◆2008年8月30日(sat) 夢の中の雨

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HELLO ムササビさん

抱っこしたいです、かわいくて。 ムギュ

 雨だろうがなんだろうが、ストイックに版画の制作をする毎日。そんなわけで、夜は精根尽き果ててしまい、さて、本でも読もうか、と本を広げると、3行ほどでパタッと寝てしまうのだった。
雨雷嵐、毎日酷いっていうのに、何故かわたしが外に出ている時にはさほどでもなく、時間をなんとか作っては少しづつ様々な音源の編集をしているため、ヘッドフォンをしていたりもするので、実は、雨がこんなに酷かったことをまったく知らないままだった。被害にあってる方には申し訳ないけど、本当に雨のことを知らなかった。

 そして、きのうの夢。
地方都市のアーケード商店街を歩いている。何か急ぎのようで、わたしは早く駅に辿り着きたくて近道を捜しているのだけど、近道がすべて何かのイベントのせいで通れない。左向こうに東急ハンズが見えていて、その向こうが駅なのに、全然そちらに行けない。人がたくさんいて、どうやらB'zがストリートライブをしているようなのだった。二人っきりでやってる。人垣の後ろ側をなんとかすり抜けながら聞こえている曲は、知ってる曲だった(実はこの人たちの曲はほとんど知らないんだけど・・・)。おお、そろそろギターの人のソロの部分がやってくるなあ、ここんとこは聞きたいもんだ、ちょっと立ち止まろうかなあ、と思った瞬間に落雷。大雨がザ〜〜〜〜ッッッッ!!ウヒャ、走ろう!とハンズの横から始まるアーケードまっしぐらに走るわたし。今まさにB'zのギターの松本氏がピックを持った腕を振り上げたところで、アンプの音がブチッと切れた。すると、松本氏がヴォーカルの短パン男のマイクをとり、「エ〜、漏電しました。ギターの音が出ないのでこれで終わります」というので、わたしは「なんだー、チェッ」と消化不良のまま急ぐのでした。アンプは切れたのに、マイクは何で大丈夫だたのだろう???でも夢だから仕方ない、と思いながら夢を見続けていたのでした。
 朝になって、みんなして「きのうの雨の音は今までで一番大きな音だった」とかなんとか言ってる。へえ、そうなの。と言いながら、夢を思い出し、やっぱり夢の中でも雨の音が聞こえていたのだろうか?と思ったのでした。

 やっときょう1点刷り終えた。今回の作品は、ほとんどオートマティスム。瞼に浮かんだ残像を描いた。なので、タイトルも何も考えずに描いたから、刷ってる間もどこで終わるのか良くわからなかったし、何のつもりで描いたのか、何をしたいのかよくわからないままです。今までと違って、「デキタ!」感がない。「これでよいのかな?よいような気がする」と思いながらだった。多分、見る人も、無言になってしまうかもしれません。でも、今の自分の正直な絵なのじゃないかな?と思ってます。あしたから、また、新作にとりかかる。今度もそんな感じで。

 



◆2008年8月29日(fri) 翼竜と科学未来館は魅力的だった

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HELLO 翼竜さん
スターウォーズっぽいですね。

日本科学未来館に、「世界最大の翼竜展』を見に行ってきた。
 チケットをゲットしたまま、いつまでたっても行けず、きのうやっと行けたのでした。翼竜とは約1億5千万年前に地球に生きていた、は虫類のようなほ乳類のような鳥類のような、謎に満ちたスカイモンスターであります。10cmくらいの小さいものから、広げた翼10mのケツアルコアトルスまで、多種多様。二足歩行ではないので、恐竜とは言いません。あくまでも翼竜といいます。二足歩行ではなく四足歩行なんですね〜。凄いなあ〜。最近になって、化石の中に毛が発見されまして、一体どんな生態なんだろう、と想像もつかなくて、絶対に見に行こうと思っていたのでしたよ。着いたら、ちょうど日テレの「ラジカル」の生放送の中継やってまして、ニシオカスミコと米助が翼竜展の案内してました。途中まで解説の人と一緒に回る。
 翼竜は、コウモリのように、身体が獣なんだよね。四足でヨチヨチと土の上を歩きます。不思議な光景です。

見てくださいよぉ、身体は獣ですよ!人間みたいなのよぉ〜!キモイですねえ。不思議ですねえ。右のは別の種類の化石です。きれいですねー。 ムササビやモモンガの剥製もあって、楽しかったです。BBC制作の翼竜の絶滅の道を辿った映像も見入ってしまいました。 こうゆうの、好きなんですよ。それに、骨は美しくていいのよね。骨を見ると、頭の中で勝手に肉付けをしていけるでしょ?ああなってて、こうなってて、と想像するのがとても楽しい。そして、骨を見ると、動きがわかるんですねえ、それがまた想像力をかき立てるのでおもしろいのよね。
 しかし、一緒に行ったKくんとわたしは、科学未来館の常設の階に、実はもっと興奮してしまったのでした。最上階のプラネタリウムには入らなかったけど、その 下の階に、なんと大好きな「しんかい6500」の実物大模型があるではないの!中にも入れて最高に幸せ。ほかにもロケットエンジンがドカンと置かれていて、そのゴツイ美しさに感動してしまいました。

左がロケットエンジンです。そして、右はしんかい6500の中です。中に入ることができます。中には3人入れて、腹這いになって観察するそうです。Kくんとわたしはルンルンで一緒に腹這いになったのですが、Kくんはそそくさとすぐに出てしまいました。この中には靴をぬいで入るので、臭ってたのよね・・・・。わたしは臭ってても汚くても、おもしろかったらおかまいなしなんだけど、男というのは、自分も臭ってるくせに、ヒトの臭いにうるさいなあ。それはともかく、メカには弱いっていうのに(普通の感覚よりは強いけど)つまみとかスイッチとかを触るのは好きなもんで、こんなにたくさんスイッチがあると涎が出るくらいです。全部触りたくなる。

その下の階にいくと、顕微鏡がたくさん並んでいます。DNA検査キットとか売ってます。ヒトの遺伝子なんかも見られます。超おもしろいです。でも、目が乱視の上にヒトより目が離れているため、顕微鏡の調節をいちいちしなくてはならず、これが面倒で覗くのに疲れてしまいました。
すっかり堪能して、お台場で食事をして帰宅。最近体力がまるでなくなってしまったので、ヘトヘトになってしまいました。そのあと工房に行く予定だったのに、何もできずに爆睡。雷も全然知りませんでした。

夢を見ていました。
電車の夢。広々とした車内です。売店がたくさんあり、ベンチもあり、船のデッキのように歩きまわれます。その電車内はあきらかに東京タワーのダサいお土産フロアのようなのだけど、下北沢ということになっている。ようするに、下北沢の街がそのまま電車になって移動している、という状態なわけですよ。なのに、次にとまった駅は「下北沢」だった。そこでわたしは『う〜む、下北沢の電車の中にいるんだから、下北沢で降りる意味はないよねえ・・・と下車の予定だけど降りないことにした。フと見ると、丹波哲郎が女の人とデートしていて、「終点は『ひん田』だな」と言っている。変な名前。で、下北沢の次の駅で降りよう、多分、それは渋谷あたりだろうから、と思っていたら、下北沢からはノンストップで、その『ひん田」というところまで行ってしまうことがわかったのだった。『ひん田』は相当田舎らしく、丹波哲郎も「まいったなあ、まさかひん田とは思わなかったねえ〜」と頭をかいていた。

下北沢の街ごと移動する電車に乗るということは下北沢にいるということで、凄く変な感じでした。



◆2008年8月28日(thu) 続「詩と思想/ロックンロールの詩学」

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9月号の『詩と思想』
 特集<ロックンロールの詩学>
の話のつづき。レイアウトをしてくれて、さらには特集に寄稿もしている長島さんが日記に書いていたので、あ、そうそう、そうゆうこと書いておこう、と思い立ち、さらに。

 と、いうのも、今回の特集は長島さんが半分はコーディネートしていて、中川五郎さんのインタビューの手配とか、inikiZ、加藤小次郎さん、わたし、が参加することになった。詩人の文章対長島さんコーディネートの人の文という体裁になっているのです。長島さんも書いていたけど、 中でも加藤小次郎さんのヒップホップほか黒人音楽の社会と寄り添うように生きて来た様子というのが、何かとてもリアルで、ページ数がそんなにあるわけでもないのに、映画を1本見ているような迫力があった。いつもパンキッシュなイニキさんも、いつもながらのリアル感だし、詩人じゃないサイドはライブ感とリアル感があり、直接響くものがある。
 長島さんはデザイナーだけれど、昔からいろんなイベントの企画もしていて、わたしよりも年上だけど、今も若いインディーズのものを良く聞いているし、よくライブにも出掛ける。時代時代に反応しつづけているニール・ヤングのように、いつも今の音楽を聞いている。そんな長島さんのコーディネートらしく、偏らない感じがよかったな、と思った。イニキさんはまるでわたしとは逆のことを言っているかのようだし、それはそれでよかった。でも、よーく読んでみたら、あまり違わないような気もしてきて、それは何かと言うと、「ロック」だなんだって、どうでもイイジャンカ、みんな自己満足の賜物ジャン。みたいな感じ。
それはロックでもフォークでも関係ないと思う。
 まだ、誰も読んでいないうちにいろいろ本人が書くのもどうかと思うので、このくらいにします。
長島さん、本当にお疲れさまでした!大変だったことと思いますが、結果的におもしろかったと思います。それと、表紙、イン・ジェリーのオブジェを使ってくれていて、嬉しかったです!
編集のヒロさんもお疲れさまでした。編集後記、読みました。THE WHO、行くぞっ



書店または通販などでお求めください。
または、立ち読み。

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◆2008年8月26日(tue) エッセイ「ゼリーの中の個人的創作風景」

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9月号の『詩と思想』が届きました。もう店頭にも出てるのかなあ?
 特集<ロックンロールの詩学>ということで、歌詞についてをみなさん書いているのですが(半分は詩人の方です)、それなりの「お題」のようなものがあったので、みなさん大変だったと思います。だって、壮大なことじゃないですか?歌詞について・・・って言われても。そんな中で、わたしだけが、勝手に自分のことを書いていいようになってたので、本当に助かってしまいました。中川五郎さんのインタビューというのはあるのですが、そのほかで音楽を実際にやっているのはわたしだけなので、作る側からのエッセイはつまりはわたし一人ということになります。(中川さんは訳詞、という立場もあるので)
  わたしのエッセイは「ゼリーの中の個人的創作風景」というタイトルです。わたしにとって、詩は、曲と一緒になっているものです。詩人のかたがわたしの歌詞だけを読んで、どんな風に思うのかわかりません。何か違いはあるのかしら?それとも、そんなもんは関係ないのかしら?わたしの場合は、曲と歌詞はほとんど同時に作られます。先でも後でも、どっちにしろ別に作ってる場合ともまた違うような気がするし。でも、ハッキリ言ってそんなことはどうでもいいことだな。聞いてくれた人が、その歌詞のどこかで胸騒ぎを覚えるようなものを感じてくれれば、それでいいなあ、とわたしは思います。伝わる、ということは、そうゆうことなんだろうと思う。大げさなことじゃなくてもいいと思う。 自己チューな想いが、どこかの誰かの胸をざわつかせるようなことがあったなら、そりゃもう、Lucky!Lucky!So Lucky!


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 オリンピック終わってしまいましたね。最後は400mリレーで燃えました。閉会式はズルズル見てしまいましたが、ジミー・ペイジは元々たれ目だったせいか、あまり年齢も気にならず。息子はプラシド・ドミンゴを見て「このオッサンうまいなあ」と一言。歳とっても鍛えてれば声って出るもんなんですねえ。チャン・イー・モー、やりたいだけやれて満足だろうなあ。ロンドンではポールとかエルトンとか出ないことを祈ってしまいます。だって、なんかっていえば出てくるから、もうありがたみがないモン。パンクな感じになると楽しいなあ、と思うんだけど。でもって、そのあとは東京ではやって欲しくないです。インドとか駄目なんでしょうかねえ。インドの開会式が見たい。インド映画みたいな歌歌歌、ダンスダンスダンスとか、ヘビ使いとか、象の大群とか、ヨガ大行進とか、シタールとタブラ3000人とか、見たい!
 北京の閉会式、 何か、この人人人、美女美女美女の波の雰囲気、昔見たことがあるなあ・・・と、思い出したのは、昔、最盛期のハリウッド映画だった。『ザッツ・エンターテイメント』でもたくさんハイライトが見られますが、MGMの狂ったように大仕掛けなプールが出てくる映画です。水着の女王で有名なエスター・ウィリアムズが、ハリウッドスマイルでこれでもか、これでもか、とプールに飛び込みまくります。巨大な装置には今回のオリンピックのように、美女(だけど、みんな同じ表情。ちっちゃい女の子たちは美空ひばりの少女時代の着色した写真みたいだったなあ)が五万と出てきます。ストーリーはどうでもよくて、とにかくこの方の美しさと豪華な装置が売りでした。元は競泳選手。もうひとり有名なのはターザンやってたジョニー・ワイズミュラーですね。アメリカの水泳選手といえば、もうひとりマーク・スピッツが思い出されます。たしかにカッコ良かったけれど、キャーキャー言ってる姉を見て、興醒めなわたしでした。


◆2008年8月22日(fri) 「ごま油」は反逆の味

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玄米ひじきチャーハンにはごま油を使ってしまった・・・

 以前、サマーズ大竹が「ごま油使えば、なんでもうまくなる』と、皮肉を込めてギャグにして言った時、母が昔からテレビの料理番組に出てる料理家が、旨味を出すために、すぐにごま油をつかったり、オイスターソースを使うのは「卑怯ナリ」と言っていて、ずっとそれが頭にあるので、滅多にごま油を使わなくなってしまった。という話は、大分前に日記に書いた。1本使いきるのに相当時間がかかる。
 夏休みなので、ほとんど毎日昼ご飯も作らねばならぬのだった。これは厳しいです。ほとほと嫌になるけれど、朝からでかける時以外は作っている。しばらくは麺類ばかりだったが、ついに「飽きた」と言われ、毎日ご飯ものを考えることにした。
 そんな中、きょうはすべて冷蔵庫内にあったものの利用にしては、ちょ〜おいしいものが出来たので、嬉しかったのだった。

『玄米ひじきチャーハン』です。
下田でいただいてきたひじきと、冷蔵庫にあった小松菜、たまねぎ、油揚げ、舞茸、人参、合い挽き肉を、「ごま油」で炒めまして、みりんと醤油としょうが少々で、しっかり味をつけたところで、玄米ご飯を投入。鰹節も投入。ごまと大葉をちらしてできあがり。母に背き、卑怯な「ごま油」使用を慣行。おいしかったのでした。反逆のお味でした。
 チャーハンや、チキンライスなど、炒めご飯を作る時には、ご飯投入前にしっかり味をつけるのがコツであります。特に、チキンライスの場合は、トマトソース(またはケチャップ)はご飯投入後いれてはベチャベチャになるから、やらないようにしましょ〜。ひじきは、中途半端に戻した方がおいしいな。アルデンテな感じで。
 夜も冷蔵庫にあった豚ひき肉と豆腐をつかってマーボー豆腐にしてしまったので、また『ごま油」を使ってしまった。きょうはとんでもなく卑怯だ。

 夕飯後、テレビを見ていたら、豚しゃぶのタレにごま油を入れるとダイエットになる、なんていうのが流れてきた。ごま油は体脂肪をつけにくくするのだそうだ。ごま油自身に罪はないのだった。これからは、使うようにしようっと、思った。これはダイエット番組(ダイエットにはまっている芸人がたくさん出ていた)で見たのだけど、みなさん、様々なダイエット方法をとっていた。でも、一番いいのは悩むことと、貧乏になることで、一時期両方のWパンチだったわたしは、一気に4kg体重が減った。食欲もなければ贅沢するお金もないから。ついに、20代の頃の体重に戻り、コレハコレハ・・・・と喜んでいたら、だんだん元気になってしまって、結局2kg戻ってしまった。でも、胃が少々小さくなったのと、贅沢なごちそうにだんだん魅力を感じなくなってきたせいで、それ以上増えなくなった。自然なかたちのダイエットは2kgがいい感じなのだと思う。これからまた減らそうと思ったら、3ヶ月かかると思う。なんでも3ヶ月つづけないと、目に見えての効果というのは出ないものだ。

 ところで、サマーズ大竹は、たまにわたしが常々思ってることを言うので、LOVEなお笑い芸人なのだった。昨晩この人が「ためにためて歌うベテラン歌手』についてイライラする、ということを言っていて、思わず「そうそう」と声に出してしまった。レコーディングした時と同じように歌っていただきたい!ためてためて、帳尻あわせのようにして歌うのは気持ちわるい〜〜。




◆2008年8月20日(wed) 「あたりまえ観が違う」と言われて嬉しい

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Bronze & Willow
Matsumoto Satomi

 きょうは、いい事があった。10日ほど制作に時間がかかっていた新作の試し刷りがうまくいったからで、このクソ暑い中、失敗してたら病気になるところだったので、よかったのでありました。


 帰宅すると、もうひとついい事があった。
豊橋の牛田牛蔵さんから、FM豊橋の牛田さんの番組「ステップ・アクロス・ザ・ボーダー」で、4月に3週にわたって特集してくれた「松本里美「Bronze & Willow」』特集をまとめたCD-Rが届けられていたのでした。ありがとーございました!
  さっそく聞く。なーんか、しみじみ嬉しかったです・・・。こんなにわかっていただけているなんて、・・・クゥ〜ッ、しばし『B&W』については頭の隅に置き去りにしていたので、久々に感涙しますですぅ。わたくし、普段ほとんど版画の制作オンリーなので、あまり人前にでないし、人前に出たところで、面とむかって褒めてもらったことがほとんどありません。なので、ラジオとはいえ、たくさん褒めてもらって、語っていただいて、本当に嬉しかったです〜。褒められるのって、いいもんですね。人間、褒められてなんぼのもんじゃい、です。ゲストの方は、サボテンの特集の時にも、たしか、「そう、そうなのよ、そこんとこわかってくれて、あなたはすばらしい、イイ人だ!」と思った方だったと思います。存じ上げない方ではありますが、この場をかりて感謝の気持ちを伝えたいです。これからも末永く愛車「シトロイエン』の中で歌ってくださいね。
 今回、ビックリしたのは、「モリー・ゴングの一生」のあとで、ギターのフレーズについて、「あたりまえ観が違う」とこの方がおっしゃったことでした。ヒトに言われて気づく、ということが多いです。でも、たしかにそうなのかも。わたしにとってのあたりまえは、あまり普通はあたりまえのことではないことが多い。さらに、このあとのコメントでは大笑いしてしまった。それは、「ヤードバーズとか好きだと聞いたことがあるけど、そうゆう人が、こうゆうフレーズには普通いかない。カッコイイ観が違うのだろうなあ」。凄く笑いました。でも、その通りだと思います。わたしが常日頃好きだ、カッコイイ、と言ってる音楽と、わたしの音楽とは何の関係もないかのようです。でも、そういった音楽がわたしの音楽に入り込んでも、違和感はないと思っています。そんな感じのこともこの方言ってくれてるんで驚いてしまいました。ほかにもこの方は代弁者か?と思うほどのコメントを言ってくださっていて、コマ撮りアニメーションとインストについての時には、シュヴァンクマイエルのようだった、と言ってくれてるんですねえ。実は87年にこのコマ撮りアニメを作った時には、わたしはシュヴァンクマイエルのことは知りませんでした。結果的に、そんなものを作っていたというだけのことです。とにかく、本当にありがとうございましたっ!きっと凄く少ないように思いますが、こんな風に理解してくださる方がいるのだなあ、と知ることができただけでも、わたしは嬉しいです。
 サボテンの時と同じようにネットで聞けるようにしたいと思いますが、だんだんデータが重くなってきているので、3週分ザザッと編集させていただいて、UPしようかと思っています。牛田さん、どうもありがとー!ところで、ところどころ、牛田さんの推理で「残念!」なところがあるんですよねー。エエ・・・どこかというと、BOSSのオクトーバーについてですねえ。このエフェクターを使用したのは、『ヒバリ』だけなのよん。ほかにも使ってるように聞こえるのがあるんですねえ。でも、これだけなんですヨ。それでもなんでも、とても楽しく聞かせて頂きました。9月号の「詩と思想」ロック詩特集にわたしが書いたエッセイともリンクしているコメントが多かったので、同じ頃にUPできたら、と思っています。お楽しみにー

 そういえば、牛田さんも日記に書いていた「レス・ポールの伝説』のドキュメント映画のことですが、 レス・ポールが使用していたテープエコーっていうのは、どうゆうものだったのか、わたしは知りませんが、多分、レス・ポールのオリジナルのものがあるんだと思います。ローランドのものよりも前からきっとそうゆものをギターやヴォーカルに使っていたんだろうと思います。きっと、映画を見ると出てくるのかしらね?で、『Bronze & Willow」でも、テープエコーを使っていることを思い出しました。それは、『Eel Pie Island Song』の途中、牧野くんのギターソロのところでした。これについては牛田さんは何も語ってらっしゃらなかったのですが、よーく聞いてもらえれば、「あ!」とわかる部分があるんです。と、牛田さんに教えちゃいますね。お礼に。
 最初、牧野くんのこの部分のギターソロを聞いた時、わたしは「チェットみたいね」と言ったのです。その後、MIXをしてくれた近藤さんが『チェットじゃなく、レス・ポールにしたよ』『気に入ってくれるかなあ?』と言いながらテープエコーを使ったことを教えてくれました。そのアナログなヨレの部分が、ちょうどいいところで聞こえるのです。また、聞いてみてね。
 そんなこんなを、レス・ポールの映画のことで思い出しました。 ローランドのテープエコーは今BOSSからツインペダルのもので出てますね。ダンエレクトロでも小さなテープエコーが廉価で出てますが、ダンエレクトロのエフェクターは廉価でかわいくていくつも買ったけれど、すべて、非力で、今使ってるものは一つもありません。



 工房では、オリンピック話で盛り上がりを見せる。常々思ってることだけど、ミュージシャンの人ってスポーツで盛り上がらない・・・・。わたしの回りで・・・といってもそんなにミュージシャンの友達はいないんだけど、柔道の塚田ちゃんがかわいい、なんて盛り上がる人はいない。サッカー好きはいなくもないけど。運動苦手な人が多いに違いない。逆上がりできないとか。スポーツは嫌いだ、という人も多いような気がする。さらには、オリンピックでワイワイ言ってるなんて、俗物だな、と思ってる人もきっといるに違いない。わたしはそんなことはどうでもいいタチです。逆上がりもできるヨ。オリンピックは普段見られないスポーツが見られるのもおもしろいし、それと、わたしは身体を見るのが好きなので、見入ってしまうのだ。
 きょうも話に出たのだけど、種目によって身体つきが違うのがおもしろい。さまざまな身体つきの人・・・しかも、その頂点の人たちが出ずっぱりなわけだから、見逃すわけにいかないのだ。鍛え上げた肉体は本当に美しい。動いている時の筋肉は美しい。レニ・リーフェンシュタール 監督作品の、あのベルリンオリンピックの記録映画『 オリンピア』を、イイワ〜なんて言うと、危険な香りも漂ってしまいますが、否定できないです、わたしは。オリンピック選手の写真集を頂いた事がある。ヌードのものもたくさんある。「お好きでしょ?」と言われてプレゼントされたのだけど、お好きなんです。次に制作する絵は人を描いている。ふくらはぎが好きなので、強調する。靴も好きだが、今回は足の指が描きたくなったので裸足にしてみた。裸足のスポーツもオリンピックではたくさん見られて、楽しいです。


◆2008年8月19日(tue) コールマン

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潮溜まりでゲッチュー。
上はアオウミウシ。下は、リュウモンイロウミウシ。
コールマンウミウシにも似ていますが、淵の色が違うのね。
ウミウシは本当にかわいい。今回は計3匹発見。

●海辺はコールマン

 きょうは、工房にいてだんだん具合が悪くなってきてしまった。早退(勝手に帰るだけだけど)。あまりにもムアッとする暑さだった。

 海辺の話はまだつづく。読書が退屈になったり、身体が暑くなってくると海に入ってシュノーケリングをしたり、ただ浮き輪の上に乗っかってプカプカしてみたりする。何もないところで雲を見上げたり、岸を見たりする。岸辺を眺めたところ、驚くべきことを発見してしまった。それは、30くらいあるテント、もしくはタープが全部コールマン社のものだったのだ!
 アウトドアが日本で流行りだして20年弱だと思う。オートキャンプ場が増えたので、道具をそろえて楽しくキャンプ〜というのが定着していった。まったくアウトドア派じゃなかったわたしも、道具が好きなのですっかりアウトドア人間になってしまった。そして、最初はやはりコールマンのものを買うことになるのだった。

 コールマンは、アメリカの象徴のように見える。歴史などはきっとネットで調べればドド〜っと出てくるだろうけれど、とにかく、『アメリカ」がいっぱいだ。わたしが小さかった頃にたくさん放映していたアメリカのホームドラマでは、『ルーシーショー」でも、『素敵なカレン』でも、『じゃじゃ馬億万長者』でも、『突撃マッキーバー』でも、『パパ大好き』でも、『奥様は魔女』でも、みんなみんな、広い庭でバーベキューをしていた。車の中で良く見ている「シンプソンズ」でも、よく庭でのバーベキューシーンが出てくる。当時わたしはバービー人形にはまるお年頃で、着せ替えの洋服の箱の中に入っているイラスト本が宝だった。この中にも、キャンプをするおしゃれなバービーのイラストがあって、これらはみんなわたしのあこがれだった。

 コールマンのテントにランタンにツーバーナー、キャンプ用の食器にパーコレーター、テーブルに椅子。これらをそろえたまずは満足するものなのだった。コールマンのカタログは楽しい。アメリカの歴史を見るようだ。華々しいアメリカの50〜60年代。しかし、少し熱が醒めると、我が家ではデザインや色の素敵な、日本製のスノーピークに移っていった。スノーピークはクライマーが作った。でも、実はまたテントも椅子もコールマンに戻ってしまっていた。そして、下田の海辺はすべてコールマンとなってしまっていたのでした・・・・・



  わたしが海外文学ばっかり読んでいるのは、そのようなことが目当てだ、と言ってもいい。「等身大」とか「主婦感覚で」みたいなのが嫌いなのだ、わたしは。身の回りのことなんぞはいつでも見られるからイイのだ。なかなか知ることが出来ない遠い国の様子が、わたしには一番興味があったのだ。
 「フロスト」シリーズを読んでいたら、「ジェリード・イール」が出てきた。これは英国独特のうなぎのぶつ切りとにこごりの料理だけれど、『英国フード記』で調べてなければ、なんのことだかわからなかっただろうし、実際にロンドンやブライトンに行ってみて、初めて実態を知ったものだった。本の中では「たまらない臭いだ」と書かれていて、フロスト刑事は大嫌いらしい。たまたま知ってはいたけれど、知らなければ、一体どんなものなのだろう?と興味をひく。海外文学は、スーパーマーケットの名前や商品の名前がバンバン出てくるのも好きだ。ティッシュも、クリネックス、と書くことが多い。フロストの中では車は、ベントレー、トヨタ、ジャガー、フォード、BMW、アコード、ロールスロイスと、たくさん出てくる。暖炉はあるが、薪の形の電気ストーブになっているとか、紅茶をマグカップで飲むとか、そんなのを読むのが好きだ。ちなみに、本の中では、ジェリード・イールにはヴィネガーをかけて食べる、と書かれていた。勿論モルトヴィネガーなんだろう。
ジェリードイールについては、「もうひとつの英国フード記』を参照してね)

 歌の中にそんなのが入っているものが結構好きだ。そんなわけで、「車とかばん」という曲の中で車の名前とブランドの名前を羅列した。昔、ヨーロッパに行った時、「ヨーグルト」というのが通じなかったことがある。どうしても食べたかったので試しに「ヨープレイト」と言ったら通じたことがある。代名詞といえるほどのブランド名。「コールマン」の歌もその内作りたいものだ、と思ったりする。たぶんその時は「Call Man」と(本当はColeman)いう文字を入れるんだろうなあ・・・等々

 プカプカ浮きながら、そんなことを考えていたら、「オーネット・コールマン」「コールマン髭」など思いついた。何もない海では、こうやって連想することばかりするものなのだ。アメリカ・・・。でも、本当はテントはフランス製の花模様のが欲しいです。でも、すご〜く高いのであります。そして、本当は英国製またはドイツ製のピクニック・ハンパーの方がコールマンの食器よりも欲しいです。パーコレーターのコーヒーは美味しいと思ったことがありません。結局コールマンのものは兵隊っぽい・・・・カウボーイっぽい、テキサスレンジャーかよ・・・っぽい。実用的だけれど、洒落てはいない。下田の海辺はボーイスカウトのようであり、コート・ダ・ジュールではなかった。

 それから、 雲を眺めながら、アフロヘアのことを考えた。最近多い。スキマスィッチ(の人はアフロやめたけど)、トータルテンボス、なでしこジャパンのあの人(名前忘れた)、ボボボーボボーボボがいっぱいだ。「のだめ」で小出くんもアフロ役だった・・・・等々。

 そうそう、さっき知ったばかりだけど、レス・ポールの映画が来週公開だ。テルミン、MOOGとおもしろかった。これもきっとおもしろいだろうなあ。コールマンもレス・ポールも「代名詞」だ。

海辺で徒然なるまま思ったこと、つづく


◆2008年8月17日(sun) ウォンチュー

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小さなブルーのさかなたち。
今回は、ほかにもヒラメやイワシの群れを見た。

●海辺の家族百景

 朝からずっと海辺のタープの下の椅子に座っていること約4日間。両隣には大家族連れがテントをはって、やはり数日間を同じ場所で過ごしていた。日がな一日いると、回りの様子を観察するのが楽しくなってくる。
 まずはチャラ男の団体が車から大きな音をたててビール飲んで盛り上がる。ピースサインで写メを撮る。こうゆう場所で大きな音で音楽を聞く輩は、大抵ベース音をハンパ無く大きくする。これがすべてと言っても良い。ウチでもそうなのだけど、家にあるオーディオよりも車のオーディオの方が断然イイ音なのだ。そんでも、海辺では海の音を聞きたいわたしとしては腹がたつ。チャラ男10人くらいいれば、一人か二人は、回りの迷惑に気づく奴もいるもので、バーベキューで焼いたフランクフルトを4本持ってきて
「うるさくないっすか?すんません、これドーゾ」と腰を低くしたりする。いい子もいるもんだわね〜、なんてわたしが思うと思ったら大間違いのコンコンチキだ。フランクフルトは頂く。がしかし、こうゆう子はチャラオ軍団の中に戻ると、「ちょろいもんだぜ〜、あれでもう何も言えねえーしぃ〜」と笑っているに違いなく、質が悪い。案の定、そのあと1時間くらいは静かだったが、その後はまたあの単純なリズムのチャラオ音楽が流れてくるのだった。

 左隣は友達同士の2家族という感じで、中心のお父さんは快活で子煩悩で、料理もすれば水汲みもセッセとするし、一緒に来ている若い方のパパには、キャンプのノウハウを教えたりしていた。だからといって押し付けがましくもない。お母さんは時には子どもを叱るし、一緒にご飯を作ったりもするし、笑いの耐えないいい家族だった。右隣は地元の家族のようだった。テヤンデ〜でガテンな一家だった。サザンメドレーがずっと聞こえてきて、息子は喜んでいたけれど、わたしはひねくれ者だからため息をつく。何故海に来るといつもこれを聞かせられるのだろう。このヒットメドレーが終わると、演歌となった。

 演歌というのは、若い頃には年寄りが聞くものと思っていた。そして、わたしたち世代が年寄りになってきたら、もう消滅してしまうに違いない、と思っていたのだけれど、そうゆうものではなかったのだった。隣の夫婦はどう見てもわたしよりも10歳くらい若いと思うのだ。しかし、ジェロのことも考えれば、演歌は永遠に不滅なのに違いない。
 チャラオ軍が聞いている音楽よりはイイかもしんない・・・と思いつつブコウスキーのような気分でこの隣の住人の生活のアレコレを無理矢理考えていた時だ、この女性演歌歌手が「ウォンチュ〜!!」と叫んだのだった!

 『ウォンチュー』とはあの「Want you』よ、当たり前だけど。ストーンズのジャンピング・ジャック・フラッシュの歌いだしでミックが叫ぶ、あの『ウォンチュー!』。あるいは、南佳孝の「スローなブギにしてくれ』の出だしの”(I)Want You〜”(この曲は題名がI want you,だったのだ)。演歌はあの手この手だ。あの手この手で若い世代のウケをベタで狙っているところが哀し気で、これこそがまさに演歌的とも思えるから、否定も何もしないけれど、やっぱしビックリしてしまうではないの。豪華な着物を着て、頭はマリー・アントワネットのようにこれでもか!と高く盛り上げて、そして「ウォンチュー!」。日本人はおかまいなしだ。あれこれ言ったらキリがない。楽しけりゃエエジャナイカ、なのだ。八百万の神がいるからね。
 その時わたしはちょうどブコウスキーがVIP待遇である大物ロックバンドのコンサートにスタジアムに行く、というクダリを読んでいたところだった。この本で読んだのか別のものだったか忘れたけれど、大金持ちのロックスターが「クソッたれ!」と歌うことに対して、白々しいものを感じる、と書いていたように覚えている。大金持ちになってもクソッたれ!と言う権利はあるし、誰にだってクソッたれと思うことはあるので、別に問題ないとは思うけど、パンクはその背負っているものに依っていることに間違いはなく、見ている方と演奏してる方に意識の差があると、白けっちまうぜ〜(凄く寒い言葉となってしまいましたが、小坂忠『白けちまうぜ』はいい曲ね)、という事になる。


 この「ウォンチュー』入り演歌のあとは、イントロが『支那の夜』そっくりな曲となった。いいのか?こんなことで・・・・と思ったが、そんな曲はいくらでもあるので、これでいいのだ。南佳孝と小坂忠が思い出せて良かった。

 その次の夕方、フロスト刑事が例によって『糞野郎!』とゲビた台詞を吐いたところで、隣から生で「この、クソ野郎!』という声がこだましたのだった。キャンプは他人の生活丸見えだ。ガテンな一家の激しい口喧嘩が平和な海辺に風が吹くたびに押し寄せてくるのだった。
  奥さんがブチ切れたのだ。良くある話だけれど、わたしよりも若いのに昔のオヤジのようなダンナなようで、奥さんが言うには
「外面ばっかりよくってよぉ〜、家じゃなんにもしないじぇねえかよぉ〜、なんだってんだよぉ、何にもわかってないくせによぉ、もう、出てけよ!」発端は全然違うことだったが、結局はこうゆう話になる。ダンナの両親もこの日は合流していて、やっぱりくわえ煙草でテヤンデーなおばあちゃん。この人がついにこの喧嘩に裁判制度を取り入れた。どうやら一番落ち着いている親戚のお兄ちゃんが裁判官で、このくわえ煙草伝兵衛ばあちゃんは、勿論ダンナの弁護人となったようだった。しかし、あまりにもダンナがハッキリしないために(しかも、ついには奥さんに手をだした。ここで我が息子の身体もビクッとなってしまった。当の小さな子どもたちは、テントの外の傍聴席に並んで座っておとなしくしていた。ドキドキしてたと思うとかわいそうなのだった)、くわえ煙草伝兵衛ばあちゃんもついに匙を投げた。
「謝れ!謝れっつ〜んだよぉ〜!謝らねえんなら、もう弁護人降りるぞっ」
 その後、耐えられずにわたしは海に入ったが、海から眺めると母親とほか全員が外で丸くなって話し合いをしていて、ダンナはビール片手にテントの中からその様子を見ながら、舌を出していた。懲りないオヤジだ。その後、くわえ煙草伝兵衛ばあちゃんが説得して収まり、ダンナが申し訳なさそうに包丁で何かを切っていたが、「ア、指切ってしまった!」と言った途端奥さんの「何なのよ!わたしに病院連れてけっての!自分で行きやがれ、糞野郎」という声が・・・・。
  男は懲りない。いくらがんばってもどうしようもなく、永遠のKY、女から見たら鈍い、としか言いようがない。女は・・・女に問題があろうが、わたしは女の味方をします。女というのは、そうゆうものなのだ。女は女を助けるものなのだ。そして、男は我慢するのだ。男はつらいよ。

 スポーツ観戦が好きなので、オリンピックも見れる時にはみる。わたしのお気に入り選手は今のところ、柔道のデッカちゃん塚田さんと、卓球の平野さんと、なでしこジャパンの沢さんであります。女ばっかです。女の方がカッコよく見えるんだから仕方ない。デッカい人大好き。柔道の一番デッカい人たちを見るのが好きだ。男の方は回りにやいのやいのと言われ過ぎて保守的になってしまっているのか、インタビューのコメントもつまらないし、解説者も嫌だったけど、女は威勢が良くて、そしてやっぱりかわいくていいのだ。塚田ちゃんも、試合前は鼻をほじっててかわいい。でも、試合はピリッとしてて果敢で感動的だったし、コメントも正直な気持ちを語っていてよかった。表彰式での笑顔は本当にかわいかったなあ。ピョンピョンしちゃって。平野さんは目の力がカッコいい。一点を見据えて無表情。ガッツが漲っていて美しいのだ。そして女子サッカーの沢ですねえー。男子のチームに入ってワールドカップ行ってもらいたいです。なんとかならんのかしらん。
 これから陸上にこの世のものとは思われないようなデッカちゃんたちが登場するハズで、砲丸投げとか円盤投げの女子デッカちゃんが楽しみです。抱きつきたいくらい好き。

海辺で徒然なるまま思ったこと、つづく


◆2008年8月16日(sat) 海辺のブコウスキーがわたしに初老人力を与える

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真ん中の雲の下は一直線になっていた。遠くの方はその雲をコピペしたような感じに見えて、シュールだった。

  6日間ほど、コンピュータに触らず 。一大事!なんてことは滅多にないし、だからって、どうってことない。
 『街を捨てて、書を読もう!』、と思い立ち、夏のバカンス地、恒例下田の潮溜まりへ。いつものようにタープを張って、3食昼寝つき、生物観察シュノーケリングの日々を送っておりました。内一日は義母の新盆で寺&墓参り。寝る家はあるので、夜のバーベキューが済むとタープをそのままにしてひきあげ、お風呂に入り、オリンピック観戦しながら読書。毎日泳いでいるので疲れ果ててそのまま寝る、という感じ。

 出掛ける日の昼間に上記のように思い立ったもんだから、我が街の一番近くて大きい本屋『Book 1st』に見繕いにいった。本読んでない。読むと絵が滞るのだ。それに、興味がなくなってしまってもいるのだ。特に何を読もう、という気もなく子どもの本を捜しながら。小説が面倒になってウン十年。新書好き。でも、それも読んでない。この本屋の海外文学(単行本)の棚は幅180cmほどのものが一つっきりで、これの裏と表、幅360cmに世界文学がメルカトールになって網羅されているのでした。大森あたりの街では、わたしが好きな変態フランス文学は、ほとんど見たことがない。もう1軒西友に入っているリブロには何故かちょっとある。これは多分、その上に映画館『キネカ大森』があるからだろうと思われる。
 と、ここで、なんとブコウスキーを2冊も発見してしまったのだった!この街にあるとは〜。バロウズも1冊あった。何故か同じあたりにあるのだけど、実際には並べるとブコウスキーが嫌がるんじゃないかなあ。「おれはビートじゃない。パンクだ』な人なんだから。それでも、この街の本棚でそんな贅沢を言ってはいけません。その下にガルシア・マルケスがあったし、その下には、漫画版「失われた時を求めて』の2巻までが並んでいたし、許してやってね、ブコウスキー。

 1冊は『死をポケットに入れて』で、あのロバート・クラムのイラストがたくさん入っている中川五郎さん訳。もう1冊は、彼についての評論ものだった。これは分厚くて高価だったので、パス。9月号の「詩と思想」のロック詩特集では、中川さんのインタビューも載るのだけど、やはりディランとかブコウスキーなんかも出てくるんだろうなあ。などと想像しながら、購入。5〜6日あれば3冊は読めるから・・・文庫の新刊コーナーへも行く。そこで、忘れていたけど、待ちわびていたものを発見!それは刑事モンで、『フロスト」シリーズなのだった。これがわたしは好きなのだ。今回は「フロスト気質』の上下巻。誰が書いたとか、そんなことは(悪いけど)どうでもいい。とにかく、この英国のとある小さな街の世界一下品な刑事がおもしろくて仕方ないのだ。十年くらい前に見つけて2シリーズを読んだ。これは絶対テレビシリーズになってもおかしくないよねー、と同じ頃これを偶然読んでいた友人と話していたら、やっぱりテレビシリーズになっていた。未見。たしかBSでやっていたような気がする。分厚いのも良い。どんどん事件が舞い込んできて、すべての事件を同時進行しながらグチャグチャに捜査していくデントン警察内がおもしろい。この下品なフロスト警部は、セクハラ発言し放題だし、ゴミ箱から紅茶のティーバッグを拾って使うし、ポケットの中の裏地に入り込んでるタバコを吸うし、すぐに浣腸して歩くし、お下品極まりないのだけど、動物的勘と人を見る目があるので、イイわけです。愛されてるわけです。コロンボ刑事のようにヨレヨレなイメージだけれど、コロンボのようにカミサンもいないし(死んでしまったのだ)、犬も飼ってないし、クラシックも聞かない。フロストシリーズはわたしがまるで本を読まなくなってから、さらに1シリーズ出ていた。これは残念ながらわが町の本屋には置いてなかった。しかたないから渋谷あたりで買うことにしよう。だいたい数冊読む時間が出来た時には、海外文学1冊とミステリー本という組み合わせだ。

 下田の海辺のタープの下でずっと読書。たまにコーヒーをいれて試し刷りした作品を取り出して唸る。。
ブコウスキーが編集者にマッキントッシュを与えられたのは91年のことだった。これはウチにマッキントッシュが来たのと同じ年なのだった。その少し前からマツキヨが仕事で使いだしたが、家に来たのは91年。そこから、アッという間にたくさんのことが変わってしまった。チラシはまったく手描きでしなくなってしまった。自分の絵を使ったデザインの仕事を少しやった。その当時はクオークも入れていたので、文章を組むような仕事もやったことがある。今は入れてないしまったくできない。ブコウスキーはその時すでに70歳で、毎日マッキントッシュに向かって日記を書いていた。ネットの日記はわたしも98年から書いているけれど、それと違うのは、出版物にするための原稿制作としての道具に使っている点で、ネットで公開したりするものではない。単にタイプライターの替りなのだ。今やネットでの日記なんていうのは誰でもやってるし、それが本になったりして、もう考えたくもないので、考えないけれど、もしも、ケルアックの頃にネットがあったなら、多分ピッタリしたことだろうと思うのだ。とにかく書きなぐる。どんどんどんどん書いていく。放浪するのにもずっと持ち歩いて、書いて書いていく。いや、やっぱりビート作家にはそんなに具合の良いことでもないかな。案外細かい文章へのこだわりがあるから。

 3冊とも楽しく読んでしまった。このブコウスキーとフロストには何の共通点もありません。あえて言うなら、「クソったれ!」ということばで、どちらにも、2ページに1回くらいの割合で登場する。なので、わたしの頭の中でも、何かにつけて「クソったれ」が生じてしまい、おかしくて仕方ない。いつまでもクソったれ!と思うことは大事だ。わたしも小さい頃からクソッたれ!と思いつづけて生きている。教師がクソッたれ揃いだったので、長年クソッたれ状態がつづいた。ただ、言わないだけで・・・。言う人と言わない人がいるのだ。とゆーか、言って抗議する人と、違うやり方で抗議する人とがいるということだ。

 クソッたれ!と思っていると、初老人力が湧いてくる。バカたれのクソッたれ野郎に罵詈雑言やってるんで、わたしは元気なのだ。

 しかし、フロスト刑事の「クソッたれ』は、 そうゆう意味のクソったれではないのでありました。この人は本当の意味で「糞」の話ばかりしているのだ。だいたい、死体の発見がいつも汚らしい状態で・・・。それが、これでもかと、1冊18mm、上下巻合わせて36mmあると・・・あ〜スッキリ、するものだ。

つづく


◆2008年8月9日(sat) パーティに行く

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きのうは080808の日でした。

  二日続けてパーティがあった。一日目は神宮の花火を見るパーティだったけれど、これは途中で帰らなくてはならなくて、残念でした。きのうは、お世話になっているデザイナーさんの新オフィスのお披露目パーティ。移動するたびにオシャレ度がグレードアップするので、今回もさぞかしだろう、と期待して、パーティ用の恰好をしてでかける。予想以上に素敵なところで、普段着にしなくてよかった。素敵な場所では素敵にした方が絶対に楽しめるからねえ〜。
こんなすばらしい環境があるとは・・・・ここは外国か・・・という感じのメゾネット風。緑豊かで、どの部屋もガラス窓から中が見える。塀もない、柵もない。これは人の目がセキュリティだ、という考え方なのだそうだ。建物じたいはモダンなのだけど、考え方としては、昔の長屋のような感じなわけで、塀がないのは、いいものだなあ、と思った。

 本当にセンスが良い。なので、『Bronze & Willow』も全面的にお任せしてしまった方なのだ。中に入るとわたしの絵も飾ってくれていて、嬉しかった。仕事のいくつかがテーブルに並んでいたけど、やっぱりどれも良いのです。なんというのか、品がありながら、どこかで破壊的な雰囲気を漂わせている。何気なく見えているけれど、一つ一つに創意工夫があって、それが、E氏の場合、思わぬ時に思わぬところからヒョイと引っ張りだしてくる。日常的に好奇心のアンテナがキラキラしている。口癖は「ウンウン、おもしろい、おもしろい』。というわけで、いつもおもしろいことを考えているから、話すのが楽しい。

 なので、早目に帰るつもりが、食べるは、飲むは、庭に出たり、CDを見たり、映画をみたり、ラジバンダリ・・・何人かの人と楽しく話し、ビール結構飲んだのに全然爽快気分でありました。おまけに、扇子のおみやげ(けしゴムはんこがさまざまあって、自分で押します)もいただく。080808がデザイン化されてるのがカッコよいのでした。

 何人かの方ととても楽しい話をした。ミュージシャンの方とは『Bronze&Willow」を開いて、絵を一緒に見たりした。「赤犬」「青猫」「ヒバリ」がロックな絵だ、と褒めてくれたので嬉しかった。顔見知りHくんとは近況とサッカー話。デザイナーの一人の方がセツに行っていたので、当時の話になったが、あそこは『ファクトリー』でしたね、と話した。ちょうどこの前の日記でイーディのことを書いたので、そのことを思い出していた。セツに行くと、セツの生徒じゃない人もいつもソファに座っていて、ワイン飲んだりしてたむろして話していた。イラストレーターや雑誌の人やデザイナーさん、モデルなどさまざまで、わたしは中心にいたわけではないけれど、よく一緒に座って話していた。あの雰囲気は『ファクトリー』みたいだったなあ、と今思えば、そんな感じがする。ミューズ的な細いモデルさんが良くいて、細い男の子もいつもよく一緒に座っていて、セツさんの話を聞いていた。
 もうひとつ、とても興味深い話をした人がいまして・・・・これは、わたしが昔から興味があったことについて詳しく教えてくれたので、釘付け。わたしはそんな時、いくらでも質問が出てきちゃいまして、その方も「そんなに興味を持ってもらえるのは初めてだ」と言って、懇切丁寧に説明してくれまして、それで、帰れなくなってしまった。これはまた後日。

 パーティは久しぶりでした。二日とも凝ったパーティで楽しかった。さっき書いたイーディは、パーティ三昧だったそうだけど、パーティが毎夜毎夜あるという感じがどんな感じなのか、日本ではバブルの頃が唯一そんな雰囲気があったかもしれないけれど、あまり現実的じゃないような気がする。外国の映画で見る限り、お金持ちのパーティ、ギャラリーオーナーが主催するパーティ、などが多いと思うのだけど、ギャラリーのシステムが外国と日本では違うからああゆうのは映画の中の世界だな。日本人もパーティはよくやるけれど、外国映画のように振る舞えるような人はなかなかいない。
  『グリニッジ・ビレッジの青春』(という好きな映画がありました)のような、ただただいつもガチャガチャと知り合いの家にパーティと称して集まる感じ・・・は、若い頃わたしにも経験がある。
 赤塚不二夫のお葬式のあった宝仙寺のそばにいた頃で、都会の一人暮らしで原付バイクに乗っていたので、夜遅く呼ばれてもホイッと出掛けられた。新宿でも中野でも下北沢でも四谷三丁目でも。携帯電話なんてなかったから、いろんなハプニングがおこって楽しかった。すご〜〜〜く暇だったもんねー、のココロ。合掌


◆2008年8月7日(thu) 『スウィンギン・ロンドン』のヴィーナス

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夕方の青山方面。午前中の見事な積乱雲は、もう消えてました。今夜は神宮の花火。
左奥の東京タワーの後ろから怪獣が出てくるのを想像してしまう、この風景。

  最近は空ばかり見ている。不穏な雲の日が多いのだ。きのうは仕事先の窓から刻々と変わる雲をドキドキしながら観察した。6階のオフィスからはすぐ下の裏原宿の住宅地から青山の高層ビルへと重なり合って山のように見える。その脇に東京タワーが見えている。きのうもきょうも、最初は東京タワーの下の方に積乱雲はあったのだ。それが、振り向くたびにモクモクとせり上がり、お昼頃には子どもの頃の絵日記に描いたような見事な積乱雲になった。それが、まさに絵に描いたようなクッキリとしたもので、空気もピーンとしていたので、特撮の書き割りのように見えるのが怖かった。このまま東京タワーの後ろから怪獣が出てきてもおかしくない感じ。
 きょうもそんな積乱雲でした。

 一週間たつのは早いです。勿論毎日工房に行ってる。2週間徒労の日々に追い込まれていた鳥の絵は、現在お蔵入り。これは今は考えないことにして、新しい作品の制作に切り替えた。「雲」はおもしろい。毎日ボ〜ッと空を見ているのは、「飛んでみたい」というわけではない。飛ぶ夢は良く見るのだけど、大抵は一瞬にして真っ逆さまに墜ちていくシーンがあって、特にそうゆう絵は描いてないけど、雲のある作品を数点描いている。

 表参道画廊の選抜版画展、という企画展に誘っていただき、10月初めまで、それに集中しております。詳細がやっとわかりましたのでお知らせします。
『画廊選抜版画展』
前大道慎二×松本里美 二人展
2008.10.6-10.11
会場:表参道画廊 

3週にわたって、 選抜版画家二名づつ、計6名。それと、隣の『MUSEE F』では同時に3週にわたって版画家の個展があります。計9名の版画家が続きます。先週やっと面子がわかったのですが、ヒョエ〜、わたし以外はみなさん現代アート、巨大版画、の方ばかりです。プロフィールもそうですが、いつもわたしだけちょっと異質なんで笑ってしまいます。いや、もう、ほんとにみなさん巨大なんですよねー。でも、気にせず、わたしはわたしの大きさで、やります。わたしの個人的なテーマは『In Jelly, On Clouds』。ゼリーの中と雲の上が、ここんとこのわたしの居場所です。

 このあたりの作品は、そういったわたしの頭の中に巣食うイメージをコツコツやっとります。が、来年春は、全然違うスタイルの個展をやりますので、お楽しみに!!

 


 週末は、JOMOカップに。神宮の国立競技場。青い服を着ていかねば、とブルーのワンピースを着ていったら、JOMO カップは日本、白だった。その程度の認識でした。負けてしまって、ビールがまわってしまいました。それからは、毎日毎日ただただ制作。サッカー部の息子が、ワントップになり、きょうはハットトリック!いつもは「見にこなくてもいい」と言いまくっているけど、きょうは「今度見にきてよね」と言うので、愛い奴と思う。5日はバースデイパーティだった。

 「Amazing Journey』THE WHOの昨年の映画のDVDを早速購入して見る。英語しか入ってないので、ボーッと見ていたが、スティングがエントウィッスルのベースを「ファンタスティック!!」と興奮して語るところは良くわかった。それと、当時のモッズの様子が見られるのはいい。キース・ムーンがクスリでヘロヘロになってるところをタウンゼントが押さえ込んでいるところとか・・・・。キースが倒れて退場になったあと、「誰かドラムたたける奴いないか?」と客に呼びかけるタウンゼント。これは何度も見たことのあるシーンだ。THE WHOが日本ではちょっとマイナーな感じになってしまったのは、ビートルズのように曲に邦題がついてないからなんだろうなあ。シングル重視じゃなかったからなんだろう。ポップアートな感じや、コンセプトアルバムや、シンセサイザーを取り入れたのなども、とても早く彼らはやっているのだけど、やっぱりビートルズが前面に出てきてしまう。わたしはどっちも好きなので、だから、どう、ということもないけど。ハプニングを意識している映像があっておもしろかった。オノ/ヨーコが客にどんどん衣服をハサミで切らせていくパフォーマンスがちょっと映っていた。頭で計算していたわけではなく、きっとそういったハプニングの空気というのが世の中全体に広がっていたのだろう、そこからあのフーのステージングは生まれているのでした。先日久しぶりに見た「ロックンロール・サーカス」のTHE WHOはすばらしかった。この映像では、いたいけなブライアン・ジョーンズ(ほとんどイジメに合っている)と、フーと、ジョンが中心になった「ヤー・ブルース」が秀逸で、ストーンズは影が薄かった。
  わたしはいつも、これを見る時には、マリアンヌ・フェイスフルも見ます。60年代のヴィーナスの一人。イーディ・セジウィック、ニコ、ツィッギー、アニタ・パレンバーグ、ジェーン・アッシャー・・・美しくて、ロックで素敵だ。彼女たちのファッションや、コケティッシュな顔が好きだ。洋服はBIBAね。わたしは『スウィンギン・ロンドン』が好きなんです。男も女も一番おしゃれだったと思う。


◆2008年8月1日(fri) 『詩と思想』9月号の予告

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『詩と思想』8月号。クリックしてみてね。
大きくオブジェが見られます。
デザイン:長島弘幸
オブジェ:松本里美
オブジェ写真:本田晋一

  今年1年間の予定の『詩と思想』の表紙は、もう半分過ぎてしまいました。8月号が送られてきました。残り5つです。今月の銅は厚さ1mmかなあ。普段は0.8mm厚を使っていますが、最近銅は高騰つづきだったので、0.6mmの方が多くなってきました。大きな版だとビヨ〜ンとなります。オリンピック、はやく終われ〜(と言っても、安くはならない)

 『詩と思想』の来月(9月)号は<特集/ロックンロール詩学>というタイトルです。実はわたしも依頼されて原稿書きました。6ページの予定が8ページになってました!わたしのページは私的なエッセイになっております。執筆者はミュージシャン、ライター、詩人ほか・・・となっているようです。詩人の方たちが何人かと、中川五郎さんのインタビューとか加藤小次郎さんのエッセイなどがあるようです。
 ロックの詩についてと言われても、様々なものを聞いているので、実は何を書けばよいのかわからなかったのですが。私的なことに絡めて書けば良いらしかったので、わたしの詩作の源、絵と音楽の事、わたしが聞いていたロックのこと・・・そして自分の歌詞を少し紹介しています。図版もたくさんいれちゃってます。いれちゃってイイっていうんで。きょう校正が回ってきたので、これから目を皿のようにして読み直し。目が悪くなったので、よく見えません。なので、どっかしら間違えたままになることでしょう。弱り目に祟り目の5月頃書いたので、今読み返すと、どうもカオスな感じもあるのですが、わたしらしいと思います。
  是非、お買い求めくださいませ!!本屋さんにない場合もあるかもしれないですねえ・・・どうするんだろう。一応出版社を書いておきます。ネット通販(アマゾンとか大型書店の)でも購入できますのでご利用ください。

土曜美術社出版販売(株)
http://www5.vc-net.ne.jp/ ̄doyobi/

 デザイナー長島さんも執筆。長島さんは古いモンも新しいモンもいつも詳しいけど、わたしよりもずっと尖ったモンにいつもアンテナ向いているところがスンバラしいです。年齢上なだけに。オブジェ写真を撮影してくれている本田氏ももの凄く音楽に通じている人なので、撮影時は現代アートの話と音楽の話でだいたい終わってしまう。わたしの回りにはモノ書きが多い。本当に多いです。次がデザイナー。どの人とも、仕事以外では映画や本の話もするけど、音楽の話をすることが多いのがおもしろい。
  サボテンを知ってる人というのはそんなにいないように思うんだけど、たまに、打ち合わせで会ったデザイナーさんが、話しているうちに「あなた、もしかしてサボテン?」と知ってたりすることがあり、そうゆう時ヒジョーにうろたえる。話がもう終わる頃にそうなってしまうと、また一から話が始まることになり、使ってなかった脳細胞をまたフル回転させねばならない。でも、やっぱり、知ってる人に会ったり、声をかけてもらうと、とても嬉しい。音楽は、そうゆうところがいいね。













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