie Island Song」であります。わたしは、曲ひとつひとつもの凄くしつこい思い入れを込めて作っているため、出来上がったあとでもたくさん遊べますねえ。

 とはいえ、この曲にはうなぎはまったく現れないので、すまないです。 ギターが弾きたかった(最初のフレーズの)というだけの、ギターありきの曲です。
  曲のことはともかくも、食べ物も好きですから、イギリスでいうところの「うなぎパイ」とはどんなものなのか、経験せずにはいられなくなったのでした。ハッキリ言って、あの時の目的はこの「うなぎパイ」と「グレービー・ソース」に尽きていたと言ってもよくって、どっちも曲にしたので、わたしはやり尽くした感がありますー

 実際にある「Eel Pie Island』で、わたしたちは『Eel Pie』と看板に書かれていたパブに入り昼食をとりました。しかし、そこの主人が言うには、昔はあったが、今は作ってないし出してない、とのことでした。これには多少ガッカリしてしまったものの、店に飾ってあったBlue Willowのお皿など見つけ、それはそれで満足しました。

  「うなぎパイ」の形態はどんなものだったのだろうか?という疑問はずっとあり、ロンドン在住の現代美術家:横溝静さんが事前に調べてくれていた老舗のうなぎ料理やというのを楽しみにしておりました。イーストエンドにあったうなぎ料理の店の看板メニューは「EEL & MASH with LIQUOR」です。これは四角いミートパイのようなものに緑色のドロッとしたソースがかかっていました。味は、英国の方には申し訳ないけれど、オエ・・・・っとなるものでした。3人とも完食不可能でした。
しかし、客はたくさん来ますよ。人気のお店です。


 ●このソースは一体何なのか?
 ● 何故「Eel Pie」と書いてあるのに「肉(らしい)」なのか?
 ●今は作られてないとして、実際の形態はどんなものだったのか?



という疑問は、実は最後まで解決されないままでした。でも、我々の取り組み方は相当評価されても良いと自負しておりますよ〜。それと同時に「うなぎジェリー(Jellied Eel)』も実食したのですから、イギリスの伝統的うなぎ料理は完璧にクリアしたと言ってよいのでありますー。
 しかし、コレも完食ならず・・・・・


 番組は、最後の新しいうなぎ料理はまったく興味はなかったけれど、そのほかはわたしの疑問に答えてくれるものとなっていて、もしかしたら、これ制作した人は、「英国フード記A to Z」読んでるんじゃないのか?と思いました。わたしは多分読んでると思いますよ。
  番組ではまず、このイーストエンドに40もあるという「EEL & MASH with LIQUOR」屋の一つで1862年創業という店『クック』の4代目ボブ・クックさんの料理風景から始まりました。が、その前に、まず第二番目の疑問から。何故、パイの中はうなぎじゃなくて肉なのか?

 番組の説明、そしてパイ&マッシュクラブのおじさんの話では、

最初はうなぎが入っていた。産業革命でテムズは流通の最前線で活気にあふれ、そこの港湾労働者は華であった。そのテムズのうなぎと労働者の栄養源としてうなぎパイは流行した。その後第二次世界大戦を経て、戦後うなぎは高くなり、肉が安く手に入るようになったため、肉にとって変わられてしまった

ということなのでした。 やっぱそうゆうことなんですね。しかし実際に食したパイの中の肉は得体知れず・・・・のものでしたよん。労働者が気軽に食べられるような安いお肉なのでしょう。
  番組でも言っていたけれど、このイーストエンドというのはテムズのドッカーズたちが集まるところで、昔はたくさんうなぎがとれ(今はオランダとアイルランドからの輸入が多いんだって)、このあたり特有の料理食材だったんですね。港湾労働者の栄光の時代そのものの料理です。重要なタンパク源でもあったんですよね。そしてパイ&マッシュとジェリード・イールの二つがその代表的料理だったんですよ。『もうひとつの「英国フード記A to Z」』のVol.11:『鰻パイ島&ロックな日』の巻でも書いてますが、サックス奏者のロル・コックスヒルも、おとうさんがセーラーマンだったから鰻は食べたよ〜、と言っていたもんねえ。
ああ、おもしろい。こうゆう取材って楽しいですねえ。


 番組で料理を作っていたオジサンの店では、「EEL & MASH with LIQUOR」はまさにそのようになっていて、パイにパセリソースがたっぷりかけられ、横にマッシュポテトがエベレストのように積み上げられています。そして、ぶつ切りのうなぎが数個ソースに載せられます。わたしたちが入った店では、パイ・ソース・マッシュ、またはうなぎ・ソース・マッシュと、別個になってましたねえ。店の様子をみると、みなさんモルトビネガーをバシャバシャかけてます。胡椒もかけてましたね。

 そしてもうひとつの疑問、このソースって何よ?ですが、このパセリソースは店によって秘伝となっているようです。と、言いながらも、このオジサンはすべて見せてくれてました。見れてよかった〜〜。

 お湯にたっぷりのパセリを入れる。少し塩。そこにたっぷりの水融き小麦粉をぶち込み煮込む。

石井さん!!これっきり〜これっきり〜、これっきり〜ですよ!これだけだったんですよぉ〜
これだけだってのに、オジサンは真面目な顔をして「お湯が沸騰してなくちゃ駄目なんだよ。小麦粉がダマになってトロみがつかないからな」と、さもこれが秘伝かのように大いばりなんですよぉ〜。石井さんはずっと「パイよりもこのソ−スがまずい!ただの粉だ!」と言ってましたが、本当にその通り、それだけでしたよぉー。

 このクックさんのお店のソース(リカー)はフレッシュパセリが自慢というだけあって、たしかにグリーンがヴィヴィッドでしたけどね。





●Eel Pieはどこへ?

 肝心の「Eel Pie」というのはどこへ行ってしまったのか?店で出ているのはもうミートパイです。それにうなぎの混ざったパセリソースをかけている。これをもう一般的に「Eel Pie」と言っている、というわけです。私たちが一所懸命さがしてもなかったわけです。

 番組ではわたしたちが言ったお店も紹介されていて、本当に嬉しかった!あの時と同じように緑色のワンピースの店員さんたちがいて、たくさんの家族連れがビネガーバシャつかせて食べてました。そこで家族で食事していたおじさんが「パイ&マッシュクラブ」というのを作って、お店の紹介などをしているっつーんですよ。そのおじさんが昔ながらの『Eel Pie』を自宅のキッチンで作ってくれました。いや〜、見れてよかったです〜

 形は伝統の四角です。考えてみれば、パン屋で売ってるミートパイってだいたい四角ですよね。あれが基本なんだな、きっと。そこにパイシートを敷き、うなぎのぶつ切りを数個入れて、パイシートで蓋をして焼いて食べてました。

  うなぎは月桂樹とペッパーとパセリで5分ほど煮ます。骨と皮は丁寧にとる。そこに肉汁(ビーフスープ)を入れる。260度のオーブンで焼く。パセリソースなんかはかけず、塩とビネガー少々で食す。

元々の料理です。パリッとしててなかなかおいしそうですよ。石井さんも言ってましたが、あのソースがまずくさせるんじゃないのかなあ!?!?
 そして、そのオジサンはやはりテムズのドッカーズで、彼らの集まりの様子も紹介されてました。毎週月曜日集まってる。みんな70歳以上です。ジェリードイールがたくさん出てました。みんなエール片手にこれをつまんでます。これにもやはりモルトビネガーと胡椒をたっぷりかけていましたよ〜。

 19世紀末にこのパイが流行ったころには、「フライング・パイ・マン」という職業の人が大流行したのだそうです。なんだか、マザーグースに出てきそうで、楽しいですね。マザーグースの「ホット・クロス・バンズ 」みたいに、歌もきっとあったに違いないですね。ああ、知りたい「フライング・パイ・マンの歌」。必ずあったハズなんですよね、売り子だから。



 というわけで本当にスッキリしました。3年半ごしの疑問が解決できました。




もしもまたロンドンに行くことがあったとしても、これを食べる勇気はわたしにはもうありましぇん。
でも、みなさんは、是非イーストエンドに行ってくださいね。そして「EEL & MASH with LIQUOR」食べてみてね。
ついでにジェリードイールもね。
 


◆2009年1月4日(sun) 「牛も知ってるカウシルズ」からオーティスへ

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CATPOWER
3枚

 このフレーズを知ってる人はそれ相当のお歳なのよ。それも関東の人に限る。

 今年の年賀状の1枚にカウシルズの写真がくっついてるのがあり、笑った。「これ、わかるお年頃?」と書かれてあり、「あいや〜、わかっちゃってるんだよなぁ」とゲッソリしてしまいました。Yさん!わたしはこれを知ってます。でも、うろ覚えよ・・・と言っておこう。

●カウシルズ〜Lovin Spoonful
 これはもう何度も書いてるけども、小学生のわたしを洋楽に目覚めさせてくれた洋楽チャート番組、大橋巨泉司会、星加ルミ子、木崎義二、オヒョイ、原住民(ドラマー)出演の「ビートポップス」での、いつもの巨泉の駄洒落の一つなのでありました。カウシルズについては、本当はあまり記憶がないですねえ。そんなにヒットしてたのかどうかも記憶がなく、ただファミリーバンドのハシリという記憶です。
 カウシルズはビーチボーイズのようなサウンドだったよなあ・・・・とまたもやyoutubeを見てしまった。そうそうハープも使ってたのよ。youtubeのイケズなところは、そこからさらに違うものへ目が移ってしまうところで、きのうは大好きだった「Lovin Spoonful」も見てしまった。 「魔法を信じるかい?」に始まり、ヒット曲(と、わたしは思っている)はたくさんあり、ジョン・セバスチャンは声も顔もタイプなのだった。
 そのジョン・セバスチャンも歳をとっておじさんになってました。そのインタビューを見ていたら、英語なんでほとんど推理なんだけども、「魔法を信じるかい?」の最初のギターのリズムのあと、シュープリームスのような黒人女性ヴォーカルグループ(誰かわからず)の映像が流れ、そうかそうか、モータウンのノリに影響されてたんだなぁ〜、とモータウンのかっこ良さに改めて感動してしまった(映画「ドリームガールズ」はおもしろいから、みんな見てね!ビヨンセを見て渡辺直美を思い出して笑ってね〜、それとエディ・マーフィが良いのよ)。そのほかにはやはりボブ・ディランの映像やフラワームーブメントの映像も流れ、時代背景が良くわかる。ディランとモータウンというのは、どれほどの人に影響を与えただろう。

●CAT POWER〜Dirty Three
 昨年の暮れころにCAT POWERを連続3枚聞いていた。一番良く聞いていたのは「MOON PIX」で、オーストラリアのバンド「Dirty Three」(のドラムとギター)を従えてだった。このバンドもyou tubeった。ギターとドラムとヴァイオリンなので、なんと!年末のわたしと龍太郎さんとクリスチさんとのトリオ「リチャード・スターキー・バンド」と同じ編成ではないか!不条理かと思ったけどそうでもないジャンか。
 CAT POWERは アルバムによってメンバーは違うし、雰囲気も違うし、録音の仕方も違うようで、アルバム『You are free』のガレージっぽいギターの音や録音モノがわたしとしては好みではあるものの(歌詞はなんだか悲惨っぽい)、「MOON PIX」はすべてにおいてまとまっていていいアルバムだなあ、と思った。わたしが買うのはほとんどが輸入版なので、曲名も歌詞も把握しずらいのが、よかった場合には難点ですねえ。国内版買えば良かったとあとで思うことも多い(とはいえネットでほとんどわかってしまったのだけど)。さて、その中の「You May Know Him」という曲は、どうしても聞いたことがある曲で、日々電車の中で聞きながら、記憶を辿るのだけど、何曲ものカヴァーのような気がして落ち着かなかった。まったくのオリジナルなんていうのはもしかしたらあり得ないのかもしれないし、似てるからどうよ?って話なんだけど、やっぱり気になってショーガナい。そうゆう場合はその音楽に近いところを捜しがちですねえ。ガレージっぽかったら、やはりまずはそのあたりから考える。でも、ハッキリいってわたしはこのCAT POWERというのはまったく知らなかった人で、たまたま1曲ラジオで聞いて一挙に3枚(『What would the community think』『You are free』『MOON PIX』)買ってしまっただけのことで、どうゆう人かわからないわけだから推理もできず。なのでただただ悶々としながらも、女性アーティストという括りで、パティ・スミスやジョニ・ミッチェルとかを思い出してみたりしていた。あるいは、こうゆう人が好きそうなルー・リードとかディランとかを。また、Dirty Three繋がりのオルタナものとかを。

●オーティス・レディング〜スティーブ・クロッパー
 しか〜〜し!それは思わぬところに行き着いたのでありました。それはオーティス・レディングの「(Sittin' On) The Dock of the Bay』なのでした〜。CAT POWERではアコースティックの弾き語りなので、全然思いもよらなかった。それは自分に置き換えてもあたりまえのことだったのになあ。わたしの曲がどう捉えられているのかサッパリ検討もつかないけれど、わたしにしたってジャズやボサノヴァやクラシックやブラスバンドやどこかしらに染み付いてるそれらのことがいつか身になってしまっていてある時表出するわけだから。
 彼女にとって、 それが影響してるのかどうなのかは、わからないけれど、わたしはスッキリしまして・・・・・勝手に「いやぁ〜、やっぱモータウンよね〜」とその音楽の浸透性に頷くばかりだったのでした。この「浸透」が、オバマにまでわたしの頭の中では繋がっていて、ジワジワとした底力というものをとても感じるのでした。昨年からそうなのだ。人間のこういった良いものを認めるという力をわたしは信じているのだ。

 ちなみに、オーティスはモータウンではない。モータウンとは別のスタックスというレコード会社でした。これも大好きな『ブッカー・T&ザ・MGズ』のギタリスト、スティーブ・クロッパーとやっている。彼は白人のテレキャスター使いギタリストで、ブルース・ブラザースにも出てる。オオ、ソウルマ〜ン!で、「(Sittin' On) The Dock of the Bay』はオーティスとこの人の共作です。

 でもって、また話は元に戻り、「ビートポップス」では 「(Sittin' On) The Dock of the Bay』は何週もトップを続けていて、巨泉がつまんない駄洒落を言っていたよねー。忘れてしまったけど、忘れてもいいようなオヤジギャグだった。 それは、68年のことでした。言っておくけどわたしは小学生よ〜ん。でも、良いものはわかるのだ。本当によく覚えている、この頃の放送を。オーティスのこの曲は飛行機事故で亡くなる3日前に録音されたのだそうだ。67年のこと。死後に大ヒット。その歌詞の内容は、「やっぱ世の中変わんねえ、ただただ俺は海を見つめて座ってるだけ」。68年はオーティスが死に、キング牧師が暗殺された年となった。スティーブ・クロッパーのような白人ギタリストと共に名曲を作ったオーティスの最後の曲の内容を思うと呆然となってしまうねえ。盛り上がった気運がへこんでいく。そして、時は流れオバマだ。道のりは長いが歴史は胸熱くする。

 ついでにシーカーズの「ジョージーガール」もyoutubeしてしまった。サントラになった映画もところどころ見る。シャーロット・ランプリングが出ていた。はぁ〜楽しいわーお正月って・・・


◆2009年1月2日(fri) 犬も歩けば棒にあたるのココロ

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チイちゃん 、空を飛ぶ



 今年のお正月は母、我が家、姉の家族でお墓参りのあと、実家に集まりゆったりとすごす。
最近はもうおせちは作らないことになり、いろんなおせちを母が用意してくれている。今年のは相当高級だったらしく、たしかにおいしかった。こうゆうものはあまりおいしいと思ったことがないけれど、今回の京都の料理やさんのは凝ったものが多くて感心してしまった。特に、酢でしめたものは上品でおいしかったな。わたしはいつもカニとワインを持って行く。今年は母の好きなきんつばも持っていった。カニはネットよ、ネット。最近はネットショッピングがほとんどね。安いし楽だし楽しいし。ネットショピングは今後ますます使われるようになると思うけれど、嫌なのは、毎日毎日メールがたくさん来ることねえ。消すのすら面倒くさい。
 姉はたくさん 食料を持ってくる、それとホールケーキを2個。これらをペロッと食べてしまうのです。

 姉はいろんなものを持ってくる。昨年はカラオケ持参で、意外にも盛り上がり、笑えた。今年は「犬棒かるた」江戸のいろはかるたですね。これも意外な展開を見せてもりあがったのでした。うう〜ん、勉強になったなあ〜〜〜

 最初は普通に。1回目には駄目だったわたしが2回目にはダントツだったので、それは何故か?ということになる。「ヴィジュアルで覚えるからよ」と言ったことで、描かれている江戸風の絵をまじまじと見ることに。聞いたことのないことわざや、なんでコレにコノ絵なの?という疑問なカードがたくさんあり、3回目に時に新ルールができた。とった人は、そのことわざの説明をするのだ。途端にウチの子も手を出すのが鈍くなる。なかなか説明するのは難しいからね。ひとつひとつ取った者はわからないものでも推理して答え、その後はみんなでアアではないのか、コウではないのか?と意見を述べ合う。最後にウチの下の子が付属の解説書を読む。という進行。

 知らないものが意外に多いのだけど、推理するのは結構おもしろい。姉の息子が落語家のように語り倒すのがうまくて、感心しきり。そこで思ったのは、ことばもことわざも時代とともに変化しているということなのですね。江戸の伝統の絵はわけわからんものも多く、でもそれは元々の意味を表しているに違いない。今使われている意味とはそぐわないものもあるのだ。それに、意味がまったく逆にもとれるというものも多くて、おもしろかった。
 「犬も歩けば棒にあたる」というのは、悪い意味なのか良い意味なのか・・・で二つに分かれた。これはどっちもアリということらしい。なにかしら行動にうつせば、禍いにも遭遇するけれど、幸運にも遭遇する。そこからさらにこのことわざは、行動しなきゃ何事も始まらない、と捉えることができる、という具合になる。元々の意味よりも大袈裟になってきているようで変だとは思うけどね、イイことわざよね、と感心しちゃうのでした。
 その通りだよねえ。そのほかにも、たくさんの教訓があり、みんなして「ためになるねえ〜」と感心してしまった。こんなにかるたで盛り上がるとは思わなかった。おもしろいお正月でした〜。来年も違うかるたしようということになった。
 
 一泊して、母と一緒に実家の町田の街を歩く。店は増えたけど昔っからの商店街の雰囲気は残っていた。


今年はどんな棒にあたるかな?






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