◆2009年7月30日(thu) カニングハムの最強タッグ

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松本里美の『銅版画集&CD』制作日誌はコチラd0905

きょうも、好きなモンを書く。
マース・カニングハム
ジョン.ケージ
マルセル・デユシャン
フルクサス
ダダ

最強タッグ(と思っている)
音:ケージ、ダンス:カニングハム、美術:ジャスパー・ジョーンズ

 





●とまどいのフルクサス
 きのうの朝、わたしが今まで生きてきた中で一番恥ずかしいと思っている歌を頭の中で歌ってしまいました。それはチャゲアスのチャゲと石川某という二人の歌った夏の歌で、世界一カッコ悪いデユオなもんだから自分でビックラしてしもうた。だって、
「なつなつなつなつ、ココナッツ、あいあいあいあい、アイランド〜」って・・・・・・コリャ、ないでしょうよぉ〜。当時の歌番組で見ていた恐ろしくダサいダンスとファッションと共にトラウマのように頭から離れないものになっていたものなのだ。だというのに、その後すぐにネットで舞踏家のマース・カニングハムが老衰で90歳で亡くなったことを知り、彼のまつわるカッコいい人々の絵ヅラも脳の半分に浮かび、チャゲと女デユオとが、半々にわたしの脳ミソを占拠。
 カッコ悪いのとカッコいいのの両極端と思われるこの二つの映像が、同居してしまったことに対し、ショックと共に、人間の記憶って、好き嫌いじゃないのね・・・、脳ってものはキホン混沌なのね、自分ではコントロールできないものなのね、・・・等々、ブラックホールに落ちていくような気分となってしまったのでした。

 チャゲと女の歌は捨て去りたいと思ってウン十年なのに、あのダサさ故にこびりついてしまい、本当にいい加減に解放してもらいたい。もっとダサいもんが出てこなくちゃ消えてはくれないだろうな。音楽でもなんでも、ちょっとダサいもんが入ってるほうが、受けはいいことになっている。カッコよいメロディのなかにワンフレーズ恥ずかしいもんを入れると、かえってグッときたりするものなのだ。絵でも同じだな。

 なんてことはいいのだ。とにかくいつかは亡くなってしまうのだから、亡くなったことに関してはもう何も言わない。老衰だし。ただ、わたしにとっては、この人は先日亡くなったピナよりも数十倍も重要なアーティストだったということにおいて、シッカリととらえ直したいと思った次第なのだ。朝目覚めた時には、カッコ悪いものではなく、カッコいいものを脳に思い浮かべたいのサ。
 わたしは今も昔もフルクサス、ダダが好きなのだ。このおかしなモノが好きなのだ。カニングハムは別におかしな人ではないけれど、ジョン・ケージを理解し、お互いに創造しあった。ルールが全面を占めるダンスから、ダンサーの個性を解放した。ルールは最小にとどめ、即興性をもたせ、ダンサー個人の経験や記憶、想像力にゆだねる。それはそれで大事な部分なのだけど、やはりわたしにとっては、この人が現代音楽家や現代美術家と作品を作り上げていったことにこそ魅力を感じているのだ。舞台の作りは、ピナ・バウシュとはまったく違う。60年代のポップでサイケな時代が背景ということもあるだろうけれど、デユシャンやジャスパー・ジョーンズの作品を大胆に使っていた。これがもう、わたしにとってはゾクゾクするものだった。
マース・カニングハムとジョン・ケージ。同級生。素敵な出会いでした。
http://www.youtube.com/watch?v=NLOWy3ys8Ag&feature=player_embedded
このように、長いテーブルの上にオープンリールのテープレコーダーを並べている様子は、美しいですね。ちょっとしたルールとそれによってうまれる偶然性のおもしろさがあります。これ以後、どんだけこうゆうスタイルが使われていることでせう。カニングハムの公演の写真が好きです。わたしの興味は踊りよりも断然音と美術にあるということは、否定できません。テーブルの上に並ぶエフェクター類やアナログシンセのなんと美しいことか。しかし、いつまでもいつまでもこういったスタイルが使われることを目にしてきて、なんというか、懐古以外の想いはなくなってしまった。この当時は音+カニングハムの目新しいダンスがあったわけで、その変な動き(だって、変なんだもん)にも目がいってしまう。彼がフルクサスだ、とは言わないけれど、この変なもん・・・見ているもの、聞いているものに「とまどい」を与えるもの、これはやはりフルクサスなのだろう。
 「エ!?これ何?」と思わせるもの。それは「驚き」ではないのよね。胸の中にモヤモヤっとする感じ。ひっかかるもの。いつもと違う空気。本当じゃないようだけど、これが本当かも?と思わせるもの。
 そんな動き、そんな音、そんな美術。

 脳の中はキホン混沌としている。と、ここで最初に戻るのだ。知っている世界も知らない世界も放り込まれている。表面に主役として出てくるものは、ある時はいつも気にしているものであり、ある時はまったく気にしてないものとなる。

 その動きは、その音は、その絵は・・・・気にしてなかったのに実は脳の奥にウッスラと漂っていたものだったとしたら、気持ちが悪いなあ、変だなあ、と思いながらも、目を背けるわけにいかない。そんな「とまどい」は刺激的ではないか。
 グニャグニャと混ざり合うノイズも、普段はうっすらと生活の中で聞きつづけているのだろう。主役に躍り出たばかりに顔をしかめられたら、それはワリが合わない。
 だからといって、いつも主役になったらわたしは嫌いになる。
 だからといって、チャゲと女のデユオは記憶から抹殺したいと、ひざまずいて祈りたいのだった。

http://www.youtube.com/watch?v=mJ5Cl30_KvE&NR=1
デユシャンとケージ作品(よくわからないが、マン・レイとダリウス・ミヨーの映像も入ってるっぽいのねえ、コレ。)
youtubeってこうゆうのが見られて楽しいわ。

 カニングハムの話はどこいっちゃったっけ???

●海賊党

 youtubeで上のようなものがたくさん見られてわたしは楽しいと思ってます。CDもあまり買わず・・・ヒトにいただいたりしている。DVDも先日たてつづけにいただいてしまった。どちらもまだ見てないけれど、ありがたいことです。ありがとう。きのうの朝は変な歌で目覚めたが、変なニュースにも目が覚めた。それはスウェーデンの海賊党が、大躍進。1名議席をとったということだった。スウェーデンという国は不思議ちゃんだ。一見地味そうなのに、実ははなはだ先鋭的なことをしでかすのだ。国民性なのかなんなのか。フリーセックス〜〜〜ちゅーのもそうだもんねえ。そんなに変な意味じゃないと思うけど。そして海賊党は、なんでもかんでもダウンロードし放題にするのだ(てなことを言ってたような)。
『大企業を潤すだけの著作権法や特許法を市民のために改革する』『著作権の保護期間を短縮する」とか。
海賊版という意味の海賊なのだ。ドクロマークをつけた支持者がたくさんニュースに写っていて、ひじょ〜にパンクだったねえ。
 このニュースも脳にうっすらはびこっていたのだが、そのあとたまたまスウェーデン人関係の人と会ったので、「どうなんよ?今スウェーデンは」と聞いてみたら、その知り合いも大使館で海賊党に1票投じていたのだった。オオ!なんて旬なことよ。となぜか嬉しかったのだった。相当盛り上がっているらしい、海賊党。

 石井さんが帰国して、素敵なお土産をいただいた。ありがと〜。最近いろいろいただいていてお礼をしなければいけないのだけど、チョ〜〜ットお待ちになってね。現在、個展のDM作ったりさらにイケメン版画増やしたりしてるんで、時間がないのじゃ。案の定切羽詰まってきたらアイディアがどんどん浮かんでくるんで、主役を選ぶのが大変なのだ。

 今回主役にならなくても、脳の裏側にうっすらおいて置こう。いつか主役に抜擢される日がくるかもしれない。



◆2009年7月23日(thu) ゴスなテキスタイルの仕事

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きょうも、好きなモンを書く。
ヤマザキ「ランチパック」ピーナッツ

永遠不滅

 





●イケメンばかり描いている
 ロンドンから石井さんが帰国。帰国までにわたしは石井さんの新刊本のための版画をすべてやっておかねばならなかったのに、結局ほかの仕事も重なり、さらに夏休みに入ったために子どもの用事もやらねばならないという、のっぴきならない夏に突入したため、ズリズリと予定はずれ込み、やっときょう全部が仕上がった。そして、きょうデザイナーKさんに工房まで来てもらって、すべて終わったのでした。ふぅ〜〜〜〜〜

 13体のイケメン全身版画は1色のページになるので、個展では色刷りしたものも数点いれようかな、と思ってます。個展は銀座の伊東屋で9月1日からで『原画展』です。本のための原画がメインで、そのほかもすべて人間ばかり、と思って制作している。数日前に大きめの絵を1点完成。こちらには11人のイケメンを描いた。今回描いているイケメンの数、数えてみました。18点の作品を制作。イケメンの数は36人!
 現在次の作品を制作中で、この作品には8人。女2人をのぞくと6人。全部で42人となる。そのあとの作品にも12人くらいはイケメンを描く予定で、そうすると合計54人。

 毎回個展では違うことをやってます。昨年の表参道画廊では、内面を強くだしたよりアート寄りな作品を出しました。

 表現する者というのは自虐的なところがある。
 鬱々とした日々を送っており、精神的に厳しい状態であったのにもかかわらず、そのことによって生まれてくる新たなイメージが嬉しくてたまらなかった。麻薬をやってるわけでもないのに鬱々となればなるほど別の部分では躁状態になり、発想は豊かになり(それがイイものかどうかは考えないし、無意味と思っている)、どんどんそっちにのめり込んでいく自分がいて、半分は恐ろしかった。その時の作品はどれも怖いくらい自分を表していて、正直な表現だけに愛せる。
 
 その気分をほとんど出し切り、最後の作品で半ば浄化させることができたので(笑顔で浮遊する人々を描いた)、まったく違った作品群に突入することができた。表参道画廊での内面的な作品群はわたしのために描いた。絵を描けてよかった。これらのわたしのための絵たちはひとまず胸に秘め、またいつか次の段階へと進めたいと思う。その一歩は工房展で出した。

●『St. Rock's Day/キヨシロに捧ぐ』

 ちょうどこれを制作していた時にキヨシロが亡くなった。タイトルはついてなかったのだけれど、グルグルゴニャゴニャした中、何か暖かくて愛に満ちたものは必ず存在し、そこから、煌めく新しい命が、明るい希望的な何かが生まれてくる、という気持ちのものを描きたかったので、その気持ちとキヨシロがやっていたことが結びついた気がして、そうゆうタイトルにした。キヨシロのおかげだな、と思い、あえて名前をつけて捧げてみた。誰かに捧げるというのは積極的な気持ちが込められていてイイナ、と思った。(縦30cmくらいの作品です)

 この作品は、元々お仕事で作ることになった「ゴス」な柄からのインスピレーションでした。
この版は黒のインクで刷ってます。上のキヨシロのはシルバーです。色で随分と雰囲気が変わります。

これは某デザイナーさんが使うためのテキスタイル作品。
レースを引き裂いたようなもの、という依頼で描いたものです。ゴスな感じですねー。気に入ってます。きれいでしょ!
これが布地になるわけです。
その一部をきょういただくことができました。
布の種類、色は数点違ったものができたようですが、そのうちの2点。

白地に黒。これはワンピースにしたら良さそうです。

こちらは、見えにくいですが真っ黒の地にシルバーのエナメルプリントです。写真だとグレイになってますが、真っ黒なので、いよいよもってゴスっぽくてハードでイイ感じでした。コートだとかっこいいと思うのですが、そこまで量がなかったので、カチッとしたオーバーブラウスがいいかなと思ってます。シンプルなスカートでもいいかもね。
ゴスっぽいけれど、大人の雰囲気になっています。

 とゆう具合にお仕事がアートに、アートがお仕事に、しかも実用品になるというのは嬉しいもんです。ゴスも今や特別のものではなく、日々のモノになっちゃいましたね。『日々のゴス』

 洋服は大好きです。イケメンとユニフォームの版画をたくさん描いて幸せだったし、自分の作品が洋服の布地になったことも幸せでした。そんなこんなのアレコレをやっていた忙しくも楽しい初夏でありました。



◆2009年7月16日(thu) 友愛数と友愛の哲学につきまして

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きょうも、好きなモンを書く。
田邊元
小川洋子

全然読み終わらない

 





●田邊元の『友愛の哲学』
 しつっこいほど「最近本読んでません」と書いているわたしです。本当にチョビッとしか読んでません。なんといっても小説を読んでないのでした、それ以外はたまに変なもんをボチボチは読んでいるんです。たとえば、こまったことにほかの本に手をだしたり、忙しかったりであまり読み進んではいませんが、中沢新一の『フィロソフィア・ヤポニカ』なんちゅうもんを読んでます。田邊元という哲学者がおられまして、この方の思想について語ってます。難しいといえば難しいのですが、哲学というのは誰もが何かで試行錯誤している時に考える、その行為そのものでもあると思うので、奇想天外な小説よりもずっと身近なものだと思って良いと思います。わたしは不勉強な学生でしたが、哲学がつまらないと思ったことは一度もありましぇんです。小説よりもある意味面倒じゃありません。
 田邊元という方は元々は数学やってた方で、そこから哲学者になってます。『無』『0』というのは、数学であり哲学でもある。ギリシャでは哲学者=数学者でもあったのでありました。田邊元さんは「友愛の哲学」なんちゅーことを生み出した方のようで、わたしはハッキリいって、中沢新一さんの文で初めてその中身を知った程度なのでありますが・・・もう1ヶ月以上も読んでいるのに、進んだり戻ったりで全然終わりましゃえん。
 数学を学んだ人であり、「友愛の哲学」というのを語った人であるということはなんとなく知っていた。その上で、二日前にたまたまBSで見た映画がシンクロして、とても愉快な気分となった。

●『博士の愛した数式』
 でした。交通事故によって、80分しか記憶が持続しない数学者(博士と呼ばれている。寺尾聡がやってる)。その家の家政婦と10歳の息子『ルート』が博士によって、愛に満ちた数式に触れるのでした。その息子は大きくなって中学の数学の教師になります。吉岡くんが好演でした。はじめっから見ることができなかったのですが、『友愛数』というのがあって、という説明から見たんですねえ。田邊元の『友愛の哲学』と数学を学んでいた、という事実のインプットがあったため、「オヤ?」と、とてもよく気持ちがわかり、おもしろかったのです。

 エンドロールを見ていたら、原作は小川洋子さんだったんですねえ。最近小説読んでないと言ってるわたしが「これ読めば?」となかば強制的に読まされて、とても感動した「猫を抱いて象と泳ぐ』の作者なのでありました。わたし、この人好きなんだわー、と思いました。小川洋子さんが田邊元を知ってたかどうかはわからないけど、きっとお好きだろう、と思う。本の方も読もうかな。

 『愛』がある。愛があるということは気持ちがよい。共に分かち合い、影響し合い、育んでいくということは美しい。


●仮想ポストイット
 てなことはよーくわかっているが、わたしは数学は全然駄目です。これが悲しい。
数学が駄目なだけじゃなく、最近はアルツかも・・・・博士のように、ポストイットに次にやらねばならないことを書いて、身体につけてなくちゃならない。現在わたしがやっているのは、パソコンのモニターに出てくる予定表にどんどんやることを書き入れていくというやり方だ。これは便利だ。終わったものは消す。予定が終わってないと、翌日以降は赤い色に変わり、ずっと出続ける。子どもの行事を忘れるのが一番ヤバいので、これは必ず入れておく。もう明日終業式だ。ポストイットに書いたものは、必ず携帯するものの上にくっつけておくのがよい。たとえば携帯電話やペンケース。こんな具合なんで、危ない。仮想でポストイットを身体に貼った状態をイメージしておく、というやり方もある。腕につけたのは未払いの通知(貼ってないが身体の部位で覚えることができる、という離れ業をしたりするのだ)、おでこに貼ったポストイットは母に電話すること、とかそんな風だ。記憶術としてはよく使われているように思う。とにかく、こんなことをしなくちゃならないほど、記憶が、頼りないのだ。あれ、でも、からだの位置で覚えられるんだったら、結構記憶力あるじゃない?おかしいなあ・・・・・



◆2009年7月14日(tue) トリスバーに行きたい

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きょうも、好きなモンを書く。
チェルシー・ホテル(ニューヨーク)




アンクル.トリス

 





●トリスバーに行きたい
 アメリカには一度も行ったことがない。嫌いだから・・・・といいながらも好きな人や場所はたくさんある。
ニューヨークには行ってみたい。そして、泊まるならチェルシー・ホテルだと思っている。

 「柳ホテル」ではないが、ホテルといっても住んでる人がいるようなホテルがいいのだ。

 きょうは神保町の文房堂へインクと紙を買いに行った。わたしは神保町からではなく、JRのお茶の水駅からの方が都合がよい。最近は楽器屋の通りは歩かなくて、聖橋口から出て、ニコライ堂の横を通り(このロシア建築が好き)白水社の手前お古本屋「かげろう文庫」に寄った。ここはアートもん、フランス文学もん、変態もん等々と、わたしが好きなもんがいっぱいあるので、時間があるとつい変なもんを買ってしまう。きょうは店主が店頭に箱を並べる時刻に通りかかり、出てきたばかりの箱の中からオッ・・・とばかりに3冊とって、買い物終了。しめて473円也。
 安いでしょ。1冊はサントリーが出している(いた)『WHISKY VOICE」という小冊子。アンクルトリスの絵が表紙の号だった。勿論サン・アドで作っている。今はやっぱり作られてないかもしれない。どこで手にはいるのだろうか?全国のBARやウィスキーのコラムが大人っぽく綴られている。丁寧だ。

 きのうの雑誌の話は、mixiの方でやや盛り上がり、わたしなりに答えが出た。みんな仲良く、という風潮が、まんべんない文化の共有というつまらなさに繋がっている。狂ったように自信を持って先に先にと進む雑誌があり、追いつきたい!と思う読者がいる、そういった熱くなるようなものがなくなっているのは、やはり個人の情熱の有無の問題だろう。「みんな仲良く」が気持ち悪いではないか。
 そしてまた、わたしもやっているブログが、人類総新聞部になったことも、雑誌離れに繋がっているのだろうと思う。しかし、「足を使った新聞部の情報」がどれだけあるかわからない。足を使ったブログはおもしろいし、その場でエイヤッと書かれたものはネットらしくてフレッシュで楽しいと思っているが、単に調べものが書かれているだけだったりなんてのは、まるでおもしろくないし、一体どこから調べたんかい?単にウィキなんじゃないのか、みたいなもんは、もうそれは新聞部の風上にもおけない。新聞部は取材が命だぞ(学校時代の経験上語る)。

●雑誌を買うーー古本だけど
 そんなわけで、きょうこのサントリーの小冊子を電車で読んでいて、その丁寧な取材と作りに頭をひれ伏した次第です。どうやらこれは「街のバーと、森の蒸溜所を繋ぐ雑誌」と書かれているから、バーに置かれていたのだろうね。バーテンダーが読む雑誌に違いない。最近わたしは神保町のミロンガでとてもおいしいハイボールを飲みました。ここはグラスもよくて、おいしさ倍増でした。このハイボールが最近CMのせいか流行っぽい。夏にはサッパリしてさらに良い。てなことで、わたしはトリスバーに行って、ハボールが飲みたくなったのだった。しかし、トリスバーは一体どこにあるのだろう。前から見ていた渋谷のトリスバーはまだあるだろうか。一度も入ったことがない。なんとなくサラリーマンが行くとこだと思っていたので、とても一人で入る勇気がなかった。誰か一緒にトリスバーでハイボール飲みましょう。聖橋の出口そばにあったトリスバーも、さっき調べたら(足は使ってません)3年前になくなっていた。残念。トリスとかレッドとかホワイトで飲みたいです。

 この小冊子は50円で購入しました。50円でこんなに夢を見させてくれてアリガトウ。

 ほかに2冊雑誌を買った。買わない買わないと言いつつも、いいものがあれば、わたしだって買うのだ。でもどっちも200円しなかった。
 1冊は壁紙の特集本で、これがモエ〜なものばかりだったのだ。その中にチェルシー・ホテルの写真があった。チェルシー・ホテルに住んでいるアンティークショップ経営の女性の部屋。彼女はここに住んでいる。自分で改装しちゃってるが、オーナーもその素敵さに喜んでいたらしい。その息子家族もこのホテルに住んでいて、ベビーベッドも置いてあった。老舗というのはパンクなものを受け入れる寛容さがあるものだ。
 チェルシー・ホテルにいた作家やミュージシャンは数しれない。どの人もわたしが好きな人だった。ボブとトマスのディラン。メープルソープ、パティ・スミス、ナンシー&シド、ケルアッック、ギンズバーグ、バロウズらビートニク、ウォーホル、ジャスパー・ジョーンズ。ディラン・トマスはここで死んだ。酒ばかり飲んでいた。

 最後の1冊は80年代から90年代の雑誌(多分)『ShINC』特集アン・ファン・テリブル。アヴァンギャルドなサブカル雑誌。たまたま表紙がカッコよい写真だったので手にとったら、ジェシー・ハートランド(イラストレーター)やハル・ハートリー(映画監督)などが見られ、巻末にある情報コーナーに、先頃一部で話題にのぼった(わたしだけだけど)ピエール・モリニエの写真展なんてのがあるではないか!92年の雑誌なんですが・・・・こんなのやってたのね。変態・・・


 雑誌、楽しいではないか!



●勘がもどる
 本を抱えて文房堂に行き、緑色のインクを購入。そこから工房へ。
 モヤモヤとしていた技法について。試行錯誤の末、なんとか昔のようにうまくでき、やっと落ち着いた。銅版画は奥が深い。ちょっとした加減でうまくいかなくなる。時々は初心にかえらなくちゃね。



◆2009年7月13日(mon) アリガトウ、育ててもらった雑誌たち

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好きなもんをたくさん書きたくなってしまった。
昔よく聞いたものをyoutubeでズルズルつなげて見てしまう日々なのだ。でも、きょうは休む。
好きな雑誌がパタパタなくなるから。


 





●お世話になった雑誌たち
 いろんなもんが終わっていく時代だ。
それにひきかえ、何か始まっている予見というのはまるでナイ。なんてこったい。
 「スタジオ・ヴォイス」が休刊、というニュースを知り、さっきネットニュースでも見てしまった。このネットというのが問題なんだろうか。「エスクアイア」にしろ、「スタジオ・ヴォイス」にしろ、おそらくは30代、40代(スタジオ/ヴォイスの方は、書き手の顔ぶれから、もっと若い購買層かもしれないが)のサブカルな人たちが読んでいたんだと思う。何故かわたしも昔はよく読んでいた。それが今となっては美容院で読むくらいになってしまった。
 「スタジオ・ヴォイス」に関していうならば、タブロイド版の時に出会い、実は「流行通信」も愛読していたので、同じ会社ということで就活したことあるんですね〜〜〜!!
 わたしは大学4年の時から夜間にセツ・モードセミナーに通っていたので、ファッションとサブカルもんが一緒になったところに就職したいもんだ、と思っていたんですねえ。
 結局落ちたんですが、セツに行ってたということもあって、同じ会社から出ていた(今もある)やはりタブロイド版のファッション誌『WWD』にファッションイラストを2回描かせてもらった。パリ・コレの数々を描く仕事で楽しかった。その頃、「スタジオ・ヴォイス」でセツの特集をしてもらえて、結構主要メンバーだったのでインタビューとイラストと顔も載せていただいた。

 さっき、美容院で見ている、と描いたが、そのほかは銀座のスタバなんかで見てしまうわけですよ。だいたいこれらの雑誌を読む人って、都会の人が多いんじゃないか?(都会にしか置いてないかも・・・)と思いますが、都会では、スタバや美容院に置かれているわけで、しかも、これらの読者層というのは、ネット大好きでもある。そうなると買わなくなる。やっぱし。今回のニュースだって、わたしは人づてにも聴いたけれど、その後ほとんど毎日読んでいるネットのマガジンなんかで詳しく知ったりしてるんだもの、もうどうしようもない。
 それでも、世代的には紙モノ信奉はあるわけですよね。手にとって見るほうがいいなあ、資料にもしたいなあ、なんて思う。でも、どうなんだろうか、昔は特集記事に動かされて買ってはいなかったのではないか?母が今も毎週、新潮、文春などをとっているように、普通にアンアン毎週買っていたような(週刊じゃなかったっけ)気がする。アンアンが一番おしゃれだ、と思ってた時にはいつも買ってたと思う。特集記事が問題なのかな。特集じゃなくてもいいハズなんだろうけれど、そうもいかなくなったんだろう。好きな書き手のコラムがあれば、買っていたような気もする。好きなイラストレーターが描いていれば買ったような気がする。会社の事情など、読者にはわからないたくさんのことがあっての休刊とは思うけれど、書き手や編集者、イラストレーター、等々の個々の力が弱くなっている、ということもあると思うのだ。力のある人はたくさんいても、一緒にその雑誌を盛り上げていこう、とする熱いものが感じられないような気がするのだ。

 一読者の感想です。

 『GQ』も好きだったが、今もつづいているようでちょっと安心。男のカッコいい写真が多くてためになった。とかいっちゃって、数年全然読んでないではないかっ!!



●雑誌に育てられた世代
 だと思うんだ。小さい時にはアメリカのテレビで育てられた世代なんだ。そして思春期には雑誌でなんだ。『ローリング・ストーン』誌にも育てられた。先頃復刊したけれど、まるで読む気にはなれなかったのはなぜなんだろう。多分、わたしはもう育てられてしまったからなのだ。もう育たなくてもよくなっちゃった。これからは自分の内なる世界に入るのだ。多分、そんなことだろう。

 でも、大きな声で、言えます。
『ありがとう!雑誌!』

 ちょっと泣けてくるね。



◆2009年7月12日(SUN) マジソンダンスで水没を忘れろ!

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好きなもんをたくさん書きたくなってしまった。
昔よく聞いたものをyoutubeでズルズルつなげて見てしまう日々なのだ。


 





●きょうは何も見たくない気分だ
 家ではオタクに古い映像ばかり見て、工房では相変わらずの自転車操業、という繰り返しの日々なんだ。そうして脳ミソがいつものようにグルグルになって作業の記憶すらなくなった頃に、13体のイケメン全身図が完成。多少イケメンじゃない人も入ってるし、英国人のつもりがジャニーズ系になってたり芸人風になってたりもするけれど、できたことはできたんだよ。最後の版画を水貼りした瞬間に、数名が拍手をして祝ってくれた。これもいつものことで、切羽詰まった仕事をするたびに、みんなに助けられ、励まされ、なんとかやっている。工房のほかの人たちも切羽詰まっていることはよくあるけれど、わたしくらい綱渡りな・・・しかも年がら年中そうゆうやり方をしている人間はいない。急いでるわけではないけれど、あしたはどうなるかわからない・・・・という妙な強迫観念がつきまとい、いつもヘトヘトになるまでやらないと気が済まなくなっている。自分でもなんなんだか・・・・ああ、山に行きたい。

そういえば、山に行くという歌を作ったっけ。戻れないかもしれないけど、それでもイイヤ、みたいな曲だった。

 せっかくひと山越えたってのに、昨晩からロクなことがなく、ドツボにはまってしまった。今朝も子どものiPod Nanoをサッカーの練習着と一緒に洗濯機につっこんでしまった!数ヶ月前に入学祝いで買ってあげたものなんだ・・・・・しかし、これはわたしのせいばかりでもなく、とにかく子どもがトッチラカッタ性格のために起こったといっても言い過ぎではないんだよ。この注意力散漫なところとか大人の言うことを聞かないとか、そういう性格を直してもらわないと、コチトラが疲れるばかりなんだ(この、「なんだ」「なんだ」という文体は「なんだ!」)。しかし、これも自分がそうゆう性格だから遺伝しちゃってるんだな・・・と思うと愕然となり、おもた〜〜〜〜い気分になる。

 誰かこんな時にイイ音楽を聴かせてくれ。

 自分で何かないか考える気力もない。とりあえず、雨の絵でドツボにはまっているので雨の曲は聴きたくもない。と思えば思うほど雨の歌が館でくるんだな。
その後、こんなもんを聴いていた。GAS
http://www.youtube.com/watch?v=dvTe1-a6Pdo&feature=fvw
映像がおもしろい。

 きのうは、行きたいところが本当は二つあった。ひとつは草月ホールでやっていた『日本の電子音楽』70年大阪万博までの傑作を一挙上演!と書いてあり(フライヤー入手)、選曲は坂本教授だった。一部は武満や一柳、高橋悠治、黛敏郎らの作品で、次のプログラムは湯浅譲二、松平さんのも入っていた。残念。
 もうひとつは堀内誠一の展覧会で、9月まで世田谷文学館でやっているのだけど、きのうはレクチャーがあり、巌谷氏が堀内誠一の旅について、語る日なのだった。残念。これは8月にも仙川に行く機会があるだろうから、そのついでに途中下車して立ち寄ろう。

 洗濯してしまったiPodは乾けばなんとかなるのかしら。もう、イヤッ
あとは、自分で買ってね。ワシもう力尽きたけんね。だいたい版画がうまくできてればこう落ち込むこともないんだ。これがもうドツボの原因で、10年以上も版画やってるのに、今になってある技法がまったくへたくそになってしまった。どうやっても以前のようにサクサクできない。このドツボを脱せないと、もう二度と這い上がれないのではないか???!!!と心身ともに本当にヘトヘトになってしまった。

●アンナ・カリーナのマジソンダンスは見た
ゴダールの『はなればなれに』が急に見たくなった。古い映画だが、見たのは数年前。アンナ・カリーナがかわいい(いつもかわいい)。カフェでの男二人とのマジソン・ダンスがかっこよかったのだけど、今見ると、そうでもないかも。ヌーヴェル・バーグというのは、ほぼ退屈なのだが、その退屈さに何故か引きずられるのだ。そのあげくの、アンナ・カリーナの最後の表情。あの一瞬のためのあの退屈が好きだ。
http://www.youtube.com/watch?v=I6pOXjQLh7Y&feature=related
今?そう、今あんな顔してるとこよ。フッーーーー



◆2009年7月10日(FRI) きょうも見続けた

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好きなもんをたくさん書きたくなってしまった。
昔よく聞いたものをyoutubeでズルズルつなげて見てしまう日々なのだ。

 





●きょう見たもの
 きのうのナンシー・シナトラがあとを引く。
 彼女の曲『BANG BANG』は『キル・ビル』の主題曲にそういえばなっていたことを知り(『キル・ビル』大好き)、またyoutube地獄となってしもた。
ダンスがちょっと笑えるイギー・ポップのを見てみましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=12FrfQazG84&feature=related
最初のダンスが変でいいねえ。ピナが見たら「あなた何なの!意味もなくフニャフニャしないのよ!」と言いそう。

もう1曲『These Boots are made for Walkin』もいろんなヴァージョンで聞く。
http://www.youtube.com/watch?v=2B5_lneZSts&feature=related
このヴァージョンだと歌番組の『うたばん』でいつも流れるおなじみの部分がたくさん聞ける。元々が一部だったハズで、これもダンサーがかっこいいんで、見てみましょう。
エドサリバンショーです。
http://www.youtube.com/watch?v=AG8gcUfKrug&feature=related

それから
◆さんざん見たあげく、ブラザーズばかりを見てしまった。
最終的に行き着いたところがウォーカーブラザーズだった。もう、最近は往年のアイドルブームとなっております。スコット・ウォーカーが好きだった。しかし、むか〜〜し日記に書いたんだけど彼らは兄弟じゃありません。単なるイケメントリオなんですが、


たくさんいい曲がありますが、やっぱし『ダンス天国』を。『These Boots are made for Walkin』の一部とかぶってるんで・・・・
http://www.youtube.com/watch?v=-tLptYqWUPU&feature=related
日本公演の時のもののようです。彼らは映ってないんだけど、ゴーゴーガールが時代を感じさせるので、コレで。

http://www.youtube.com/watch?v=H3q79HFjhBg&NR=1
バフィ・セント・メリーと珍しやピート.シーガーのデュオ。『Cindy』


バフィは「回る』ものが好きにちがいない。わたしとおんなじね、ってことで、とてもストイックないい演奏を。
http://www.youtube.com/watch?v=vTdC11JaO9A&feature=related

勿論彼女の最大のヒットは大好きなあの曲『サークル・ゲーム』。曲はジョニ・ミッチェル。ネイティブ・アメリカンのバフィはベトナム戦争の頃反戦歌をたくさん歌った。
http://www.youtube.com/watch?v=WpT8pson8aI
本家ジョニはこちら。これもイイね。でも、わたしはつきささるようなバフィの方が好きだ。
http://www.youtube.com/watch?v=6XOV34vsjfg&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=jHJ9Px1Yj-0&feature=related
ドノヴァン『Sunshine Superman』アイドルのような気分で当時大好きだったが、実はもっと実力派であった。

アイドルっぽい感じで好きなのがこの曲でした。『Lemon Tree』。誰が歌ってるのかわからんかったが、調べたら、ドイツのバンドFool's Gardenというのだそうな。90年代になると名前はサッパリわからない。
http://www.youtube.com/watch?v=bCDIt50hRDs&eurl=http%3A%2F%2F74.125.95.132%2Fsearch%3Fq%3Dcache%3AQFKz5dLU9wQJ%3Akuroki-rin.cocolog-nifty.com%2Fheaven_or_hell%2F2009%2F05%2Fpost-53a8.html%2Blemon%2Btree%2B&feature=player_embedded




●大分進み、次に行く
 
 8月に出る石井さんの新刊の英国の制服本は、今から結構話題のようで、部数も多いらしい。なので、恥ずかしくないお仕事をせねばならないなあー、と気を引き締めました。きょう、ついに全部一応やらかしました!!あしたは、もう少し手直ししたいもの2体を完璧にします。

制服、制服ってずっと言ってますが、どんな制服かよくわかんないでしょ。英国ならではのものばかりを集めた、そして男子に限ったものになっています。「腐女子』が好きそうな感じ・・・・・になっております。学生、兵隊、スポーツ、キルト、裁判官等々。ほーら、楽しいでしょ。これらをイケメンに描かねばならないのですが、何故か軍隊がイケメンにどうしても描けなかったのでした。バフィじゃないけど、反戦女なんで、わたしは、指が震えてイケメンに描けませんでした。でも、「イケメンじゃん」と言ってくれた人もいますので、大丈夫かと・・・・顔の好みはひとそれぞれだからね。

最後に、ロンドンで今制服本の校正に忙しい石井さんがバターシーの発電所のそばを通ったというので、コレを。
ピンク・フロイドのあのジャケットの撮影風景が見られます。「Pigs」
英国でまた豚インフルエンザの犠牲者がでたそうなんで、気をつけてくださいね、つーことで。



◆2009年7月9日(thu) いろいろ見た

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松本里美の『銅版画集&CD』制作日誌はコチラd0905



5年ほど前の作品
ティム・バートンの新作来年3月公開






●最近見たもの
 家と工房でずっと石井「制服本」の版画と、個展用の新作版画と、伊勢丹作品展用の刷り増しをする日々。
 家にいる時は、下絵作業が中心なので、資料を広げている場合が多い。勿論パソコンも使う。そこでついついいろんなものを見てしまうことになりますねん。

 まず
◆帽子屋を捜していて、大好きティム・バートンの来年の新作が『Wonderland』だということを知った!勿論アリスですよ。キチガイ帽子屋はジョニー・デップでした。それがまた・・・・・もういい加減キワモノ風じゃないジョニーも見たいわ〜〜〜、と思ってるんですけどねえ、シザー・ハンズ並みのパンクさでした。ヘレナ・ボナム・カーターの赤の女王よりはマシですが。今度は3Dなんだって。楽しみ!!来3月公開。ここで、3Dの様子とジョニーほかの「もういいでしょ〜、こんなにしなくても写真」が見られます。
http://www.usatoday.com/life/movies/news/2009-06-21-alice-in-wonderland_N.htm


 現在英国にて取材中の石井さんが、マシュー・ボーンの新作を見たというのだが、大好きオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイ』であるとのこと。シザー・ハンズはさすがに舞台美術や衣装が良くて感動した。今回のはどうもデカダン不足らしいのがちょっと気になるけれど、見たいな。

それから
◆二日前の朝「スッキリ」でマイケルの『BAD』の9分完全版というのを見た。この日の「スッキリ」は充実していた。そのスコセッシの短編(といっても良い)も良かったけれどど、ジャクソンズ時代のペプシのCMも良かった。キレのあるダンスとあの微笑みが。
『BAD』もそうだけど『BEAT IT』も意味をちゃんと知らなかったので、今回マイケルの作った詩をたくさん知ることができてよかった。死んでからじゃ遅いじゃん!ってことで、わたしは先週だったか、「今好きと言ってくれ!死んだあとじゃ嫌だ」と露骨に書いてみたのですが、一人も『好き』と恥ずかしげもなく言ってくれる人がいなかったので、諦めることにする。やっぱりそんな程度なんだなあ。そうそう、人っていうのはそんな程度のもんで、すぐに忘れられてしまうものなのです。でも、マイケルでも誰でも、死んでからでも良いよね。それでも、音楽は残っていくのだもの。あの追悼式の家族たちのスーツのかっこよかったこと!あとで聞いたら、あれはマイケルの好きだったベルサーチのをみんなお揃いで作ったそうで、本当に美しいシルエットのスーツ、みんな着こなしもカッコよかったね。

そんなことから
◆わたしのマイケル衝撃初体験が『アンディ・ウィリアムズショー』だった、と書いた、その記憶が正しかったかどうか、ネットで一応調べてみました。もしかして「エド・サリバンショー」だったかしら?と思って。でもやっぱし、記憶に間違いはなくて、よかったよかった。
ただ、ゲストとしてというよりは、ほとんどレギュラーのように出ていたみたいなのね。オズモンド・ブラザース(のちオズモンズ)もレギュラーだった。そして段々記憶がよみがえってきて、あの時、白人の兄弟と黒人の兄弟が並んで歌っている様子が素敵だった。

http://www.youtube.com/watch?v=v1TSLyEc1Iw

アンディ・ウィリアムズショーでのオズモンド・ブラザース『Hello Dolly』。ミュージカルからのカヴァーが多かった時代ですねー。カーディガンが懐かしい。階段のあるステージはいつもあった。
http://www.youtube.com/watch?v=lKfl15c-Kh0&feature=related
同じくアンディ・ウィリアムズショー。ジャクソン5とのものをを捜すつもりが、ハンサムなアントニオ・カルロス・ジョビンの「イパネマの娘」を。
ついでにその頃好きだったこれを。
http://www.youtube.com/watch?v=pjsh2j7W6Bo&feature=related
ナンシー・シナトラ『Sugar Town』。「シュガータウンは恋の街」が日本でのタイトル。これが好きだった。
http://www.youtube.com/watch?v=BoBsZKrMVJc&eurl=http%3A%2F%2Foldies1960.blog77.fc2.com%2Fblog-category-5.html&feature=player_embedded
ナンシー・シナトラ『End of the World』。これもフェイヴァリットソング。ブーツの女王。

こんなことをやっていてはなかなか仕事が進まないではないか・・・・・

そして
◆バブルスくんの今現在がわかり、ずいぶん大きなオスチンパンくんになっていたことがわかったのが、数日前。あまりにも大きかったので、エエ!?という感じだった。それから数日たって、サッカー大分トリニータがずっと負けつづけているのがなんとなく気になり、Jリーグのページを見ていたら、なぜか「伊豆シャボテン公園」に行き着いてしまった。ここには堤さんという名トレーナー(というのかな?)がいらっしゃいます。昔母と一緒に行った時にいたチンパンジーの「パピーちゃん」は、とてもかわいくて、堤さんがやっている学習発表会(ショーではなくて、とてもたのしくチンパンの能力を解説つきて見せてくれるものです)ですばらしい能力を発揮してました。母は大きな声で「パピーチャ〜〜ン」と呼んでいて、気が狂ったのではないか!?と思ったほどでしたが、それほどかわいかったです。そのパピーちゃんが、今年5月に卒業式をした、という記事がのっていて、彼女がもう28歳で体重が40キロもあることがわかりました。ショーは卒業だけど、シャボテン公園に住んでいます。元気なんだそうでよかったな〜。パピーちゃんが40キロあるんだから、バブルスくんは男の子だし、50キロくらいあってもおかしくないのでした。チンパンって大きいんだなー。

●少し進み、次に行く
 仙川のグループ展は終わり。元ドラマーあっちゃんに会ったりして楽しかったグループ展でした。急遽の企画展だったので、芳名帳などもなく、誰か来てくれた人がいるのかどうかもわからず、もし、来てくれていた人がいたら、この場をかりて、御礼をー!
 
 制服本の13体の全身版画は、きょうスルスルっと進み、あと4体ほどで完成となります。そろそろあとがき、前書きの版画に着手しなくっちゃ、危ないわ〜〜、石井さんロンドンから帰ってきちゃうわ〜

 



◆2009年7月5日(sun) せいぜい7頭身半しか描けない

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5年ほど前の作品。
『たこ男 くねり』足下だけマイケルを意識してました。



●また、舞踏のつづき
 おとといは「北」と「南」について書いたが、舞踏の世界には「西」と「東」があるなあ、とさきほど『東洋人のダンサーの方が均整とれてみえる」というmixiのコメントをもらって、思うに至った。
 ピナ・パウシュのヴッバタール舞踏団の人たちは信じられないくらいスリムかつストイックな肉体で、きのうは大駱駝艦のところで思わず書いてしまったが、エゴン・シーレの絵のような肉体と顔、表情なのだった。セツ・モードセミナーの長沢節さんだったら、絶対にピナの舞踏団はお好きだっただろう。セツさんの口癖は
「骨が見えるほど細い人がいい。首や、頭や、指先が繋がっているのが見える」から、だった。ヴッバタールのダンサーはみんな9頭身くらいあって、スーパーモデルのようなのだ。これを美しいとするか、魅力的とは思わないかは好みの問題。
(ピナ・バウシェの振り付け)
http://ubu.com/film/bausch_linsel.html

 でもって、まったくこうゆう肉体じゃないんだなあ、暗黒舞踏の人って。東洋人は6頭身半くらい(そのくらいが多いかと・・・)。手が短い。足は最近の若者はちょっとは長い人もいるのだけど、手は本当に短いよね。フェンシングの太田選手はそんな中で銀メダルなんだから、凄いと思うのだ。バレーボールだって、身長が同じくらいでも、ブロックでネットから出てる腕はあきらかに短いもんな〜。日本人のクラシックバレエダンサーは悲しいかなうまくても「残念・・・」な感じする。

 でも、シッカリ筋肉がついた身体というのは美しいもんだと思うのだ。東洋人だから魅力的なのが白塗り暗黒舞踏なんだろうな。6頭身半の人たちの中に西洋人がいると、均整が全然違うんで変に見えるんだけど...。エミリー先生も頭ちっちゃいからなあ〜。

 きょうは13体の版画の3枚目が完成。あと10人だわ。今回の制服本では、できるだけ「カッコよく」描かねばならない。という使命がありまして、なんとか9頭身で描こうとしていたのだけど、どうもわたしはそうゆうのが描けないみたいなのだ。がんばっても7頭身半くらいかな。


●『穴』の後遺症
 昨晩帰宅してから、「穴」のフライヤーを子どもに見せたら、トラウマになったらしく、きょうも朝からいきなり「穴・・・・・・穴・・・・・・」と繰り返す。顔の真似をしたり、テレビに出ていたゴツゴツした顔の人を見て「この人『穴』に出てた?」などと言うのだ。こんな風になるってことは珍しい。もしかしたら好きなのかもしれないので、一度見せに連れていこうか、と真剣に考えてしまった。



◆2009年7月4日(sat) ピナと大駱駝艦の日

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5年ほど前の作品。
『たこ男 くねり』足下だけマイケルを意識してました。



●80年代の舞踏
 きのうはピナ・パウシュが亡くなって、きのうもきょうもわたしのまわりの一部でピナや舞踏の話をしていた。
やはり、影響は大きかったと思うと話した。わたしの知り合いにもミニマルな動き、サラッとしたワンピースで踊るコンテンポラリーダンサーが当時何人もいた。彼らは音楽も凝っていたし、そのへんはやはり、現代アートと現代音楽の結びつきというおもしろさがあったなあと思うのだ。音楽の方があとからついてくるという印象で、アートの方が抜群に先に先に前を行くだろう。コンセプチュアルアートとのつながりを感じるからだ。彼女の作り出したダンスのやり方は。振り付け師が押し付けるかたちのものではなかった。ピナはいつのころからかそういったあたりを見聞きしている内に自然と受け入れていた人だった。容姿も美しかったから、魅力的だった。初期の方がより構成を重視していたと思うのだけど、どうなんだろう。段々踊りから離れていったので、くわしくはわからない。
 

 こういった「北」な感じ(きのうのつづきみたいだが)とは別に、80年代には暗黒舞踏が盛り上がってた。白塗りしてね。わたしが大学生の頃には、友人でそうゆうのをやり始めた人もいて、何故かわたしにも「やってみない?」と誘うので、びっくりしたなあ、もぅ〜。わたしがピナみたいな肉体なら考えるけどね。バンドを始めた頃には山海塾が大流行りで、青山にあった彼らがいつも演じていたライブハウスがあって、月1でわたしたちは出演する日があったくらいだ。パンクの時代に相乗効果のように盛り上がっていた。いろんな「白塗り人」がいた中、大駱駝艦はやはり人気があったと思う。そして、きょうウン十年ぶりに見にいって、今も大人気なんだー、と感慨深かった。


●『穴』

 舞踏に詳しいK氏に誘われて吉祥寺の壺中天へ。今回のは村松卓矢作/出演の「穴」。満員。
変わらない迫力とおかしさ。でも、ずっとポップになったような気がした。よく見にきているK氏によれば、演目によってはえらくドロドロしたものもあるようで、村松さんの演目だから迫力はあるが軽やかだったのかもしれない。ブルーシートが舞台全面に広がる中数名がだんだん中央にある穴にズルズルと入り込んで行く様子はとてもおもしろかった。ズルズルする感じが、よくわかるし、思わず乗り出してしまった。

 身体っておもしろい。かぶりつきで見れたので、どの人の肉体も毛穴が見えるほどだったので、鍛錬された柔らかい筋肉なんぞが見られ、エゴン・シーレのようにサラサラとスケッチできたらいいのに、と思った。足がきれいなのがわたしの好みです。特に群舞ってのはおもしろい。だんだん激しくなった頃、6人のうちの数名がものすごく汗をかきだして、白塗りもはげてきていた。アレはどうなんだろうか?その人たちは息も激しく「ハアハア」と出してだんだけど、まったく汗をかかない人もいるのだ。

 K氏は「あれはよくないと思うなあ」と言う。それで思い出したんだけど、昔沢村貞子だったか、美空ひばりだったか、とにかく舞台にたつ大御所が、「汗も演技のうちです。舞台で汗を見せてはいけません。汗の出ないように訓練しなければいけません」と言っていたのだ。たしかに、冬のシーンで妙に汗かいてたりしても変だし。汗は気合いで出さないようになるのだろうか?凄いもんだなあ、とその時思ったものだ。やはり、寸前に冷たい水は飲まないとか、そういったことは気をつけなくちゃいけないんだろうな。

内容は、ちょっと説明的なところや、故意に笑わせようとする部分が、う〜ム、だったけど、久しぶりに清々しい肉体を見ておもしろかったです。ジッと見ているうちに、人間の動きとして見えなくなってきて、そこがね、おもろいです。たまにはおもしろいな、踊りは。

 そういえば、昨年の横浜トリエンナーレでは勅使河原三郎のブースがあって、長蛇の列で見られなかったのが残念だったのだけど、別の場所では60年代の舞踏の映像が流れていて、舞踏がにわかに盛り上がってんのかしらん??
 ところで、以前英語を教えてもらっていたエミリー先生の来日理由は、アメリカで大駱駝艦を見て、麿赤児に憧れて・・・なのだった。その後ずっと日本にいる。2年前には念願の白馬の合宿にも参加していた。日本の舞踏は外国ではミステリアスなんじゃろな。



●百貨店の力
 吉祥寺の伊勢丹とユザワヤがなくなるそうで、少し街が変わりそうな気配。その伊勢丹のそばのバーでビールを飲み、池袋西武のあった時代のアートな話をして帰宅。伊勢丹も西武もわたしが若い頃は、時代を引っ張っていたではないか。育ててもらったような気がするのだ。それなりに歳をとって、先日は依頼をうけて伊勢丹のオリジナル作品を描いた。こうやって受け継がれていくことが嬉しい。

仙川ティアンドにも顔を出してきました。いい感じにまとまってよかった。またいつかやらせていただこうと思います。展示はあしたまでよん。



◆2009年7月3日(fri) 好きなら好きと今言って

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「乗馬』試し刷り
5年ほど前の作品。
『たこ男 くねり』足下だけマイケルを意識してました。



●なぜ、南へ向かうのか?
 工房通いがつづく。多分わたしが一番通い詰めていると思われる。何かしら楽しい話題が誰からかでて、それに加わって話したり、また無視したり・・・・と様々であります。最近はマイケルが多いわけですが、先日青春のイラストレーター話になった。湯村テリーや河村要助。70年代終わりくらいからで、彼らの特徴はなんといっても彼ら自身がファンキーでイラストと一体となっていた、ということだったように思う。
 松屋のギャラリーで1週間ほど前偶然に河村要助の「ニューミュージック・マガジン」の表紙あたりの原画をズラッと見る機会があって、久々思い出した。下北沢のカフェPIGAで何回かお会いしていて、カウンター内から生ビールをお出ししたり(たまにバイトしてたんで)したことがある。絵の話はしたくなさそうで、壁にPIGA氏(オーナーで友人)がレゲエもんのCDを飾っていたから(わたしがすぐにロックもんに替えるので、戦争になっていた)、そんな話はした。音楽の話の方が好きなのだ。
 工房にはイラストレーターが何人もいるので、当時誰が好きだったか、なんて話にもなった。わたしもこの頃のイラストレーターだったら、河村要助だったかもしれない。峰岸達や柳生ゲンイチローも好きだった。長新太とか大橋歩とか原田治とかたくさんいたもんだ。でもやっぱりわたしはそこに至までにガツンとなった横尾忠則が一番で、前述のイラストレーターたちは、この人を踏まえての一団だった。それとは別に和田誠もいる。

 湯村テリーと河村要助は、失礼ながら現在どうしているのか存じ上げず、みんな勝手なことを言い出した。単に服装と音楽の趣味で「南に豪邸でもたてて住んでるんじゃないの?」という意見が出て、大方の人が「そうかも・・・」なんて話すわけだ。実際はどうなのか知らないのでひどい話なのだけど、そんな気がしないでもない。なぜ南に行くのだろう・・・・・。それからみんながしゃべってる中、一人いろんな事を考えてしまった。フロリダのヘミングウエイ、村上龍はキューバだったなあ、とか、ジョン・ケージほか現代音楽の人たちはバリとか東南アジア行っちゃって、打楽器の曲ばっかり作ったなあ(ケージは好きだが、このアジア風打楽器曲は退屈だった)、とか。

 わたしは南が嫌いなわけではないけれど、どうも成功した人、大御所の人、が歳とってから南に行くのが気分悪い。
居心地の良さにもいろいろあって、多分わたしにとっては南は違うのだろう。できたら北に向かいたい。ぬるい気持ち良さよりひんやりした気持ち良さの方がいい。熱い過酷ではなく、寒い過酷の方がいい。ゴーギャンの憂鬱よりもムンクの憂鬱が好み。北北西に進路をとれ。

●舞踏
 ピナ・パウシュが亡くなったそうで、あしたちょうど舞踏を見にいくので「エッ!?」と思った。舞踏はどうも笑ってしまうことが多くて申し訳ない。フルクサスが好きなので、この頃から生まれたパフォーマンス寄り、美術寄りのコンテンポラリーダンスで、さらにどちらかというと「北」な感覚のものが好きだ。あしたは大駱駝艦なんで、どうもそれとは違うんだけど、久しぶりなんで楽しみは楽しみなのだ。「北」な感じというのか、先に描いたイラストレーターと同じく、こちらは音楽が小杉武久などが現れるわけで、おもしろいのだ。カニングハムはそういった現代音楽家やラウシェンバーグ、ジャスパー・ジョーンズなどが加わった、総合芸術としての舞踏をした人で、20年代ディアギレフのバレエ・リュスの時代を彷彿とさせる。この20年代のディアギレフ/ニジンスキー/サティ/ピカソ/コクトーといった面子も憧れならば、60年代のカニングハムの面子も憧れだ。


●好きなら好きと今言って

 キヨシロが亡くなって、マイケルが亡くなって、嫌な感じだった。たいていの人が亡くなってから「好きだった」と言い始めるんで。好きな人はいっぱいいるんだから、そうゆうことは当たり前のこととも言えるのだけど、あとから言うのは恥ずかしいもんがある。今のうちに好きな人のことを宣言した方がサッパリするなあ、と思ったりして。

 わたしはといえば、キヨシロは好きだったが、マイケルはそうゆんではない。マイルスの時と似ている。ジョンとジョージはショックだった。
わたしも死んだら、あとで誰か数人くらいは「ああ、好きだったのにー」って言ってくれるに違いない。で、できたら生きてる内に言ってもらいたいもんだ、と思うわけですよねえ。「今やろうと思ってたのにぃ〜(by西田敏行)」じゃ遅いってこともあるのよ。好きなら好きと今言おう!
 というわけで、今誰が亡くなったらショックかしら、なんて考えてみた。最近友人ブログを見て思ったのは、日本人だったら山下洋輔だろうな、ということでした。やっぱり若い頃にたくさん見たり聞いたりした人なんだろうな。加藤和彦もそうだが、北山修も死んだら相当悲しい。外国だったらディランなら真剣に悲しいし、ストーンズだったらキースだろう。きょう工房のラジオからキースの「HAPPY」が流れ、ミックよりもきっとわたしは愕然とすると思った。タモリ、横尾、秋山祐徳太子はショック・・・・・イコール「好き」ということね。イーノとかボウイとかどうかなあ・・・・

 これ、ちょっとおもしろい。これから死んだら相当ショック、な人をまとめることにしよう。近しい人は除外しておこう。いや、でも、近しい人から書くのが意図としては合っているかもしれない。今言っておかなくちゃいけない、ってことで。まず母だろう。母と、家族。う〜ん、こうゆうのを書いているとシリアスになってしまうな。やっぱしスターだけにしよう。


 作家は困った。最近ほとんど本を読まないからだ。工房できょう机に広げていた汚れ防止新聞紙(読売)にちょうど開高健のことが書かれていた。開高さんは南のベトナムには行ったが、それはロハスな暮らしをするためではなかった。戦いを見届けに行った。魚釣りで南米には行ったが、ほかは北へ向かっていたように思う。そうゆう人が好きだ。でも、故人だ。好きだった。

●馬がうまいのは元カレのおかげです
 石井さんの新刊ーー英国制服本ーーのための人物版画13点のうち、やっときょう2人分完成。残り11人の内、あとは本番の刷りをするだけのものが5点。まだ一つ行程が残っているものが6点。試し刷りをしてみたら、わたしは馬がうまい、ということがわかった。英国モンを描く時には必須なのが馬。きのう隣で作業していたkさんに、なぜわたしが馬がうまいのかお話した。
それは元カレのおかげなのだった。若い頃、アニメの進行をしていた元カレに、急遽絵コンテの仕事を頼まれた。これが「円卓の騎士アーサー」だったのよねー。30分番組を同時に2本やらねばならず、普通でも毎週放映のアニメのコンテは大変なのに、まったくのドシロウト(イラストは描いていたが)のわたしには大変な苦労だった。「できるできる、君ならできる」と口車にのせられ、前回の絵コンテを見本に台本を読んでコマを埋めていく。膨大なコマ数なのだ、これが。わたしはこれをやったおかげで、その後8ミリアニメを作った時には絵コンテはスラリスラリと苦もなく描けたと思う。そして、どのコマにも馬馬馬、なのだ、アーサー王ってのは。だから、わたしは嫌ってほど馬を描いて、2本目になると、見本なんて見なくても馬が描けるようになってしまったのだ!!元カレよ、ありがとう。
 しかし、元カレはわたしが終わるのを待ってその足でスタジオまで届けにいかねばならなかったので、ずっとウチにいるんですねえ・・・・コチラがガシガシ徹夜してる横でギター弾いたりレコード聞いたりしてるんですねえ。「トキワ荘」かよ。そのレコードは、わたしのものだけではなくて、作業に時間がかかると思って持参してきてたんですねえ、たくさんたくさん。ニール・ヤングはよかったんですよ。それはよかったんだけど、アノ「いとしのレイラ」を何回も聞くんですねえ〜。LPレコードのA面まるまるだって知ってますか?あの曲。もう、辟易とはこのことで、これを何度も聞くんですねえ。こちらは必死だし、若かったので、文句もいわずにやってましたが、この仕事が終わったあと、トラウマのようにこの曲大嫌いになりました。当然ですが、その後お別れしまして・・・・レコードはゴッソリ持って帰っていただきました。ギターは実は今もウチにある。「レイラ」よ、さようなら。













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