◆2011年3月30日(wed) 「Yes,I will accept all」」制作の日々


「Yes,I will accept all./わたしはすべてを受け入れる」



昨年の秋に鶴見文化センターサルビアホールギャラリーを使えることに決まり、壁の大きさを見た時に日本の昔の絵巻物のようなものを作ろう、と思い立った。
源氏物語みたいの。右から左へと時間軸が流れ、ところどころに雲が沸き立ち、時間だけではなく空間も見事な展開を見せる。あんなものを。
今年に入って数年間精神的にも身体的にも山あり谷ありだったものが客観的にとらえられるようになったため、自分にとってのその数年間の精神の時間の流れを描こう、と考えた。
といっても、特に壮大なものにしようと思ったわけではなく、わたし自身の総まとめのようなもののつもりだった。
だから、内容的には重たいけれども、絵の中にはわたしの今まで好きで描いて来たモチーフやら、単に構成的に見てピンと来たものや線やらをあまり考えずに描くことにした。

壁は9メートル。その中に5メートル、幅1メートルの木版画の紙を貼り、下半分を絵巻物風な風合いの土佐の三椏紙を使って現実の世界とし、上半分を天空の世界とした。
上半分の天空の部分は、わたしにとってはとても重要だ。よくわたしはずっとずっと上の方からわたしをめがけて何かが落ちてくるような気配を感じているからだ。
それを表すために下半分の世界とところどころ繋がるような線を描いた。

完成の数日前に今回のメンバーの時任さんに壁に貼るプロフィールを送らねばならなかった。彼女がきれいに作ってくれることになったのだ。急遽推敲無しで今回の想いを書いてメールした。
以下がわたしのプロフィールに書かれた文章だ。

『今回はいつもと違う素材「塩ビ版」を使用し、いつもと違う技法「ドライポイント」でほとんどを制作し、
いつもと違う和紙「三椏紙」を使用しました。
東北・関東大震災の前までに9枚つづきの絵巻の5枚目までを制作しました。哀しみに満ちた人々が嵐の海に船に
乗り込んでいます。導かれて進むと行く手に不条理な黒く、大きな何かを目の前にします。とても怖い。
けれどもどうしてもこれが描きたかった。
しかし、そのあとの4枚は希望に溢れたものになるはずでした。けれども、実際にわたし自身が感じたあの地震の恐怖から、簡単に「希望」
などという言葉を発するわけにはいかない、と感じました。急遽その後の4枚の下絵を廃棄し、改めて
喪章をつけてこそ得ることのできる未来を描こうと決意しました。
工房が一時閉じられたり、緊張を強いる放送を見ることで作業は思うように行きませんでした。けれども、
最後まで描ききることにこそ、今回のわたしの作品には意味があると思い、手直しをいっさいすることなく展示するに至ったことを、
残念である、と思うことはありません。この気持ちは今後も持ちつづけるものであり、制作もここで終わるわけではないからです。


下半分の部分を順番にご覧くださいませ。右から見ていきます。制作の日付も入れました。
大きさは縦43.5cm 横53cmの塩ビ版の2版刷りです。


<3枚目-3/6完成>

波はいよいよ激しくなる。この船を動かすパイロットはレースをかけられ舵もろくにとることができない。カラス人間がどこかへ導いているのか、それとも手助けしているのか、どちらとも言えない。雨も強くなる頃、猿は何かを見つけた。
<2枚目-3/3完成>

船の上にはたくさんの人が乗っている。歯車に支配される人たち。カラス人間もいるが、大天使ミカエルもライトを持って一緒に乗っている。人は悲しいことも素敵なことも、捨て去って進むわけではなく、一緒に持って行くのだ。天使はそこにいるとは感じないかもしれないけれどね。きっといつもそこにいる。
<1枚目-2/23完成>

DM制作のために早目に制作。良く描いているカラス人間は邪悪なイメージなのだが、どこかおかしくもある。歯車を漸く描けるようになった。わたしが一番ヘトヘトになっていた時に目の前に現れた怖い怖いものだった。泣き女は実際に中国で見たという年配の画家さんに聴いていて、リンチの映画にも出てたと思うが、妙に胸騒ぎさせる。
<6枚目-3/16完成

11日から4日間家でテレビの報道、枝野官房長官の会見、ネットであらゆる情報を辿る日々。津波だけではなく、原発というモンスターが関東、いや日本、いやさらに地球を襲う。23日からの展覧会はやりたい。何故って、今この絵を展示することには意味があると思ったから。ほかのメンバーもやる気が挫けることはなかった。地震二日目に後半の4枚の下絵を廃棄。最初の構想は、パレードのような明るいものだったのだけれど、もっとメッセージ性のあるものを描かねば駄目だ、と思ったのだ。しかし、報道が怖すぎる。手が震えるし心臓は早打ちする。雲だった部分は重たい緞帳を開く天使ウリエルにした。ウリエルは「智天使」という。叡智。天災も人災も人が持つ叡智によってきっと打開できると信じる。という気持ちだ。カラス人間を背負ったまま。
<5枚目-3/11試し刷り3/15完成>

11日、朝美容院に行きアッシュ系の色にしてもらった。それから原宿の工房に行き、試し刷りのインクを詰めている時に大地震は来た。5分ほど揺れている間に死を意識した。この絵がちょうど真ん中になる。陰と陽に分かれる部分、というか混ざり合う部分だ。4枚目が自分でも気持ち悪かったので、早く明るい場面にとりかかりたかった。試し刷りだけして避難。こんなに怖い経験は今までになかったなぁ・・・この日からわたしは違う生物になったような気がした。自分にとって何が大切なのか瞬時に選択を迫られた一瞬だった。三日間工房が休みになり本刷りは4日後となった。
<4枚目-3/9完成>

3月6日に急に黒くて不穏な丸い物体を描きたくなってグリグリと一日この気味の悪いものを描画していた。最初の下絵ではビルが3、4本建っていた。 この怖い物体の正体は何なのか自分にもわからなかった。しかし、雨は止み、水蒸気となっていったのだ。ここを過ぎれば・・・という想い。8日に試し刷りをして、さらに黒い物体を大きくした。
一緒に制作していたA子ちゃんに「ギリギリでできそうだね」と言われ「何も起こらなければね」と答えた。そんな日・・・

9枚目-3/20完成

昨年の5月の個展の最後に同じようなシチュエーションの絵を描いた。世間を騒がす邪悪なカラス人間に「まあ、お茶でも飲んで、そうイライラしないで」とお茶を入れてくれる者がいる。昨年はそんな親切にタジロイでいたカラス人間だが、今回は違う。カラス人間も天使も森も海もすべては分け隔てることはできず、一緒に進むしかないのだもの、「まあ、お茶でも」飲んでゆっくりしましょうよ。もうすっかりくつろぐカラス人間であります。

 こんな考え方は日本人はきっと素直に受け入れられるだろう。天災は誰のせいでもない。神のせいでもなければ、ましてや自分のせいでもない。哀しみも喜びもすべて引き連れて人は生きて行く。
わたしはすべてを受け入れる。しかし、人災に対してはしっかりと意見を言い今後そんなことが二度と起こらないように少しでも社会参加し一人一人が危機意識を持たねばならない世の中になったのだ、と自覚すべきなのだ。今までの自分を反省した。そして日本の未来をこの時はそう悪くない、と思った。

ちょうど原発にハイパーレスキューと消防の人たちがぶっ続けで放水していた日。わたしも彼らの任務が終わったころに、この仕事を終えた。ミッション完了!

 

<8枚目-3/19完成

13日から16日の間は2枚制作するのが精一杯だった。相変わらず原発は余談を許さない状態で、怖さと怒りとそしてまだモヤモヤとしていた最初にこの絵巻物を描こうとしていた時のテーマがハッキリと「やはりそうだったのだ。これで良かったのだ」と思えた日々だった。
8枚目楽器を描きたかったし、何かメッセージを入れたかったので、どんな風に構成するか時間がかかった。そのため一日家に引き蘢り。構成が決まったので下絵をザッとして塩ビ版の描画に移った。富士の方でも大きな地震がこの間あって、わたしは正直「ああ、もう死ぬんだな」と覚悟した。小さい時に学校の先生が「富士山が噴火したら関東平野は火山灰でほとんどが覆われます。東京タワーが少し出るだけ」と言った言葉を今だに恐怖で覚えているからだ。おもわず右端に富士山を描いた。
日本人は元々八百万の神の信奉者だ。エコだ自然だというずっと昔から大地と共に生きている。また座敷童やら幽霊やらとも一緒に生きている。生と死は同じところにあり、善も悪も同じところにある。だから日本人は強いしアッケラカンとしているし、柳のように柔軟だ。こんな震災が起こるなんて勿論知ってたわけではない。なのに1枚目から4枚目までは津波のような絵を描いたわたしは、最後のシーンでは静かな真っ平らな海を描かねばおさまらなかった。救われない、とも思った。そして、単にそこは静かなのではなく、そこから強く美しいヴィーナスがメッセージの旗を高く掲げていて欲しい!と思ったのだ。さて、そのメッセージとは何か。これは空白にしておこう。できあがった時に書きいれよう。
<7枚目-3/17完成>

もうギリギリのペースだ。一日一枚のペースでやるしかない。6枚目からは試し刷りは無しで、すべて一発勝負だ。
最初の構想と同じ部分は天空から降ってくるピンクのゼリーの中の2のメダルくらい。2のメダルは2年前に渋谷の公園通りの頂上あたりで汗にまみれた状態で見た。そう、見たのだ。本当は数字では5が好きだが、見てしまったものを受け入れよう。彼女達に喪章をつけるのはやはり躊躇された。喪章は後ろの塔に縛り付けた。報道を見ているうちに外国風な作風のわたしでも日本への愛が湧いて来た。無かったわけではないが、より意識を強くした。梅の季節は少し過ぎたが、梅をちょっとだけ描いてみた。in Jelly。わたしが一番心地よいと思う場所。




残念ながら、今また原発のことで日本はスゴく悪い方向に行ってると言わざるを得ない。これは悔しい。こんな事を許してしまったのは少しは国民にも責任がある。ああ、でもしかし、やっぱりそうじゃないよ。

●泣こう
  この絵をあの状況の中で描きつづけたことは本当に良かったと思う。下絵はどんどん変わっていき、最後の4枚はまさにライブだった。そして、描き通して展示したことによってわたしはとても素晴らしいものを得た。
というのも、あの地震以来初めて遠出した、電車初めて乗った、という人が何人もいて、ほかの人も100%わたしの絵の前で立ち止まってあの日のことを話してくれるのだ。奇しくもわたしは「泣き女」となったのだ。わたしが泣き女の役割をして、みんながあの日以来初めて自分の怖かった体験を吐き出しながら、その時思ったことを語ってくれた。
 ある人は「もう死ぬんだと思った」と言い、ある人は「選択を初めて迫られた」と言った。「自分にとって大切なものがわかった」と言う者、家族と離れ東京にいなかった人は「罪悪感を感じた」と言った。「一人は怖い」と「家族のところに行きたかった」と言った人もいる。「怖くて絵が描けなかった。でも、描くべきだった」と言ったイラストレーターがいた。4枚目まで見て足がとまって泣いた人がいた。「泣き女」となったわたしは、彼女が堰を切って涙を流したことでホッとした。「泣き女」とは、泣けない人の先頭に立って泣き、泣くことを促すのが仕事なのだそうだ。泣けないのは良くない。我慢強い日本人は美しいと思っているけれど、泣かなければ気がおかしくなってしまうかもしれないよ。
 この絵を描いたことはわたしのミッションだったのだな・・と思った。「自分のやれることを今やろう」と今みんなが口々に言う。わたしのやれることはこうゆうことだったのだね。





◆2011年3月27日(sun) 「わたしはすべてを受け入れる」


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「Yes, I will accept all/わたしはすべてを受け入れる」5m 全貌



●「いつも違う大版画4人展」は3日目です。 

  きょうは夕方7時から(6時ころから多分バタバタと用意すると思いますが)9時(9時半「いつもと違う大版画4人展」は残り2日 http://bit.ly/e235he

  文化センター内のギャラリーなので絵の販売はありませんが、ポストカードやCDなどは売っています。 これらは東日本大震災(という名称になったの?)の被災者へのチャリティにしています。 プレス機を持っていってます。急遽311を忘れないように制作した版画をその場で刷っています。

生乾き!!!窓辺で乾かしてますので、お好きな刷りのものを選んでね。
こちら生乾き版画はそれぞれ500円です。これも勿論チャリティです。多くの方が多分いつもより1枚多く、って感じで嬉しいです。 絵を選んで貰えるのはわたしたちにとって嬉しいことだし、お客さんも気に入ったカードを持って帰れて、さらに募金になるから、こうゆうのはいいなーと思う。
 わたしの5m作品「わたしはすべてを受け入れる・Yes!I will accept all.」」は大き過ぎで写真が撮れません。 一応こんな感じです。是非、今見て欲しい。今日本人が生きていく方法。そして、それが世界をリードしたら良い。

会場の様子はブログの方に28日にUPしていますので、そちらも見てね。
(ダイアリーとブログとあってややこしいですが、ネットで事故があった場合データが無くなると嫌なので、一応ブログよりはコチラを充実させておりますです)
http://eggdays.exblog.jp/d2011-03-28/


◆2011年3月25日(fri) 311、この日は大切な日なのだ


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9連作の8作目の絵。海から現れたヴィーナスは旗を降る
Yes, I will accept all/わたしはすべてを受け入れる


急遽311を忘れないための版画を制作。腐食6時間したところ。



●「いつも違う大版画4人展」は3日目です。 

  きょうは夕方7時から(6時ころから多分バタバタと用意すると思いますが)9時(9時半くらいまで)までナイトイベントというのをいたしますです。
 文化センターは夜10時半まで開いているので、それに合わせて何かやろうよ、ということだったのですが、11日の地震から少し軌道修正しました。

 この日から明らかに東日本の人たちは人生が変わったと言っても良い。
わたしにとっては今まで持っていたモヤモヤとした死生観がハッキリと「ああ、やっぱりそうだったのだ」と認識をあらたにした日だった。だから、この日を忘れない。この日を忘れないようにしたい。

 そこで、版画家のわたし(たち)は、ミニプレス機を使って、4人それぞれ、この日を忘れないような版画を刷ることにしました。ミニ版画をその場で刷って、みなさんにお配りします。 みんな、この日を忘れないようにしよう!
 この日失ったものは大きいけれど、大事なものが何かもわかったのだもの。この日は大切な日だ。

 きのうは6時間コッソリと会場で銅版を腐食してましたよん。メッセージはこう 「Yes, Leave it (to me)」オレに任せろ!! と、カラス男が言っております。

 ワインほかおつまみ程度のものもあります。展示の様子など緩い映像も適当に流してまーす。 タラタラとお越しくださいませ〜


●Yes, I will accept all/わたしはすべてを受け入れる

 わたしの5メートルの(53cmの作品を9枚繫げた)作品は22日の搬入時に会場でダダダと広げるまで実体が明らかにされず、その時を待ってタイトルをつけようと考えてました。壁に3人がかりでとりつけたあと、遠目に眺めて唸った。
 地震のあとの制作の後半には平和な海から生まれでた旗を掲げるヴィーナスを描いてみた。この旗にわたしは何を書けば良いのだろうか・・・・・・・  この空白の部分を埋めた時に、この絵は完成するのだ。

 初日の朝になってようやく自分の素直な気持ちを書けば良いのだ、とスッキリした気分で決めた。

「Yes, I will accept all.」 わたしはすべてを受け入れる 。

 初日には鉛筆で書いたが、気持ちがハッキリしたので2日目のきのう、筆で大きく描きいれた。完成。 来てくださったみなさんに、どのような制作過程だったかを説明してます。口に出して説明するごとに、気持ちはハッキリしてくる。

さ、きょうも行ってきますよん!10時45分ころ到着の予定です。 会期中は毎日全員がギャラリーにおります〜

 是非 http://www.satomin.jp/info/exhib/salvia.html

 


◆2011年3月21日(mon) 青空が待っている


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 大分たってしまいました。わたしとしたことが天変地異には勝てず。というか、わたしはやる気満々でありましたが、プレス機のある工房が地震のあと二日間閉鎖になってしまったために、ギリギリ計算のわたしのスケジュールが大破綻したのでありました!

 予定としては、地震の11日までに9枚の絵巻物作品は5枚目を刷り終わっているはずで、工房閉鎖の二日間でさえ家で集中すれば3枚くらいは描画の段階までできるだろうと思っていた。ところがどうだ。家にいると津波や被災者の悲惨な現実や、加えて原発の危機の報道に一喜一憂してしまい、テレビに枝野さんが出るたびに指がとまってしまう。余震もつづき、あの日の怖さが蘇り手が震えて線が描けない。怖いからついネットサーフィンしてしまう。というわけで、全然描画が進まず困ったものだった。
 こうなったらもう試し刷りなんてものをする時間はない。現在塩ビ版を使っている。これはインクの拭き取りが非常に大変で、53cm幅の作品を1枚刷るのに3時間はかかってしまうのだ。

 ●15日、火曜日。
 地震の日に途中になった5枚目の本刷り終了。ヘトヘトだ。節電せねばならない状況の東京。原宿は薄暗かったけれど、普段からこのくらいの方が落ち着いていい。店から大きな音の音楽も聞こえなくて、これも良いな。人も少ないし、昔の原宿のようで懐かしい感じがした。
 福島の原発は1号機の次に3号機が危機。その後2号機も!丁度「2」のメダルが落ちて来る絵の描画をしていたためにビビった。わたしには予知能力なんてものはないと思うけれど、今回の絵には暗示するものが多すぎて、自分が怖い。そして4号機までもが!この間もテレビ、ネットから離れられず手も震えながら描画。石原都知事の「天罰」には驚いたなあ。君は神を信じないのではなかったのか?あと5日で4枚・・・・。友人知人の展覧会が次々と延期や中止になった。会場の都合でそうなることが多いのかもしれないが、こんな時なので交通手段も難しいし、停電にもなるし、人も出てこれないだろうから仕方がないことかもしれない。我々がやる鶴見の文化センターサルビアホールギャラリーは、我々がやりたいのであれば普通に開きます、ということだったので、ヤッタ!わたしたちはやる気満々です。だって、「いつもと違う大版画」なんですもん。こんな風にいつもと違う状況でこそやらないでどうするっ!ってなもんです。金曜日のナイトイベントの日は当初9時半までとハガキには書いてましたが、9時頃になるかもしれません。ご容赦を。そして、メンバーからポストカード等の売り上げは募金しよう!という意見が出て、だったらいろんなもの持っていこう!と思ってます。人がたくさん来なくてもいいんです。今やりたいからやる。もしも興味を持ってくださる方が来てくれたのなら、嬉しくて嬉しくて、誠心誠意おもてなしいたしますわ〜、てな感じです。完成できないかもしれない。それでも今やりたい。だからできなかった部分はその場で描く。それでもイイと思った。
 枝野さんばかり見ているので興味が湧いて調べてしまった日。声もいいししゃべりがうまいと思ったら、弁論大会3年連続優勝。合唱団で優勝なんてのを発見。しかも東北大学出身なんだねえ。一生懸命だ。わたしの寝ないで描画すれば完成するだろうか?と思ったけれど、精神よりも身体は正直なのである。恐怖と不安で身体は思ったよりも疲弊している。これは今日本人みんながそうだろう。毎日どうしても起きていられない。クタクタなのだ。カンニング事件やらくだらないタレント話を追いかけるしょーもないマスコミがうようよしていたあの日が懐かしい。
 さらにこの日は大きな地震があり、あわや富士山噴火!?!?とわたしは心臓が飛び出そうだったよ。千年前の古文書(この古文書という言い方にそそられるものがあったりして)によれば、岩手に大地震があったあと富士山が噴火、天変地異の年でったと・・な。これを知ってからさらにドキドキしてもうたのだった。ついに来たか・・・。しかしその時代には原発はなかったのだ。今は原発がある。はぁ〜〜〜なんてこったい。しかしFUKUSHIMA 50のみなさんががんばっているのだ。みんなで応援しよう!するしかない。

 ●16日、水曜日。
 6枚目完成。あと3枚となった。東北は被災者の様子があまりにも悲しい。そして関東は原発と節電と買い占めだ。都心の我が家は節電地域に入ってない。これはなにげに申し訳ないという感じにさせられる。わたしも節電しとりますよ。しかし、東京の電気は原発なくても大丈夫なんだそうで、これは火力発電所も機能してないってことなわけでしょうか?ようわからん。でも、こんな風にして節電するのはいいことだし、日本は原発がなくてもすばらしいスーパーエコ先進国になれないでしょうか?または、もっと頭のいい人が現れて、原発よりもスゴい発電機器を発明することだ。原発の危機を知った瞬間にわたしはアインシュタインの顔を思い浮かべた。アインシュタインより天才。現れないのならスーパーエコ。

 「がんばれ」ということばが大嫌いだ。わたしがうんと厳しい状態にあった時ヒトから「がんばってね」と言われ苦笑いするしかなかった。こんなにがんばってるのに、これ以上わたしにどうしろというのだ、きみは。わたしにもうがんばれなんて言わないで。それよりも見守ってるよ、とか、いつもきみを思ってるよ、とか、そんな言葉が欲しいと思ったものだった。今被災者の方たちも本当はそんな風なんじゃないかと思う。がんばりようもない状況で、「がんばれ」「がんばれ」って言われたくないと思います。

 しかし、わたしは自分におもわず「がんばれ」とこの日言いました。それから原発にも頑張れと言いました。機械に頑張れと言ってもしょーがないのだけど、テレビに繰り返し映るボロくなった建屋(たてや、というのも初めて知った)を見るとわびしい気分になってしまい、思わずこれにもがんばれと言いたくなってしまうのだ。自衛隊や消防の人にはありがとう、と。そして世界各国の人々にもありがとうを。

 普段諍いのある中国やロシアの人も応援してくれる。今世界の共通項は地震だ。隣近所の人、知らない人、今共通項「地震」でみんなが繋がっている。同じ恐怖を味わって少しみんなヒトに優しくなったね。


 インテルの試合を見たら、試合終了後にアウエイのバイエルンのスタジアムからジェリー&ペースメーカーのYou'll Never Walk Aloneの合唱が7万の観客から沸き上って感動してもた。長友のいたFC東京の応援歌だけど、リバプールのチームのものとして有名だ。これは長友がいるから歌ってくれたのだろうけれど、感動のあまり涙が出てきてしまった。イイ曲だよ。まさにまさに、今こんな気持ちで。

 ●17日、木曜日
 買い占め野郎がたくさんいて卑しいと想う。おれっちは武士じゃけんそんなことはせんぞ。というか、パニックというのは無知からくるのだ。
 7枚目完成。あと2枚。不吉な題材から漸く希望が見える絵になってきている。これも一発勝負。試し刷りはしない。
相変わらず原発危機。フランス、英国、アメリカ、ロシア等々原発についての危機感が違う。この差はなんだろうか。

 もの凄い空母、ヘリ、消防車が登場。目が釘付け。こんなにわたしは働く乗り物が好きだったか!と発見してしまった。5歳児並だ。また、消防の人たちの半纏がすばらしいなあ。すばらしい活動をされていたハイパーレスキューの隊長さんも半纏に纏を持ったらしっくりきそうな風貌であった。こんな能天気なこと言っていいのかしらん・・・許して
 

 ●18日、金曜日。
 家でひたすら8枚目の描画に必死になる。8枚目には1枚目とは違う穏やかな海が表れる。ここを描かねば浮かばれないよ。下絵から描画まで一日がかりだ。

 ●19日、土曜日。
 千石の和紙屋さんに行く。木版画用の厚めの和紙、縦1メートル、長さ5メートル購入。わたしの絵の出来上がりは53cmの版画が9枚繋がるので、4m77cmになるのだ。毎日真冬のような寒さで被災地は過酷だろうと思うが、この日は暖かくて、セーターもいらないほどだった。よかった。
 工房にて8枚目一発勝負。慣れてきたので試し刷りはなくても大丈夫になってしまった。あと1枚。家に帰って最後の絵にとりかかる。最後の絵は以前描いたものを踏襲している。だから下絵はラフ程度で、あとはドンドン描画していく。本当にヘトヘトだ。

 ●20日、日曜日。
 ついに9枚目も完成してすべてができあがりました。やった・・・・・・がんばったなーオレ
最後の方はもうハイパーレスキューの人と共にという感じで、ガンガンやって、8時間放水のあと、わたしも任務完了という感じだった。ギネスを買って帰った。
 一人で祝いました。波乱に満ちた制作でした。忘れられない作品になりました。

You'll Never Walk Alone
青空が待っている。

 是非 http://www.satomin.jp/info/exhib/salvia.html

『いつもと違う大版画4人展/WALKING』
鶴見区民文化センター サルビアホールギャラリー
2011/3/23(wed)〜28(mon) 10:30〜20:00 最終日18:00まで

25日(金)は19:00から ちょっとお楽しみが・・・・
横浜市鶴見区民文化センター サルビアホールギャラリー
JR 鶴見駅東口徒歩3分 シークレイン正面エスカレーターを上って3階
〒230-0051 横浜市鶴見区鶴見中央1-31-2
TEL:045-511-5711   FAX:045-511-5712
http://salvia-hall.jp

三階朝子-------紙版画・銅版画
時任亜矢子----シルクスクリーン
松本里美------銅版画・塩ビ版
溝上幾久子------銅版画・紙版画 コラージュ
の4人が、いつもと違う切り口、でも版画!で大きな壁面に挑戦します。 ★25日の花金(!)には夜の仕掛けがございます。 BAR TIME そして、ギャラリーがWALKING 19:00〜21:30までです。 ふらりとお立寄りくださいませ。
関連サイト
溝上幾久子
時任亜矢子

 


◆2011年3月12日(sat) 東北のみなさん、人の力を信じよう!


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 きのうの大きな地震、わたしの回りはみんななんとか無事だった。 本当にそれはラッキーとしか言いようがない。

 とにかく今は、自分が何ができるのかを考えるのが先決だ。 わたしはTwitter、Facebook、mixiに、そして一緒にいた仲間に助けられた。 正しい情報と人の力、人の愛。これに尽きるということだ。
 停電が一番キツいようなので、とにかく節電しよう! きょうはお好み焼きにしようと思ったけど、ホットプレートはやめてフライパンで作るよ。
 子どもたちも携帯電話で情報をどんどん回しているようだ。大人はそれが間違った情報じゃないかどうか確認してあげた方が良いと思った。子どもは一気にウワサを流すからだ。コスモ石油のガスはLPガスで、雨に有毒なものが含まれる危険はないということだ。有害な雨が降る、と携帯で回していたので、一応説明はした。
 
 原発が心配だ・・・・・でもパニックにならないように情報は見ておかねば。 まだまだ何がおこるかわからないのだし、東北では何も納まってないので、実際的な話をできるだけして欲しい。評論家はまだいらないよ。だけど、楽しいテレビも見たいなあ。 **************

 工房で大揺れになった時には友人6、7人と励まし合って助かった。 その後原宿のソフトバンクでiPhone充電させてもらって、あたりを見回すとみんな携帯片手だ。 駅にむやみに走る人もない。みんな携帯でなんらかの情報を得ているからで、慌てなかった。
 ツイッターでは青学が非難場所提供、というのがいち早く流れた。その後どんどん避難場所の誘導のツイートが流れた。そのうち、実際に歩いている人の情報、バスの状況、テレビでは何か報道されているかの情報、トイレの情報、子どもがいる場合の対処法、そして東北各地の津波の恐ろしい情報もドンドン流れてきた。わたしのフォロワーに変な人がいないということなのかどうなのか、デマのようなものは何も見かけなかった。往々にしてこうゆう災害の時にはデマが流れるものだけれど、実際はどうだったのだろう。

 今まで生きて来て最大の恐怖だったけれど、今まで生きてきてたくさんの人と知り合ったことをこれほど大切に思ったことはなかった。渋谷近辺だったら、何カ所も頼りにできそうなところが頭をよぎった。原宿で会社をしている知人のところに一緒にいたA子ちゃんと転がり込ませてもらい、本当に助かった。テレビも暖房もお茶も飲み放題。トイレの水も流れるし、パソコンもつかえるし毛布もある。近所のオシャレカフェで夕飯もとり、ハッキリ言っていつもより贅沢していた。

 それでも、家族とメールや電話が通じなければ幸せとは言えない。 明治通りは人の波だった。何がなんでも家路につきたいという気持ちは熱いものを感じさせる。 トイストーリーのウッディも言っていた。「おウチが一番!」。 いつものお部屋のいつもの家族のいつもの会話がどれだけ幸せなものかが良くわかる。 被害にあった人たちは、いつになったらそんないつものシチュエーションに戻れるのだろうか。
 深い傷は残ろうとも愛する人と一緒なら乗り越えられるだろう。
 人の力を信じよう。
 できることをしよう。さらに何が自分にできるか考えよう。 祈ろう。

 とにかく東京は納まったと言ってよい。ギターが倒れたとかCDのケースが壊れたとか、どうってことない。
 今も原宿の路地で足がすくんだまま上を見上げた時、揺れる建物で変形して見えた空が脳裏に焼き付いて苦しくなる。が、それもたいしたことではない。 それより東北の津波の映像に心臓が止まりそうだった。

 朝になって混み合った電車の中の一人一人が背負ってる生活を映画のように思いながら、帰宅できた時、マンションの玄関に桜の花を見て急にホッとなった。元気だそう! そう、それでも花は咲くのだから、ね

 


◆2011年3月3日(tur) いつもと違うことをするのだ!


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左上ー松本里美、左下ー三階朝子、右上ー時任亜矢子、右下ー溝上幾久子






3月に入りまして、もう先月マヤ展終わると同時に次の展覧会のための下絵に取り組んでおったとです。
鶴見の3月に開館の文化センターサルビアホールというのは、音楽ホールのある施設で、同じフロアーに大きなギャラリーも備えているのであります。昨年アルパ演奏家(南米のハープです)の峰岸桂子ちゃんがホールの予約と一緒に彼女の友人の画家さんのためにギャラリーも予約していたのですが、急遽キャンセルになり、鶴見近くに住んでるじゃん!やんない?と言われて請け負ってしまったのでございます。

 ではやったろうかい!鶴見の版画作家友達もいるしぃ、人数は集められそうだしぃ〜と思っていたのでした。しかし、会場の様子を知った時、その大人数で、という考えはなくなってしまいました。広い。パーテーション多い。100人でもできそう。と、わかった瞬間に、へそ曲がりのわたしは、大人数でやらない!少人数で一人10メートルだ!と決めた。

 ちょうどこれが決まった頃、わたしはいくつもの個展やグループ展を終えたり控えていたりしていて、毎回のストレスがどこにあるかがわかってきていたのでした。それは、「額」。それは、「売るということ」。この2つなのでした。

 個展もグループ展も企画展がほとんどのわたしですが、その場合どうしてもある程度(というか本当はうんと)売れなければ、やはり企画してくれたギャラリーに申し訳がたたないのです。爆発的に売れるなんてことはこの不景気な日本で滅多にはないけれど、それなりに企画してくださった方には恩義をお返ししたいと思ってはいるわけです。なかなか想い通りにはいかない時もあるけれど、気持ちはいつも「ありがとうございましゅる〜、わたしのようなものの個展を開いてくださいましてぇ〜」と感謝してるわけです。感謝もしてるが小心者なのでストレスにもなる。
 また、わたしの作品は額にちゃんと入っている方が向いていると思っていて、額に入れて飾ってもらえたらなあ、と基本的には思っているため、ギャラリーに合わせて毎回とっても頭を悩ませている。絵を描くのは全然大変だと思ったことはない。でも、額を選ぶ。マットサイズを計る。大きな額を輸送する。こうゆうことは別に好きでやってるとは言いがたい。誰かやってくれないものか・・・といつも思っている。この時間が惜しい、とさえ思っている。

 そんなこんなのストレスが、この鶴見のギャラリーを見た時オレの頭の中でフッ飛んでったのさ!ワハハァ〜〜〜!

コの字の壁はそれぞれ9メートル、10メートル、11メートルありまして。あと1辺は広い窓です。誘ったのは、鶴見にいる版画友達。三階朝子ちゃん。彼女は以前から額にいれるだけではなくてタペストリーのようにしたものなども作っているし、会場をレイアウトするのがとっても得意なのです。どんな場所でも客観的に見てレイアウトすることが出来る人なのでした。また、わたしと同じ街に住む時任亜矢子さんも誘った。彼女はシルクスクリーン作家。これでもか〜〜と花を描いている。モチーフは柔らかだけれど、そのストイックさが良いのだ。そして溝上幾久子さんも誘った。彼女はデッカい版画もするし、コラージュやら立体やらいつもアイディアがすばらしい。精神的に方向性が決まれば集中して作品に向える人なので、10メートルなんてわけない!と思ったのでありました。

 というわけで、4人でやっちまえ!額のことやら売ることやら、考えないで自由にやろう!大きな壁に今の自分を映し出そう!と盛り上がったのでありました。

 お正月には鶴見のレトロなもんじゃ焼き屋で楽しい女子会打ち合わせ。大きさのせいかたまにビビリの波が来るのではありまするが、女子の力は暖かく強いのであります。励ましあえるのは女子ならではなのであります。現在4人の版画家、それぞれが、いつもと違う方法での版画に挑んでおりますので、どうぞ、お楽しみに!!!

 次回は、わたしが何をやってるのかについて語りまする〜〜

 DMできたのでお知らせよん。 http://www.satomin.jp/info/exhib/salvia.html

『いつもと違う大版画4人展/WALKING』
鶴見区民文化センター サルビアホールギャラリー
2011/3/23(wed)〜28(mon) 10:30〜20:00 最終日18:00まで

25日(金)は19:00から ちょっとお楽しみが・・・・
横浜市鶴見区民文化センター サルビアホールギャラリー
JR 鶴見駅東口徒歩3分 シークレイン正面エスカレーターを上って3階
〒230-0051 横浜市鶴見区鶴見中央1-31-2
TEL:045-511-5711   FAX:045-511-5712
http://salvia-hall.jp

三階朝子-------紙版画・銅版画
時任亜矢子----シルクスクリーン
松本里美------銅版画・塩ビ版
溝上幾久子------銅版画・紙版画 コラージュ
の4人が、いつもと違う切り口、でも版画!で大きな壁面に挑戦します。 ★25日の花金(!)には夜の仕掛けがございます。 BAR TIME そして、ギャラリーがWALKING 19:00〜21:30までです。 ふらりとお立寄りくださいませ。
関連サイト
溝上幾久子
時任亜矢子

 





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