◆2008年9月30日(tue) トリスタンとイリヤデ

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表情豊かなチェリスト、Herr.トリスタン・ホンジンガー
怒ったり、悩んだり、驚いたり、悲しんだり、ラジバンラリ、するのだった。


動きが早いのでなかなか描けない向島ゆり子さん。
首がきれいなピアノの原田さん。威厳があった岡山さん。

 なんてこともない駄洒落です。「トリスタンとイゾルデ」の。

●あと少し
 きょうも雨。仕事にでかけ、そのまま工房へ。一気に2作仕上げる予定でモクモクと制作・・・するつもりが、母から電話。母の電話はどんだけ長くても聞くようにしている・・が、しかし、長すぎて充電切れる。今度の二人展は表参道ヒルズの裏なので、郊外セレブの母は行きたいだろう、と思っていて、食べるところなども捜していたのだ。でも、足がヨレヨレになってきているので、諦める、とのことだった。残念。それでも、小さなネコの絵を送ってくれ、と予約してくれた。今回はネコはたしか1点だけ。でも、別にかわいくないので、どうしたもんかと思う。

 あと3作の制作を4日でやろうとしているのは、キチガイ沙汰だと思います。でも、きょう2作仕上げることができたので。とてもホッとしている。両方とも思ったような仕上がりになったので、なおの事。シュールな絵ばかりなんですが・・・・気に入ってます。一つは「夜釣り」一つはまだタイトルはありませんが、今のところ「パープル・レイン」。プリンスどうしてるかなあ。好きなんですけど。

 2作目の版画が満足いく仕上がりになるまでは工房をでるわけにはいかない状況。やっと7時30分ころ終わり、急いで入谷へ。

●トリスタン・ホンジンガーが来た

なってるハウス(入谷)
トリスタン・ホンジンガー cello
向島ゆり子 violin
ゲスト
原田依幸 piano
岡山守治vocal、口琴
徳久ウィリアム vocal

入谷を降りるのは初めてで、この店も初めてでした。心臓がバクバクして困った。何故かというと、最近音楽やってる人に会ってなくて、そうゆう人と会うと思うと、いきなりバクバクしてしまうのです。音楽関係者に会えないんですねえ、何故か・・・・。なんというか、歯車の残像が見えだしてからそんな具合なんですが、こんなことも、そのうち無くなるだろう、とリハビリしてる状態なのですねえ、わたしは、実は。ライブハウスは心臓に悪いんであります。これはどうしようもないのだけど、ハッキリ言って、音楽のある場になかなか行けないんですねえ。実は。怖くて足がなかなか向きません。でも、トリスタン・ホンジンガーさんは、行きたい、と思っていたわけで、できたら向島ゆり子さんと一緒のをみよう、と思っていたのでした。時間が全然ない状況だけど、きょうを逃すともっと無理なので、行ってきました。
 トリスタンさんはICPオーケストラが来た時にピットインで見ている。あの時よりもラフな感じで、芝居っけタップリだったり、立って踊りながらだったり、岡山さんやウィリアムさんの声に合わせて、でたらめ語をしゃべったりしていて楽しかった。ゆり子さんもよく声を出す。途中から見たのだけど、一番前に途中から座ったので、よく顔が見えておもしろい。トリスタンさんと岡山さんの顔がもの凄くおもしろかったので(表情豊かという意味)、チラシの裏に似顔絵を描いた。ウイリアムさんは真正面すぎてまともに顔はみれなかったので描けず。
 ゆり子さんはよく足をあげる。原田さんは首がきれいだった。岡山さんの口はいろんな形になるので、見惚れてしまった。倍音が迫力ある。ホーメイとか、声のパフォーマンスは、昔はちょっとおかしくて噴いてしまっていたのだけど、きょうのはすんばらしかったのでした。途中で、トリスタンさんと声の人が後ろ側にいきまして、ガンガンとやるのですが、4chみたいで(古い)気持ちよし。
 からだを使ったトリスタンさんの演奏はジャコメッティのような神経質そうな顔ではあるけれど、とても楽観的だった。
 終わって、ゆり子さんと久々の挨拶を。トリスタンさんに似顔絵を見せる。ハガキの裏にでも描いて渡せばよかった。でもきょうの傑作は岡山さんの絵ですね。コレ、ソックリだと思います。ライブハウスに行ったらまた似顔絵描こう〜っと。

あしたは都民の日だそうな。わたしは最後の絵を描きます。 ほとんど無理な状態です。できたとしたら、気が狂ってる。

 では、またね


◆最近のインフォメーション

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 「ゼリーの中の個人的創作風景」というエッセイを書いています。
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 または、立ち読み。

FM豊橋『STEP ACROSS THE BORDER」(牛田牛蔵さんの番組)で、4月に3週にわたって放送された『松本里美 Bronze &  Willow特集」の全放送(3回分/1時間チョット)を短めにまとめてUPしました。MUSICページにUPしましたので、そちら
  からお聞きください〜
 ココです。
 しばらくはUPしておきますので、聞いてくださいね。

ラジオ放送とエッセイ、両方合わせると、『Bronze & Willow』が見えてくる。

●10月6日〜11日、表参道画廊で『画廊選抜二人展』詳しいインフォメーションはコチラでご覧ください。

◆2008年9月29日(mon) ハッキリ言ってしまえ


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 わたしがいつもギリギリ女なのは、怠け者だからではないのよ。わたしから言わせれば、ギリギリまでやらない人こそ怠け者なので、わたしは最後まで諦めないだけのことよ。守りに入ったら駄目だ、と思ってるだけだよん。やるだけやったら諦められるしねえ。
と、どうでもいいことなんだけど、思うのでした。
  少し前に、工房で作業をしていると、声をかけられた。
 「松本さんは勢力的だから、もうすっかり準備は整ったんでしょうねえ」。
実はちょっとムッとなりました。思わず
 「終わるわけないじゃないですか、終わらせるわけないじゃないですか、すっかり終わったなんて思った個展準備なんて一度もないですから」とほとんど怒った口調で言ってしまった。よ〜く考えれば、満足したことなんて一度もないと・・・・思います。やるだけはやったっ!といつも思えるような個展をしてきたつもりだけれど、作品自体に対しては、満足して終わることなんてないです。ヒトに見せる以上、満足したものしか出さないけれど(当然。だから謙遜もしない)、終わったあとではいつも「ああすればよかった、あれは良くなかった、もっとできたハズなのに」等々、グズグズすることが多い。普通そうなんじゃないか?と思うけど・・・。みんな、もっと楽天的だろうか?
しかも、別に勢力的でもないし。そこんとこが、もう、嫌だった。そんなこと言わないでほしい。

●占いだったり、血液型だったり、ラジバンダリ
 きょうは、大雨の中、額1枚と、マット7枚を作りに画材屋へ行きました。選ぶのも疲れるし、マットの大きさの計算をするのも疲れる。さらに、展示のための素材捜しも疲れる。そしてさらに、レジの女が、領収書に「ソザイ代として、と書いてください」と言ったら、ええと・・・ええと・・・・と「素材」という漢字が書けなくてニジニジしているのがまた疲れた。あえて教える気にもならず、「木材でいいです(これなら書けるだろう)」と助けてやった。バカタレ〜〜!
 家に戻る途中で思い立って美容院に行く。パーマがとれてきていたのが気になりだしたら、我慢できなくなって、即、飛び込む。
 そこで、久しぶりに女性雑誌をくまなく読み、流行の血液型本が置いてあったので、それもザッと読んだ。『占い』は大きな字のだけ読む。やっぱり今年はアカンのですって、わたしは。でも、今ヒトにやさしくしたり親切にしておくと、その後必ずかえってくると書いてあった。10月からは少しづつ外にむかえるとか、外から声がかかるとか、書いてある。わたしはこう見えても結構親切なんで、それは今だから、ということもない。それに、人に親切にすれば、水瓶座じゃなくったって、かならず何かしらかえってくるもんなので、読んだ時には「当たってる〜」と思ったけれど、今思えば、ただの教訓だなあ。でも、いいのだ、そんなことは。それよりもこの流行の血液型本が、う〜〜〜ん、やっぱりほとんど当てはまるのでした。これもあんまり考えたくないものではあるけれど、『B型本』にあった、「楽天的だけれど、根暗」だとか、「ヒトの名前や顔は覚えられない、というよりも、覚える気がない」とか、「大勢でワイワイやるのが好き。でも、一人が好き」とか「思ったらすぐやらないと気がすまない」とか「右といわれたら左に行く」とか『イエスかノーか。0か100かしか考えない』とか「小心者」とか・・・。これも誰にでもあてはまりそうでもあるけれど、たしかにそんな感じだしなあ・・・と思ってしまった。「A型の人はO型になりたいと思ってる人が多いが、B型は生まれ変わっても絶対B型がいいと思っている」というのも、わたしには当たっている。B型はB型が好きだ、というのはそうだと思う。B型の人は嬉しそうに「わたしはB型よ」と言う人ばかりだ。
 美容院に予定外に飛び込んだはいいけれど、あまりにも時間がかかり、しかも思った通りにならず、ハッキリ言って下手クソだったので、また疲れた。

 雑誌の中ではFIGAROが昔から好きなので、持って来てもらう。クロアチア特集というのがあって、ビックリした。ええ?なんでまた。でも、今普通に東欧がブームになっちゃってるんだなあ。ファッションもそうで、東欧風なフォークロアとハードなものやトラディショナルなものの組み合わせなんかが流行なんだなあ。あとはチェック。チェックオンチェックとか花柄とチェックとか・・・これって、昔からわたしはやってて、ウヘ〜っといつも言われていたような組み合わせだったんだけどねえ。ブログのトップに貼ってある憮然とした恰好で映っている写真でわたしが着ている赤と黒の大きなチェックのワンピースですが、ああゆうのが今流行らしいので、これまた驚き。今年も着ようっと。
  OZの少し前の美術館特集も読む。直島がたくさん出ていた。家プロジェクトは一昨年よりも増えているみたいだ。何故か東京から島に来てカフェなど開く人というのが、スッピンで、ちょっとおしゃれ眼鏡かけて、美人ではなくて(酷い!)、髪の毛はまず染めてなくて、無印プラス雑貨屋グッズでそれとなくかわいくまとめました〜みたいな感じで、たまにアニエスベェ〜とか着てる・・のがおかしい。眉毛のお手入れはしてない。よくボーダーのTシャツを着ている。ようするにスローな感じというのか・・・。という感じが、つまりわたしは嫌いなのでして、ここで言うことでもないけど、疲れてるんで言ってしまいたい!ええい、言ってしまえ。

●ビストロ
 やっと下手クソパーマも終わり、一度額を家に置きにいき、かわりにイラストを持って、品川駅構内のPAULへ。ライターの石井さんに受け渡し。今度の石井さんの英国本は・・・言ってもいいのかなあ、エエと、鉄道です。ええい、言ってしまえ!英国の鉄道旅です。見せてもらった写真がどれもかわいくてきれいで、いいですよ。これにはわたしはあまり参加してませんが、その次の本には大分かかわると思います。楽しみでもあるのだけど、時間を考えると呆然となります。でも、愉しみ。
 その 石井さんが、数日前にランチをした赤坂のビストロに、わたしの絵が2枚飾ってあったのでビックリ!というので、わたしこそビックリしてしまった。よくわたしの絵だとわかったなあ〜と、それにも感心してしまった。
  ソムリエ界の貴公子(!)渋谷康弘さんが西麻布のル・セップを作った時に、「Egg in the City」は色違いで3点買っていただきました。それと、「卵を食す」「バナナを食す」ほか、「犬好きのカプ&ソーサー」「釣り好きのカップ&ソーサー」も。これらは今でも飾られていて、嬉しいことに、雑誌にここが載る時にはいつもこれらの絵の前で写真を撮ってくれます。で、赤坂の「ラ・ブロシェット」には、その卵の絵とバナナを食す貴婦人の絵が飾られていたのだそうな〜〜、嬉しい〜。渋谷さんは、前からプロヴァンス風のビストロをやりたいとおっしゃっていて、多分、赤坂のお店は、そのリーズナブルさからいって、念願のお店なのだと思います。おめでとーござんす!9月のオープンだそうです。渋谷さんはワインだけじゃなくって、お料理にもとても力を入れているので、お腹いっぱいになるし、おいしいし、きれいだし、わたしはとても好きです。下北沢の「グラン・クリュ」というのも渋谷さんのお店です。ワインもおいしいものを選んでくれますよ、勿論。ランチは1000円くらい。ディナーは4000円だそうです。ル・セップはワインは5000円からでしたが、ここは3500円からあるようです。リーズナブルなんですよ、コレが。でも、わたしは普段せいぜい1500円ですけどね。十分おいしいものはあります。
 きょうも、通販で買った1000円しないボルドーをグラス1杯飲んでます。二人展が終わったら、行こう!!誰か行きませんか?
 そういえば、きょう見た雑誌にボルドーの赤ワインについてが書かれてたっけ。レストランで頼む場合のことなど。ビールみたいにそそいでもらう時にグラスを持ち上げる人がいますが、止めましょう〜〜とか、グラスをまわすのは内側へ、とか、普通のことばかりではあったけれど、わかりやすく、ラベルの説明があって、一通り読んでおもしろかったです。とはいえ、記事に載っていたようなシャトー・マルゴーなどの高級品を飲む機会はまず無いので、別にわからなくてもいいんだけどね。知り合いがソムリエ試験を何度か受けてます。受かったら、数名で「シャトー・ラトぅール」を買ってお祝いしよう!ということになっているんだけど、まだ受かりません。受からないと一生飲めない。早く受かって!と祈ってます。

●ハッキリ言って
 パーティには、そんなに凄いワインは当然ながら出ません〜

 では、またね


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◆2008年9月28日(sun) ハッキリ言ってタイムリミット

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塩ビにドライポイント。
『2』『雲』『ゼリー』

自由な線になって楽しい。

 二人展搬入まであと6日、実質5日だというのに、現在2作同時進行中のうえ、家でまだ下絵を描いている。きのうは、午前中に額と作品をあれこれと組み合わせてみた。版画の大きさが、どれも大きめになっているので、どうしても1枚大きな額を購入しなくてはならないことが判明。あとはなんとかマットの新調のみでまかなえる。

 仕事が一つ。でもって、また仕事が重なり、困ったなあ〜と思っていたが、一つは多分担当者が代わったために無くなりそう。立体の小さなものを1週間で10個・・・・というのは、この状況では無理なので、正直に「無理」と答えた。去年だったら、「大変だけど、やれますー」と言っていたような気がするけど、今の制作状況では100%無理だと思った。担当者が代わると、段取りがわからなくなるから、こんなことになってしまう。ちゃんと引き継ぎしておいて欲しかった!多分この仕事は1週間でできるイラストになってしまうことでしょう。立体、好きだから、残念。

 ちょっと意気消沈していたけれど、新たに版画のお仕事をいただき、しかも、わたしの大好きな食べ物関係だったので、嬉しそうに打ち合わせに行ったのでした。初めて副都心線に乗った。感慨ひとしお・・・でもなかった。普通の地下鉄だし。

●『2』『雲』『Jelly』
 制作途中でもありがたいことにお仕事はあるわけで、時間的余裕の有無でやり方は様々にしている。今回、初めて塩ビにドライポイント(版に直接ニードルで傷をつける。腐食無し)というのにトライ。これが書いている!という実感がとてもあるために、楽しくて仕方がない。しかも、塩ビはハサミで自由な形に切れるので、実験しているうちに想像が膨らみ、止められなくなってしまった。ニードルは借り物だったので、返す日までに何か一つ作品を作ってしまえ!と今回のわたしのテーマ3つを書いてみることにしたのでした。

『2』・・・・昨年の夏、『B&W』制作中の暑い日に、ボーッとしていたら目の前にゴシック体の「2」が三つ、●の中に入ってゆっくりと上から落ちて来た。これはその後も何故かパッ、パッと目の前に浮かぶ。だから、何の意味もないのだった。でも、意味の無いことでも、実際に我が身に起きているのなら、それは今のわたしなのでありまして、それを描いたっていいじゃないかぁ〜!ということですわ〜

 このごに及んで、さらに新作を制作中なのですが、本当は、「バカボン」と「ココロのボス」も描くつもりだった。勿論そのままを描くつもりはないのだけど、一応、下絵だけは用意していたので、タイムリミットになってしまって「悔しい〜〜〜ですっ!」やはり、赤塚不二夫さんにはお世話になったケンねえ、オマージュのひとつもしたいんですよ。でも、最後まで、やれるだけやってみます。

いつものことながら、そろそろ大詰め!というところで、いろんなモンが天から落ちてくるんですよねえ。手がもっとあればいいのに、時間がもっとあればいいのに・・・。でも、いくらそんなモンが増えたところで、同じことなのよね。

●連絡事項
エ〜〜、二人展のDMが無くなってしまいました。
なので、もう誰にも送れません。届いてもよさそうなのに、届いてないじゃないのよ〜〜、と思ってる方、すみませんが、もう届きません。インフォメーション見て、是非来て下さいね。

●ハッキリ言って
最近あまりパーティなんかしてませんが、今回は二日目の7日に、ちょこっとだけ食べ物とワインくらいお出ししようかと思っています。5時くらいから終わりの7時までです。以前は何品も自分で作って豪勢にやっていたのですが、力尽きてきたので、今回はパンとチーズくらいだと思いますので、そのつもりでね〜!パンが好きなのよ。チーズが好きなのよ。そしてワインがあればいいじゃんか。この3つがあればわたしは良いので、みんなもそれに合わせてね。
来るもの拒まず、なのでみなさん来て下さい。でも、パーティするとちゃんと絵が見れない、ちゃんと話せない・・です。ハッキリ言って。だから、普通の日にも来てください。どっちでもいいんですけどね、話がしたいとか、絵をジックリ見たいという方にはパーティはおすすめできないです。ハッキリ言って。
 また、ハッキリ言って、誰の手伝いもないし体力も落ちているので、たくさんの方とうまく話せないかもしれません。だから、パーティはどうかとも思います。エエ〜〜!?じゃなんでやるのよお〜!とおっしゃらないでください。だって、ハッキリ言って、パーティは面倒くさいけど、パンとチーズとワインは好きなんだもん。それだけよ!

 では、またね




◆2008年9月23日(tue) 表参道でおしゃべり付き即興演奏

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フレンチブルがいるハンバーガー屋


nasuno mitsuru


●ハンバーガー&MOMA
 祝日。嬉しそうにリボンの帽子をかぶり、オレンジ色のゴルチエのワンピース(着心地悪し。でも、いいの・・・)を着て表参道へ行く。デザイナーのティーカップ・N氏と待ち合わせする。わーい、デートだ!嘘
工房のそばにある気になっていたハンバーガー屋へ行く。ハンバーガーといっても最近は高級化している。でも、パンもハンバーグもちゃんと作っているので、これで良いのだ。この店にはフレンチブルドッグが2匹います。犬OKの店で楽しいです。写真の後ろにいる白黒ちゃんの方は客の椅子にも乗っかって寝てたり。でも、客も何もいわず同席です。お腹いっぱいです。
 ブラブラと表参道に戻り、シャネルのビルの3階へ。Gallery White Room Tokyoで『細江英公 「『抱擁』と『薔薇刑』」』展見る。『抱擁』の方はとても大きな作品で、これはインクジェットでプリントアウトされたものでした。写真は大きい方がいいなあ〜『薔薇刑』は60年代を感じさせる。横尾忠則展も思い出してしまうし、サイケな感じでした。三島由起夫のフンドシ姿が・・・・・
隣にあるMOMAのデザインストアにも寄る。美術館にあるアートショップも、最近では似たり寄ったりだなあ〜とは思うけれど、ついついいろんな物に目移り。だいたいわたしが見るのはキッチン用品とステイショナリーだけど、実は、時計もよく見る。実際には時計つけてないです。でも、何故なんだろうか、時計はデザインが画期的なものがどんどん出るので、見たくなる。買わないけどね。

●ライブ観る
 目の保養をしつつ、世間話やら音楽や美術やらの話をしながら、ブラブラと変な表参道ヒルズの裏を通り、珈琲屋『月光茶房』へ行く。普段は珈琲屋さんですが、たま〜にライブをやってます。きょうはナスノミツル (b) + 吉田隆一 (baritone sax) という組み合わせでした。3時から。昼間のライブでちょっと嬉し。2時の開場より早く着いてしまったのだけれど、マスター&マダムが中に入れてくれたので、リハ中のナスノさんとも話せて嬉し。ナスノさん久しぶり!そして、やっぱりこの方は素敵な人なのでした。何故かというと、必ず会うとまずは「きょうも素敵ですね〜」とわたしのファッションを褒めてくれるからなのだ。とにかく洋服やら帽子やらを必ず見てくれているというのは、女にとっては本当に嬉しいことなわけで、さらに、それを言葉でちゃんと伝えてくれる。そうゆう人というのは日本人の男には滅多にいない。そんなわけで、わたしはコロッとナスノさんファンになったのだった。3月にやったCD発売記念ライブの時に差し上げた「ブルースルメンズ」も、気に入って大事にしてるんですよ〜、と言ってくれたので、やっぱりいい人だ、と思うのでした。ライブは2セットで、そのうちの半分はしゃべり・・・・。ナスノさんがビックリするほど吉田さんはおしゃべりだった。ま、それはいいとして(最後のナスノさんの話がよかったので、善しとする)演奏の方は、2セット目が、だんだんアヴァンギャルドになってきてよかった。わたしのCDの中の「車とかばん」の中で使ってくれていたMOOGのエフェクターもガンガン使いまくり、おもしろい音満載でした。全即興。即興のライブは長いのがどうも退屈になることが多いのですが、きょうのは全曲(曲というのか)短めで、サッパリスッキリして良かったです。おしゃべりは長いのにねえ。といっても、終止楽しく過ごし、涙が出るほど途中笑った。お笑いライブではなかったのにねえ。
 途中店内でかかっていたナスノさん初ソロアルバム、清々しいノイズだなあ・・・としばし耳をかたむける。終わってからレーベルのdoubt musicの沼田さんから購入。 しばし世間話。なんか楽しかった。最後にナスノさんに表参道画廊のDMをわたしてまた感想ほか世間話を。演奏途中のおしゃべり中、ナスノさんが「ウサギ年のうまれで、ウサギが好きで」と話していたので、ウサギの版画のDMだから渡したのだった。来てね!
 この月光茶房からはすぐなのだ、表参道画廊は。少しDMを置かせてもらって、マスター&マダムには「毎日いるから毎日来るように」と言う(ウソ)。とにかく毎日いるので、来てくださいね!帰りにギネス飲みに寄りますので〜〜〜
 ナスノさんのアルバムは10年くらい前にコツコツとセッションを録音していたものがほとんどで、こうやってCDになったこと、本当によかったですねー、と言いたいです。CDができるというのは、本当に人と人との繋がりの賜物だと思うのですよ。だから、どんなにか幸せでどんなにか大変だったろうか、と思い、よかったですねー、と心底思います。しばらくは、版画制作のBGMにしたいと思います。

●歯車
 外はまだ明るい。さらにブラブラと歩きまわり、さらに世間話。最後にピンポイントギャラリーそばのケーキ屋でいちぢくの乗ったケーキを食す。
 映画の話なんぞ。それと、「歯車」の話。わたしが5月から6月にかけて残像が見える、と言っていたのは、いくつにも重なるギザギザのある歯車だったのですが、それは残像というよりはハッキリしたもので、目をこすっても閉じても見えるもので、幻覚だったような気もする、と話したら、それは芥川龍之介 が見ていたのと同じだ、と言うのでビックリというか怖いのでドキドキとしてしまった。「歯車」という小説があったのだなあ。わたしは読んでないので、よくわからないけれど、これが、どうも同じような感じらしいことが調べたらわかった。今はもう見えなくなったけれど、10日間くらいこれはずっと見えていたのだ。その間パソコンも見ることができず、銅版もまともに見ることができず(歯車が前面に数個あるので見えにくいのです)実はとても辛かったのでした。今だから言えるけれど、わたし、危なかったなあ・・・と思った。
 今回、没作品にしてしまったものは4点にもなってしまった。これらはなーんか暗いのでやめた。そのうちの1点は描画途中で止めている。これには歯車が実は数個描かれている。なんとなく良くないもののような気がしていて、途中の段階でストップしたままなのだ。いつか、この先を描くことがあるのか、どうか、わからない。描けない方が良いような気がする。眺めては止める。なんなのかなあ、こうゆうのって。無意識に歯車が怖いものだということがインプットされていたのだろうなあ・・・

 楽しかった表参道ブラブラ散歩おしまいです。ティーカップNさん、半日楽しかったですね、また昼ライブ誘ってね〜〜〜



◆2008年9月22日(mon) リボンの帽子と落下

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パリィ〜な感じで素敵ざんしょ!満面笑み
もう少しアップで。リクエスト通りの大きなリボン、たっぷりした形。
色もわたしの好きな色でした。


個展のDMに使われた『Tide Pool Hat』

●帽子オーダーする
 帽子作家のかとうひろみさんに作ってもらった帽子はコレです。まったくもってわたし好みに出来上がりで、本当にオーダーして良かったと思っちゃいました。わたしの作品の中に『Tide Pool Hat」というのがあります。この絵のような形になっていて、嬉しい。http://www.satomin.jp/info/exhib/images/tidepoolhat.jpg

 水色もオレンジ色も好きな色です。この帽子の水色に部分は、とても肌触りが良くて、カシミアが入っているのでした。帽子を買うと、洋服や靴なども欲しくなっちゃって大変なことになってしまいますが、水色とオレンジなら大丈夫。こんな色のものが多いのよん。赤でも緑でもOKなんだけどね・・・要するにビビッドな色が多いということね。あろがとーございました。お金がたまったら、今度は花がいっぱいついた夏の帽子をオーダーしますね。帽子や靴は幸せな気分になりますね。
かとうさんのブログで、たくさんの帽子が見られます。この写真も撮ってもらったので、きょうのブログに載ってました。パリの帽子博物館とか、いろいろ見られて楽しいですヨ。

『ひろりんの帽子屋修行』http://blog.livedoor.jp/boushist/

●映画見る
 さて、木曜日に工房のNさんが「松本さん、きっと好きですよ、この映画。『レントゲン技師」とか出てきますよ」、と言われ、その言葉だけでそそられてしまい、工房の帰りに銀座のシネスィッチで『落下の王国/The FALL』を見てきました。 監督さんはターセルさんと言います。ほとんど自力で作った映画で、俳優たちもほとんど無名。

 物語は1915年のロスの病院が舞台。映画のスタントで鉄橋からの自殺的落下スタントによって大怪我&失恋をしているロイが、オレンジ農場でオレンジの木から落下して腕を折って入院中の少女(この子が小太りで演技も自然で良いのでした)にやっつけの寓話を聞かせながら、自殺するためにモルヒネを持ってこさせようとする。その寓話が色彩鮮やかに世界遺産12カ所を巡りつつ繰り広げられる。復讐の物語に出てくる者たちの衣装は、石岡瑛子で、コム・デ.ギャルソンかと思わせるようなカッコ良さだった。ターセル監督は映像美で有名らしいけれど、本当にビビッド感じが美しかったです。でも、モノトーンのところも良かったなあ。ワンカットワンカット、絵になる。というか、絵にしたい。というか、コマーシャルみたいだった、かも。でもあのスローモーションは気持ちが良い。Nさんが言っていた「レントゲン技師」の恰好は、ようするに被り物の怖さがあって、これが皮でできているところが、また、パリコレのようでしたが、わたしの好きなハードさがあるのでした。う〜ん、こうゆうの好き。
 時代背景もおしゃれなわけで、キートンや、アボット・コステロらの無声映画コメディの紳士淑女も素敵です。

 最後の方で、少女がモルヒネの瓶を取り損ねて頭を打ち、手術するシーンがあります。手術中、少女は自分の家族に起きた悲惨な事件に襲われ、宝箱の中の人形たちが動きだし、頭の中から布がヒュルヒュルと出てきたりします。これは、わたしの大好きなパペットアニメーションになっていて、とても素晴らしいのでした。思わずスクリーンに釘付けになり、「まさか、これは変態クエイ兄弟!!??」と嬉しくなってしまいました。クエイ兄弟はヤン・シュヴァンクマイエルからも影響を受けている闇のようなパペットアニメーション作家です、双子です。いいねえ、双子ってとこがまた。パンフレットを買って読んでみたら、やはりクエイ兄弟に依頼したかったようなのでした。でも、スケジュールが合わず、別の人に依頼。それでも十分わたし好みの怪しいアニメーションになっていました。残念なことにこのアニメーションのシーンは1分くらい(多分)で終わってしまいます。「なんだよぉ〜、もっと見たいよお〜〜」と思いはしたけれど、そのくらいがいいのか、それとも、やはり監督の自費での作品だから、お金のかかるアニメーションはこのくらいしかできなかったのか・・・。あそこ、また見たい。

 世界遺産の砂漠や南アフリカの海など、とても美しいです。その中に人物が小さく見えるのが良かったかなあ。実はわたしはこれらの寓話のシーンが何かに似てると思ってみていて、それは北京オリンピックの開会式でした。石岡瑛子のせいなのか、よくわかんないけど、ダイナミックさが。この色彩のビビッドさは、なんというか日本的な感じがするんだけど・・・たとえば鈴木清順のような。そういったモダンな感じが好きでした。

 クエイ兄弟の新作もくるようで・・・アニメーションは多分少ないと思うけど・・・これも楽しみです。

 雑貨屋FALLに行ったあとに、映画「The FALL」を見るというのもなかなかですね。実は展覧会の最後の作品は浮かんでいる人の絵です。まだ下絵の状態ですが、これは浮かんでいるというのか、落ちているというのか、そんな感じで、ええ〜〜!?落下かあ・・・・と、実は少し困惑してしまっている。


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◆2008年9月20日(sat) 浮かび留まる泡

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最近馬の顔のスタンプを貰った。これをペタペタしていたら、
K太郎が身体を描いた。「馬男」 。かなりいい感じだ。
右は末國さんのガラス作品。気泡がきれい。



 台風サッサと去りましたね。きのうは久々の映画館でした。これについてはまた今度。
きょうは帽子作家のかとうひろみさんと大森のギャラリーFIRSTLIGHTで会いました。かとうさんがここでグループ展をした時に、おもいきって帽子をオーダーしていたのでした。オーダーするというのはとても勇気がいると思うのですが、たくさんの帽子を見せてもらって、きっとイメージ通りに作ってくれる、と信じてオーダーしたのでした。

 わたしが言ったのは、大きなリボンがついていることと、大きめのベレーということくらいでした。帽子作家さんなので、あとはおまかせの方がきっとおもしろいと思ったのでした。はたして袋から出てきた帽子は、形はもちろん、色合いもわたしの好みのオレンジと水色で、生地も上質。おもわず「嬉しい!」っと、かとうさんをハグしてしまいました。あまりにもイメージにピッタリで驚いてしまいました。かとうさん、作っている時にはわたしのイメージが取り憑いていたらしい。だから、こんな風にピッタリなものができたんですね〜。これは当然のことだとは思いますが、オーダーして良かったなあ、と思いました。かとうさんとは数回会い、ライブにも来てもらったりしているので、わたしの服装などの感じがよくわかっているのだと思います。『Bronze & Willow』の記念ライブの時に被っていたオレンジ色のベレーとブルーの糸が絡み合っているような帽子にも興味を示してくれていたので、持っていってお見せしたりしていたので、わたしの好みは、きっと盛りだくさんでインプットされていたのだと思います。とても幸せです。写真はかとうさんが送ってくれることになっているので、少しお待ちくださいね。本当に素敵なんですよ〜〜〜

 さて、FIRSTLIGHTは地元で唯一の素敵なギャラリーです。たまに顔を出します。先日左にあるガラスの作品を購入しました。末國清吉さんというガラス作家の方の作品です。この写真のものはペーパーウエイトです。これを見た時に、「アッ理想形」と思ってしまいました。いびつな丸みのあるガラスの中に気泡が一つ。二つのもありましたが。そのまわりに小さな気泡が螺旋になってます。この感覚。固くて重たいものの中にある柔らかで頼りないもの。これがいいですねえ。わたしが最近描いているJellyシリーズは、柔らかい中にある重たい物体でした。どちらもとてもピタッとくる。しかも、驚いたことに、一番最近描いているような雲が、このペーパーウエイトの別バージョンにあり。モヤッとした白い雲が入り込み、その上にポカッと気泡があったりする。何か、考えてる方向が、たまたまだけども、同じ方向だったのだろうと思います。滅多にこうゆうものは買わないのですが、思わず購入してしまいました。あれこれ角度を変えて眺めております。
 きょうビックリしたのは、この末國さんは、6月には広島の「バザレ』で個展をしていたということでした。末國さんがバザレのサイトでわたしの個展を見つけてくれたようで、へぇ〜へぇ〜、とFIRSTLIGHTの水越さんと盛り上がりました。なんというか、バザレとFIRSTLIGHTは展示作品のテイストが似ているのですねえ。水越さんも、バザレの写真を見て、「参考になるわ〜」と言っていて、こんな風に繋がっているのが楽しかった。三人でタイ料理屋で食事。大森はおいしい店がどんどん増えている。

 工房へ。新作を刷る。イマイチ。あした完成の予定。石を描く。



◆2008年9月16日(tue) 小鳥派を見て鶏を食べてしまった・・・夢卵〜FALL

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『FALL』で購入したアンティーク。小さくてかわいい。
ブルーウィローです。でも、ちょっと建物が違いますねえ。レンガの倉庫みたいになっちゃってます。だけど、橋を渡る怪しい3人もいるし、裏側には二羽の鳥も飛んでいます。




 一体どうしたというのか、おとといの夜、中途半端に右足ふくらはぎ『こむら返り』ました。

昔から右足が軟弱なために、一生に一度は!と思っていた富士登山も諦めてしまいました。誰かおんぶしてくれないかしら・・・。『こむらがえり』『肉離れ』『吊る』、どれも同じと思いますが、ソレですよ。グリグリッと痛い。お風呂で揉んだり、マッサージしたりしていたら、さらに痛くなり、きのうも足をひきずる。調べによると、原因はハッキリしてないらしい。多分数日前から足が異常に冷たくなっていたので、冷えからくるものと思われる。さらに弱った筋肉とか体力低下も一応原因として書かれていて、どれも頷ける。
 膝強化はどうしたら良いのか?と工房で話したところ、やさしいみんなが、「フラメンコをするといい」「フラダンスがいい」などと教えてくれるのでした。フラメンコはヒールを履くから、すぐにまた吊りそうだし、フラダンスは衣装がどうもイヤ〜ンな感じする。ただ、フラダンスは中腰なのが良いのだ、そうだ。最終的にはヒンズースクワットがわたしに合ってる、ということで収まった。森光子のように100回もわたしにはできないと思うけどね・・・・

 こむらがえり(高校くらいまでコブラがえりだと思っていた)はなんとか収まったものの、これまた中途半端で緩い台風のせいかきょうも足はダルい。ダルいながらも工房のメンバーが初個展、ということで工房Nさんと一緒に西荻窪のギャラリー夢卵(ムーラン)へ。石橋さんはメルヒェンであった。小鳥派というタイトルそのままのかわいい小鳥のいる風景。やさしい気持ちが伝わるなあ、とホノボノしていたら、彼女が直後ダイレクトに
「見てくれた人がやさしい気持ちになってくれるような絵を描きたいんですよねー」と言うではないかっ!
  わたしは驚いてしまった。今の今まで、個展でそうゆうことを考えたことがなかった。自分の描きたいものをとにかく描く、という欲求のみに従ってしか描いてない。勿論仕事では違うけれど、個展では見る人に対するやさしい気持ちというものを今までは持ち合わせていなかったと思う。ただ、この前の日記でも書いたように、気持ちが重くなるようなものはわざわざ人に見せたくない、と思うよね。ただ、表現というのは「詩と思想」でのエッセイにも書いたけれど、「自己チュー」の極みであり、そして、それだからおもしろいし、そうでなければいけないと思ってる。だから、多分、石橋さんはわざわざ「やさしい気持ちになって欲しい」なんて思わなくても、自然にそう感じる絵になっているのだ。元々やさしいのだ。
 そんなことをその場で思って、『荒(すさ)んじまってるジャン、わたし・・・・、気持ち悪いのも描いちゃうし・・・長くやってるのに、そんな風に思ったことなかったよ・・・もう嫌っ』と、本気でパニックになっちまい騒いだら、お二人に「そんなことはないですよ!気持ち悪いと思ったことないですよーおもしろいですよ!」と慰められた。やさしい気持ちになってもらわなくても良いのだ、わたしは。ただ、気分が重くならなければ良いんです。そして、「おもしろい」というのはナニヨリなお言葉で、とても慰められました。個展最中に言われるよりも、何故だかとても嬉しかった。ありがとー

 ヒトの個展に来て、慰められるなんて・・・こんな大人でいいのか!?みんなわたしより若いのにわたしより大人だなあ。こんなことではいけないなあ。全然人間できてないです、わたしは。なんだか情けない気持ちになってしまった。

 やはりやさしい絵を描く人はやさしいし、キモい絵を描く人はキモいんですよ。それは個人的な印象でのことで、他人が、「でも、本当は〜〜な人なんですよね〜」なんて言っても、全然関係ないことだ。となると、つまんない絵だなあ、とわたしが感じてしまったら、その作者はやっぱりわたしにはつまんない人なんだな。こんなことはあたりまえのことだろうけど、そう改めて考えると、絵って・・・絵だけじゃなくて音楽でもなんでも、怖いなあ、と思ってしまいます。絵や音楽はおもしろくないけど、作者はとてもおもしろい、と感じることなんていうのはあるだろうか?滅多になさそう。な〜んかつまんないことを考えてしまってるなあ、とも思うけど、ちょっと怖いなあ、ね・・・・
 きょうわたしの絵を「おもしろいですよ」と言ってくれた二人にとっては、きっとわたしはおもしろい人という印象なのだろう、ということだ。随分前だけど、CDの歌詞カードを読んで「悲しい歌詞ばっかりですね」と言った人がいた。その人にとっては、わたしは悲しい人なんだろうと思う。個人的な印象に間違いも正解もない。

 お二人と一緒に隣のムーハンで海南チキンライスを久々に食べる。たまに食べると美味しいです。こむらがえりしないように、暖かいジャスミンティーもいただく。小鳥のことは考えないようにして、鶏肉のイボイボ食べる。本当はこの皮が苦手です。
 夢卵の前の道をまっすぐ西へ行けば、すぐに雑貨屋「FALL」です。ここでの個展&ライブも、もう2年前になってしまいました。楽しかったですねえ、毎日店主の三品氏と話すのが楽しかったし、ママクリオとのライブも、近藤さんの飛び入りなどがあって、本当に素敵な一夜でした。このお店のセンスが好きなので、二人を連れて行きました。ポストカードは全作品置かせてもらってます。結構売れていたので、また置かせてもらいに行くことになった。ありがとーござんす。「Bronze & Willow』も置いてます。最近は試聴機が置かれていて、聞けるみたいなので、お近くの方は行ってみてね。そこにミュージシャンの青木隼人さんが現れる。一緒にやったこともあったなあ、と思い出す。しばしおしゃべり。この試聴機はわたしがずっと欲しかったもので、うらやましぃ〜のでした。
  FALLはおちついたセンスのよいお店です。今回はブルーウィローの小さなつま楊枝さしみたいなモンを発見。三品さん、わたしのためにどこかからか仕入れてきてくれたのね?嬉しいわ〜、と一つ購入。日本製のわりには、頼りないプリント。何に使ったものなのかわかりませんが、かわいいアンティークです。必ず何かそそられるものがあるなあ、ここ



◆2008年9月14日(sun) ジョージアとローリー

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上:ローリー
下:ジョージア




 銅版画の描画中は、手は勝手に動いていて、頭の中では一つのキーワードから連想されるものを次々を思い浮かべて行くことが多い。物忘れが段々酷くなってきたので、名前を一つ思い出すまでに考えてもいなかったことをたくさん思い出すことも多く、こうやってることって、認知症を未然に防ぐことにならないかしら?なればいいのに、と思うのでした。

 金曜日に工房のエンマークさんが初個展だったので、 5人ほどで夜会場になっている三軒茶屋の『まよるか』という食事のおいしいお店に行き、お祝い&お食事。Aちゃん以外のメンバーはみんな新しい工房メンバー。最近の新人たちはみんな個性的でおもしろく、世代は随分若いけれど、そんなことは年齢を偽って暮らしている(29歳と言いはっている)わたしにとっては関係ないのだった。
  この店はわたしが昔行っていた「東京版画研究所』に居たことのある女性が始めた店で、スペイン料理ほか、創作料理の数々をおまかせでドンドン出してくれる。どれも美味しくて、しかも「バルセロナのタコはおいしかった」と言えば、「タコ出しましょうか?」とホイホイと出てくるという嬉しさ。今度は「アワビおいしかった」なんて言ってみようかと思っている。壁はギャラリーとして使っていて、コースターにはご自身の版画が使われていた。久々に新鮮なメンバーで盛り上がり楽しかった。
  しかし、ここ数ヶ月ですっかりお酒に弱くなり、また食欲もそんなにないために、最初に出たスペインオムレツとパエリヤとカポナータでだいたい満腹になってしまった。パエリアはたまに作るけど、今まで食べた中で一番おいしかった。お米のプチプチ具合が最高だった。トルティーヤもおいしかったなあ。ナスを味噌で味付けしたものと牛肉とキムチをのせ、ゆずこしょうをつけて巻いて食べた。自家製の生ハムもバゲットもおいしかった。パンが美味しいのはスンバラシィ〜わ〜。(結構食べてるジャン)
  お酒も最初に飲んだサングリアと赤ワイン2杯でもう無理な感じだった。ここでも思い出せなかったことが一つあった。それはハンガリーの民族はアジア系だという話で、わたしはそれは「フン族」だろう、と言ったのだけど、もう一人は「違う」といいはるので、気になって仕方なかったのだった。ほかには「アッティラ」しか思い浮かばず、モヤモヤする。結局帰宅後調べ、「やっぱ、フン族じゃん〜〜アッティラ大王じゃん〜」とスッキリした。
 絵は見たかって?見ましたよ、勿論。

 で話は元に戻りますが、先日オバタ嬢のグループ展に銀座に行った時、古本屋で思わず手にとった「ジョージア・オキーフ」の画集を買ったのでした。表紙の花がそそられるものがあったのでペラペラとめくってすぐに購入した。カフェでランチをして、ゆっくり捲ってみて、愕然としてしまった。
「ジョージア・オキーフって女だったんだっ!!」
そうです、わたしは数日前までずっと男だと思っていたのです〜〜〜〜。

 そうゆうことはよくあることながら(数年前まで翻訳&訳詞の青山南さんのことも女だと思っていた)、あの素敵なポートレートも見て知っていたのに、ずっと男と思っていたのでした。確かに、性別不詳なカッコいい顔なんだよ。でも、指がやっぱり女の人だったのだ。男だと長年思っていたせいで、スカートの写真を見ても、長い髪の写真を見ても、それでもわたしは女ではない、と思っていた。そんな男は芸術家にはたくさんいるから、全然疑いもしなかったのだ。でも、その画集に載っていた顔にそえられた指を見て、「アアッ!女だ」と気づいたのでした。繊細ながらもやさしい細いしなやかな指だった。それからもう一度スカートの写真を見るのだけど、やはり女に見えないんだなあ・・・
 それでも、絵はやはり女とわかれば女だな、と納得してしまったのだった。ただ、この人はドロドロとしたものを排除していると思うので、男だと言われればそう見えるような気もする。あえてドロドロしているといえば、骨盤の穴から見た空、くらいだけど、これもシュールさと構図と色のバランスに目が行くのであって、肉体云々からはわたしには遠く離れて見える。だからなのか、わたしはそのクールさで、この人の絵は好きなのだ。しかし、女だとわかってからの見方と男だと思ってみていた時の見方とは、どうも違うような気がして、動揺が走ってしまった。そんな事は関係ない、と思いながらも、やっぱり重要なのではないか?と思ったり。 わたしはタマラ・ド・レンピッカも好きなのだけど、女とわかった瞬間にオキーフとレンピッカが結びついてしまった。まったく生まれも育ちも違う(かたやロシア貴族亡命パリ社交界の華、かたやアメリカの農家出身アート一直線)二人だけど、繊細さを超越した大胆な表現がかぶさってしまうのだ。
 女はそんなところが良い。とわたしは思うのでした。ドロドロとしたものは男がやった方が魅力があるのだ。女がドロドロメロメロしているのは見るに耐えない。女は、そんなものは超越してクールに表現した方がカッコいいのだ。そうゆう女がわたしは好きだ。武士みたいな女が好きだ。そうゆう人はとても良く気持ちがわかるので、誰もいないところで肩を抱いてあげたいと思ったりする。大抵こうゆう人は男には大事にされないわけで、わたしも大事にされたいと思うけれど、こうゆう性格の場合、踏まれてもすぐに起き上がると思われているからなかなか大事にはされないので、ほとんど諦めている。だったら、せめて、わたしが大事にしてあげよう、と思ったりするわけで、そうゆう女の人にはわたしはヒジョ〜にやさしいです。女同士というのは、そうゆうところがあるなあ。そうゆうところが良いなあ、と思ったりする。
ドロドロとしてるじゃん、みんな。でも、そんなもんは自分の中にしまっておけばいいのだ。誰もそんなものは見たくもないのだ。

 そういえば、その日銀座で見た絵の中に、ドロッとしたもの発見。そこだけ見ないようにしてしまった。何故にそうも「胎児」や女の生理ばかり描くのだ。「飛ぶのが怖い」以来、もうわたしはこんなモンはグッタリだ。 ドロッとした時にドロッとしたものを描いてしまったことはよくある。最近わたしは数枚そうゆうのを描いた。でも、そんなこんなを考えるようになり、全部没にした。誰もそんな苦痛に満ちたようなものは見たくはないハズで、それは見る側に立つとよくわかる。気分が悪くなるような絵は見たくないのだ。あたりまえにそうは思わないか?そういったものを見たり聞いたりして喜ぶ人には、まだ余力が十分あるだろう。
 それは音楽でもいえるとわたしは思っている。聞いていて苦痛になる音楽というのがある。それがいかに実験的であろうとみんなが涙して聞くようなものであろうと、そんなことはどうてもいい。わたしが気分が悪いと思ったら、それでわたしには最後だ。まず第一に、肉体的に苦痛を伴うものに関して。これは文句無く排除。絵画やインスタレーションでも同じ気持ちだ。


 2005年の9月に新宿で開かれた「ローリー・アンダーソン展』のことを思い出していた。それは、彼女のパフォーマンスの変遷の見事な身軽さを思い出して感心していたからで、一時期は時代にノリノリの感があって「フン、何さ、お軽い女」なんて思っていたのだけど、展覧会を見てその意見は彼女に対して申し訳なかった(別に知り合いじゃないけど)と反省した。たまたまNさんがバロウズのことを日記に書いていて、「ローリー・アンダーソン展』で「ぶら下がった受話器」から聞こえるバロウズの声がイカガワしくも魅力的だったのを思い出していたもんだからサ。
 この、時代にノリノリの感じというのは、この方に対しては間違っていた。 ノリノリで変、というのだったらニール・ヤングの方が変だと思ってたんだった。それはちょっとズレてたからで、ローリー・アンダーソンの場合はそうではなかったなあ、とあとから思ったのでした。ただ、あのニューウエーブ、パンクの時代に、美術の世界からあまりにもオシャレに飛んで来て主役におさまった感が、嫌らしい感じがしていたのだ。でも、回顧展を見て、この人にはこうなるべくしてなった、美術も音楽も縦横無尽に乗り越えてやってきたという事実を目の当たりにして、この人を初めて好きだ、と思ったのでした。何十年もたってネ。そんなこともある。

 オキーフ、レンピッカ、アンダーソン、と、良いではないか。力強いなあ。力強くて、しかも、美しい。女はこうでなくっちゃいけないな。うーん、絶対こうでなくっちゃいけないな。彼女たちは、みんな美しい。そして、ハッキリ言って身につけているもんのセンスがいい。これって、本当に重要だとわたしは思うサ。ミュージシャンでも、やっぱわたし・・・服がダサい人はゲッソリだ。

*****2005年9月、ローリー・アンダーソン回顧展を見ての日記を抜粋********
(中略)・・・きのう書いた「片想い考」ですが、さらに考えてみた。これは万人に言えることだと思って書いたのだけど、その中でも、音楽や美術やスポーツに関係している分には両想い率は高いと思った。言葉や文字に頼ると実は想いも片側通行になってしまうのではないか、片側通行でも、向こうから対応すべく来てくれればそれはそれで嬉しいけれど、来ても手を振ってすれ違うだけのことが多いような気がする。どんなに上手に言葉や文字を使っていても、「わかりあえないあなたとわたし」状態は必ずある。誤解している部分がどれだけあるかはわからないけれど、誤解はきっとある。と、とてもわたしはネガティブ。「話せばわかる」なんて言うけど、話すとわからなくなることだってあるかもしれない。だけど、音楽や美術やスポーツなど脳ミソの別の部分を使う(使ってない時が重要と考えて)、五感が大事なものでは一瞬にして両想いになれるではないか!!音楽や美術やスポーツの魅力はそこにあるのかもしれない。わたしが学生時代「主要五教科」よりも「その他」の方が得意だったのは、両想い率がそっちの方が高いからで、プロセス無しでダイレクトに「LOVE」を感じるからに違いない。

ローリー・アンダーソンの回顧展では、会場中に文章や文字が書かれていた。地球博にも言葉を使った作品『言葉の滝』で出展していた。ぶら下げられた受話器をとると、「言葉は外宇宙から来たウィルスである」と言ったバロウズが何やらしゃべり続けているし、ホログラムの中のアンダーソンもしゃべり続けていたし、オウムのオブジェもしゃべるのだった。それらは近年の作品に多いように思う。もっと古い作品でも人とのコミュニケーションに彼女の思いは向いているようだったけれど、その頃のものは音そのものであったり、身体とメディアを使ったコミュニケーションであったりしたようだ。そこから言葉と文字によるインスタレーションが増えていった理由はなんだったのかなあ。言葉の幻滅からはじまって、また言葉に戻ってきたのかなぁ。言葉を使うことこそが人間そのものという捉え方で、最終的に人間そのものがメディアである、という考え方に至ったのか、それとも肉体的に衰えたのか。どんどん内面に向かっていっているのか、そんなことを聞いてみたいなぁ、とちょっと思った。
この人の良いところは、常に新しく生まれている技術に対してとても素直に興味を示すところだと思った。それをすぐに取り入れる姿勢は、案外女っぽさを感じて好感を持った。新しく生まれて来るメディアとあらかじめ「ある」人間というメディアと、常に同期させて行こう、という考え方なのだろう、と思った。

全然関係ないけれど、壁に「わたしは157センチ」と書かれていた。実際そのくらいしか身長ないらしい。因にわたしも157センチだけど、彼女は随分大きく見えますねえ。顔が小さいからでしょうか?

誤解の積み重ねで人生は楽しくなると思えば、言葉や文字もおもしろい。誤解は自らの深層心理に所以するのだと思うけど、肉体的錯覚は脳ミソのどこも使ってないと思われる。誤解と錯覚が積み重なると妄想に至りそうな気がしてきたので、やはりちゃんと人とコミュニケーションした方が良いわよねえ・・・・と今朝悟った。
****************

悟ったはいいけれど、実行には移されず今に至り、妄想癖。


◆最近のインフォメーション

『詩と思想』9月号<特集/ロックンロールの詩学>
 「ゼリーの中の個人的創作風景」というエッセイを書いています。
 購入先は、書店、通販、または土曜美術社出版販売(株)http://www5.vc-net.ne.jp/ ̄doyobi/
 または、立ち読み。

FM豊橋『STEP ACROSS THE BORDER」(牛田牛蔵さんの番組)で、4月に3週にわたって放送された『松本里美 Bronze &  Willow特集」の全放送(3回分/1時間チョット)を短めにまとめてUPしました。MUSICページにUPしましたので、そちら
  からお聞きください〜
 ココです。
 しばらくはUPしておきますので、聞いてくださいね。

ラジオ放送とエッセイ、両方合わせると、『Bronze & Willow』が見えてくる。

●10月6日〜11日、表参道画廊で『画廊選抜二人展』詳しいインフォメーションはコチラでご覧ください。

◆2008年9月8日(mon) ドラム管のようなSupergrass

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ドラム管はSupergrassを思い出させる



 『点』作品の刷りが完了したので、次の作品に移っている。
現在進行中の作品の一つは「カエル」だ。今、どうしてもカエルだ、と思っただけのことで、深い意味などはない。きれいなグリーンで作りたいものだ。それから、満月を描こう、と思い立った。

 きょうは一日家で満月の絵を描いていた。描きはじめるまでは、無音の生活をする。描き始まったらどんな音楽がかかっていても気にならずに制作できる。工房ではラジオがかかっている。それも文句も言わずに聞いている。きょうは家にいたので、何か手持ちのものを聴こうと思ったが、特に最近買ったものはなく、そんな時わたしは『Super Grass』を聞くことが多い。
 いつ聞いてもわたしはこのバンドが好きなのだった。といっても、2nd(3人が立ってる写真のジャケ)しか持ってない。そろそろ違うアルバムも聞きたいと思うのだけど、CD屋に行くのもヒジョーにむずかしい状況のため(行くと時間がかかるから行かないのだ)、誰かわたしに次を買うなら「コレ!』というものを教えて欲しいです。毎日のように渋谷のタワーレコードの前を通るのに、島に住んでいるような状況と言って良い。
 K太郎がコールド・プレイを聞いているので、ちょっとホッとしている・・・というかわたしは喜んでいる。さんざん聞かされているJ-POPにほとほと飽きがきているので、嬉しいのだ。ああ、よかった、これからはブリティッシュロックでお願いしたいですよー

 コールド・プレイはアップルのCMで露出度が高いきょうこの頃。子どもが好きになるのも当然だと思う。テレビの力は凄いのぉ。どうしたわけか、「あ、好き」と思うと大抵はブリティッシュ・ロックで、これは何がそうさせるのだろう?生っぽいギターの音なのか(そうゆうのが好きなので、プログレがおそらくわたしは好きじゃないです。好きだと思われてるかもしれないけど、好きじゃないです)、ちょっと甘いメロディが好きだからなのか。それから、ファッションが好きなせいもあるかもしれない。同じ汚さでもアメリカの汚さと違うなぁ。等々、絵を描きながらとちょっと考えてみた。もっと考えればいくらでも言えそうだけど、面倒なので、考えないことにした。アッ、そうだ、とちょっとキッカケがあって、アレクシス・コーナーも聴こうと思った。絶対に持ってるハズだが、捜した場所にはなかったので、多分押し入れの天袋の中の段ボールの中だろうと思った。もう無理。アレクシス・コーナーから始まるのだろうか?やはりブリティッシュR&Bは。などとモヤモヤしつつ、もう聞くものがないので、謎のネットCDショップを見る。ハルソール&ハルシーのアルバムを発見。しかし、ハズレのような気もするので悩む。何故か、ハズレっぽい気がしてしまうのだ。好きだけど、そう思うのだ。謎のネットCDショップには何故か弘田美枝子の「人形の家サルサ版」なんていうのがあるのだった。悲壮感溢れるあの曲がどうやったら明るいサルサになるのか、聞きたいような聞きたくないような気持ちでまた胸がモヤモヤしてしまうのだった。
 K太郎は早寝をする。理由はイヤホンでコールドプレイなど聞きながら寝たいからで、母としては、「青春ね〜」と楽しい気持ちになるのだった。自分もそうだったなー、と懐かしい感じ。ローティーンです。勉強より楽しいに決まってる。

 CDは欲しいものがたくさんあるのだ、本当は。でも、車検はあるし、額も作らねばならないと思うと、なかなか買えないのでした。来月の二人展のDMはボチボチ配ったり送ったりしてます。多分プチパーティもできると思いますので、是非来てくださいね。でも、二人展なので、どうするかまだハッキリ決めてません。思えば、ここんとこわたしはたくさんの人に助けられていろんなことをやっていました。でも、今回は初心に戻ってやってます。やろうと思ってます。とりあえず、一人でやれるだけのことをやろう、と思ってます。助けてもらえることは嬉しいことだし、素敵なことなのに違いないのですが、いろいろと思うところがあり、自分でできることをがんばってやりたい気分です。なんでそうがんばんなきゃならないのか、自分でもわからないけれど、一人でがんばるのが結局好きなんだと思います。 そしてその結果が良くないかもしれない、などということをわたしはまったく考えたことがない。自分はあんまりパンクじゃないな、と長年思ってきたのだけど、もしかしたらやっぱりパンクかもしれない、と思うこのゴロです。多少の問題はどうってことない。自分の意思を通せることの方が大事だ、と思うから。



◆2008年9月5日(fri) 『点』のようなわたし

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新作を刷る。点のようなわたしがいっぱいいるのだ。



 靴ズレができて泣きながら青山を歩く。
ギャラリーハウス・マヤに寄る。なんと、今回の作家さんは、エミール・クストリッツア&ノースモークング・オーケストラのあの感動のライブの時に、ネレ・カライリチによって、「ジュリエ〜〜ット」と手招きされてステージに招かれ、カッコよく踊っていた女の人であった!!ということを、マヤのレンさんに紹介してもらい、驚いてしまった。別件で行ったものの、そんなこんなで東欧ブラスバンドの話なんぞを久しぶりにしてしまった。10月はまたファンファーレ・チョカリーアを見に行く。楽しみ。最近は月1くらいしかライブに行かない。しかも、外タレのみ。9月は日本人もチラとデート(?)がてら見に行くことになったのだけど、知ってる人のを見にいくのは久しぶりだ。こうゆう気持ちはなかなかわからないだろうけど、何故か緊張するのだった。できたらコッソリ見つからないように見たい。でも、狭いとこだから絶対隠れられないわけで、覚悟を決める。

 そんな話をして振り向くと、「オオッ!」とお互いに声を発する・・。三修社のKさんが隣で絵を見ていたのだった。「英国フード記A to Z」でお世話になった。また表参道画廊でも売らせていただきますね。
以前は偶然いろんな人と鉢合わせになっていたけれど、最近は籠ってたからショーガナイんだけど、まるでそんなこともなくなっていた。きょうはちょっと楽しかった。でも、靴ズレがひどくて、青山から工房までの道が辛い。しかも、お財布の中は610円しか入ってない。マヤのとなりの熊野神社には必ず寄るので、そこでなけなしの10円をチリ〜ンとしまして・・・・それからワタリウムを覗いたら、ワタリウム所蔵品の展覧会が始まっていて、ボイスやケージなど見たいものがいっぱいあったのに、お金がなくて入れず・・・。なんてことだろう、でも、少し楽しかったので落ち込みはしないヨ。ここから工房までいつもの道は、日陰になるようなところがなくて、足を引きずりながらで、辛いのでした。

 工房にて、サルコジの嫁の曲をラジオから聞く。しょっちゅうかかる。サルコジの嫁のシャンソンは結構かわいくて好きなのだ。『〜ショコラ〜』というのがフランス満々でよい。最近好きなのは、コレと、椎名林檎の曲で「雨傘」。これはTOKIOが演奏しているのだけど、それぞれの演奏が良いのと、曲自体が好きなのだった。国分くんのピアノもやっと甲斐がある、という感じでよいし、リーダーのギターも、あんまり弾かないところが良い(変な言い方だけど)。
 新作を刷る。「点」だけど、点じゃない。刷るまでの行程がとても大変なのだけど、おもしろいものができていると思う。いくつかのシリーズになる予定。

足を引きずりながら帰宅。あしたはスニーカーにしよう。



◆2008年9月3日(wed) 『画廊選抜版画二人展』のお知らせ

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詳しいインフォメーションはコチラでご覧ください。



 10月の二人展のDMができている。表参道画廊です。『画廊選抜二人展』。画廊の企画なので、一緒の展示になる前大道さんについてわたしは何も知らないのですが、迫力のある銅版画で、わたしがまったくやったことのない技法などを使っていて、銅版画の奥深さを感じます。是非、みなさま、お越し下さい。二人展といっても、会場は結構広いので、充実したものになると思います。

●点としてのわたし
 前にも書いたと思いますが、今回は特にテーマというものを考えていません。展覧会をする時には、いつもあるテーマに気持ちを集中させ盛り上げてのめり込んでやっていましたが、今回はどうやってもテーマに沿って集中できるような気がしませんでした。
 わたしには最近 大きな岐路がありました。自分が向かっていく先の喪失感がありました。握っていた手の平の中にあったものも、確かに記憶はあるのだけど、どこに行ったのか見えなくなり、どうやらその形は変わってしまったようでした。何に向かってやっていくのか。その向かう方向がまったく見当たらなかった。外には何も見当たらず、信じるものも何も見当たらず、ボウッと残像だけが見えるようでした。向かう先は見当たらないけれど、見当たらないわたしは、見当たらないものを描くしかない、と思いました。
 ボウッと見える残像は、ほのかに見える明るい煌めきもあれば、二度と味わいたくない胸の痛みがゾンビのようになって蘇る姿でもあります。いつもそれらがゴチャゴチャと現れては消える。どこに自分はいるのかわからないけれど、わからないモヤモヤも悪くはない気もする。そういった一瞬一瞬の点でしかないわたしを、ただ描いていこう、と思いました。『on Clouds』と『in Jelly』のシリーズの中で、浮遊する点としてのわたしの残像を、ただただ、わたしは描いています。 絵の前に立って、無言になってもかまいません。以前は、絵を見に来て、何の感想も言わない人を、わたしは「クソ野郎だ」と思っていましたが、今はそんな風に思ってません。どうぞ、無言で結構ですので、点として『在る』わたしを見に来てください。



◆2008年9月2日(tue) 『アルと思います』この本の読書感想文

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夏休み最後の町内会のイベント
「流しそうめん』
わたしはひたすら茹でた。
ああ、茹でたサ


 夏休みが終わった。お母さんたちはホッとしていることでしょう・・・・と良く言いますが、わたしの場合はあまりそうゆう感じでもない。というのも、ウチの息子がとてもおもしろいからで、特に中学生のK太郎はわたしとお笑いのツボほか、感覚が似ているため、ヘタな恋人よりも一緒にいて楽しめるわけで(ヘタな恋人ってなんだ?)、母親と息子の関係というのは空恐ろしいものがあるのだった。なーんだ、もう一緒にいられないんだ、つまんないわ・・・なんて思ってしまったりする。くわばら
 で、このK太郎は、最近のわたしの悪いDNAをそっくり受け継ぎ、ギリギリ男なのだった。夏休みの宿題のほとんどを残り二日までやっておらず、30、31日、みっちりと家に引き蘢って読書感想文以外すべてをやり終えたのだった。これはこれでわたしはアッパレと思うのであります。ギリギリ人間というのは、実行に移すのがギリギリなだけで、実際には頭のファイルケースに段取り(つまりは下処理のようなもんだ)したものを入れ込んでおいてるわけで、「できる」とわかっているので時が来るまで待つわけであります。ほとんど言い訳に近いけど、これが真実。なので、実際に実行に移す時には、頭のファイルケースからどんどん取り出していって現実化していけばよいだけのことで、時間の計算を間違えなければ、ドキドキする必要もない。K太郎は(目を充血させて)パソコンを前にしてすべてを終えた。最近の子はパソコンという強い見方があるから、自由研究なんかでも、昔より相当楽だと思った。

 しかし、読書感想文だけはそうはいかない。2週間ほど前に、わたしは奴が本を読んでいないのに気づいていたのだった。「本読んでないじゃん。どうするの?買いにいこうか?」と聞いてみたのだ。するとホゲ〜としたK太郎は「ネットで何でも読めるからいらない」と言う。なるほど、そりゃ便利。お金もかからないし。
 「何を読むの?」と、聞くと驚くべきことに
 「中村俊輔の本。サッカーの本」
   ヒエ〜〜〜
 「それって、タレント本なんじゃないの?それは違うでしょ、マズイでしょ」とビックリして言うと、
 「そうか〜、駄目か〜。そういえば去年雑誌の感想文書いて怒られた奴がいるなあ〜」
   ヒエ〜〜〜、雑誌かよぉ〜〜、ヤルなぁー

 その日から、さらに観察していたが、結局何も読んでいる気配がない。わたしはだからといって手助けする気は毛頭ない。わたしはわたしのことの方が興味があるし、忙しい。そして始業式となってしまったきのう、夜になってわたしの本棚の前でうろちょろし、平井正則の『アインシュタインの世界』とか小杉武久の『音楽のピクニック」とか、前面に出ていたものを出してペラペラしているのを発見してしまった。なんてこったい。「これおもしろそうだから、これにしようかなあ」ヒエ〜〜〜
 「そ、それは、無理でしょう〜〜!3行から前に進まないと思うよ。しかも感想文書くような本じゃないよ。もしかしてきょう一日 で読もうとしてるの?こうなったら筒井康隆のショートショートでも読んどきなっ!」と猫の手ほどの助け舟を出す。「う〜ん、どうしよう」

 自分が何の感想文を子どもの頃書いたか覚えているかなあ?わたしは「高瀬舟」しか覚えてない。そして、本棚の隅にモッテコイなものを発見したのだった。それは萩原朔太郎の「猫町』だった。これはアリだろうか??と疑問には思ったけれど、詩人の書いた小説、ということでアリなんじゃないか?なんといっても短い。アリ?
 「アルと思います」と天津木村も言ってるじゃないか。先生に「ナイと思います」と言われたら、屁理屈をコクべし。

 パロル舎のこの本は絵も魅力的で好きだし、萩原朔太郎も好きなので大事にしている。教科書に載っていた朔太郎の現代詩を読んで、わたしは初めて「詩っていいな」と思った記憶がある。牛の詩だった。それまでは、詩ってセンチメンタルなのばっかりで気持ち悪いと思っていたのだ。それは母のせいなのだ。
  ヴェルレーヌの有名な一文「都に雨の降るごとく、我が心にも雨が降る。』だとか、『秋の日のヴィオロンのため息は余が胸をけだるくも悩ましぬ』だとか、母が「いいわね〜、ヴェルレーヌって〜」、と家事をしながらしょっちゅうこれらの詩を読むので、ウヒョ〜、センチメンタル〜と、寒々としてしまい、どんどん退いてしまったのだ。それでも、読み聞かせ状態であったわけだから、わたしもこの二つは今でも、多分言えるわけで、それはちょっと感謝なのだ。三つ子の魂百までも、だ。父が母に送った最初のラブレターが「破れ雑巾のような我が心〜〜、(ナンダラカンダラ)」というものだった、というのもずっと聞かされていて、「素敵でしょ〜」と母はウットリして言っていたが、内心わたしは、ウヒョ〜、ヴェルレーヌっぽいけど、「雑巾」って・・・アナタ、全然美しくないよぉ〜、とやはり寒々と思っていたものだった。ヴェルレーヌのこの二つの詩は、訳も魅力的だものね、乙女はクラッとくるのだな。わたしだって、ヴィオロン、には参ったサ。きっと、だから、わたしは「シトロイエン」「ジャギュア」と言いたいのに違いない。

 というわけで、K太郎は、「猫町」を読んで、その感想文を夜中には書き終えていたのだった。「おもしろかった」と言うので、それは良かった、と思う。
  そして、ハッと思ったのだ。先日見た「下北沢電車」の夢は、アレはこの本を呼んでいたのではないのか?確かこの本のモデルの町は、下北沢だったハズだ。電車も出てきたなあ。そして、レトロな店があったり・・・・。
うわ〜、気持ち悪い!!

 



◆2008年9月1日(mon) ラジオで『Bronze & Willow』を聴こう

ブログ● +P里美の『Bronze & Willow』はこうして作られた
松本里美の『銅版画集&CD』制作日誌はコチラ




FM豊橋『STEP ACROSS THE BORDER」(牛田牛蔵さんの番組)で、4月に3週にわたって放送された『松本里美 Bronze & Willow特集」の全放送(3回分/1時間チョット)を短めにまとめてUPしました。MUSICページにUPしましたので、そちらからお聞きください〜

●放送が聞けるのはココ


ラジオは好きです。特別な感じがするから。だけど、繰り返し聞くものでもないですね〜
とか言いながら、しばらくはUPしておきますので、聞いてくださいね。


「Bronze & Willow』 の詳しいインフォメーションはこちらです。
http://www.satomin.jp/info/bronzewillow/browillow0711.html


合わせて、『詩と思想』9月号<特集/ロックンロールの詩学>もよろしくお願いします!
エッセイを書いています。

ラジオ放送と両方合わせると、『Bronze & Willow』が良く見えてきます。

書店または通販などでお求めください。
または、立ち読み。

土曜美術社出版販売(株)
http://www5.vc-net.ne.jp/ ̄doyobi/

 

















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