◆2008年6月30日(mon) 『詩と思想』7月号表紙

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『詩と思想』7月号表紙。今回のオブジェは気に入っているリボンタイプ。コントラストがかっこよく出ていると思う。




 きのうはちょっとまずかったっすねえ〜
無理くり底力を出してわたくしがんばったんですよー。それで、大きな作品がついに完成した、その喜びで、ずっと毎日毎日ゼエゼエと呼吸困難な状態だったのだけど、一気に肺から空気が出て、途中一人でビールで派手に打ち上がりまして、脳細胞の一掴みがどこかにいってしまってました。

 引き戻された時に、ガクッとなると愉快ではないけれど、きのうはユーロのサッカー決勝前に気持ちよく寝られて具合がよかったですヨ。きのうの日記は、デスクトップに別ソフトを出して、秋の表参道画廊での二人展企画に寄せるコメントを書きながらの日記だったので、『in Jelly』をやりつづける自分についてまた考えがまとまって良かったのでした。
in Jellyの前は生物を描いた。その前は『絡みつくカタチ』というシリーズを制作していた。この流れはわたしの中ではとてもスッキリした流れがあります。ただ、まだうまく言い表せない。ただ、どの場合もわたしは緩やかに守られているものを描いているのではないか、と自分なりに発見したのでした。委ねることができるという、そうゆう風になりたいものだと思う。『絡みつくカタチ』の時には、わたしはまだもがいていたと思う。守られたいのに委ねることができない状態かもしれない。混乱と迷宮の中、さらなる混乱と迷宮に包み込まれて、それらが一体化してしまう状態であればそれもまた心地よいではないか。と、気持ちは少し変わってきているのだ。ノイズの中でノイズを不快に感じないためには、自分もノイズになれば良い。日本の武術のようでもありますね。力ずくではうまくはいかないのだ。

 などとぼんやりとした意識だけが歩いていく。『詩と思想』 の7月号が届いていた。あ、今回は『らしい』感じになってて嬉しいなー、と感激。特集がオクタビオ・パス、というのも、いいね。まさに混乱と迷宮を受け入れた人ではないか。メキシコ人。そんなに知ってるわけでもないけれど、ここんとこわたしが思っている「狩猟民族ではない自分への回帰』という意識が、この人にもあるのだと思っている。だから、混乱と迷宮を受け入れることに躊躇がない。答えはひとつではなく、結論もでないままかもしれないことさえも受け入れる。世界はノイジーであるということを当たり前に受け入れることは、厭世的なことではない。

 闘う人について。南米やスペインの詩人や音楽家や画家のことがまずは頭もかすめる。カザルス、ハラ、ロルカ、ゴヤ、ピカソほか、こうやって残していくことは大事なことだと思う。

 肺の中の灰色の空気が80%ほど出たので、子どもと試験について語る。子どもが数学の勉強途中で『地球の最後の日のことを考えていたら、自分も死ぬんだなあとか考えて、そしたらいつのまにが文章問題が解けた』というので、『だったら、試験の時も地球最後の日のことを考えなさいよ」と言ったら、『そんなことしてたら時間なくなるよ』と答えるのだった。わたしもこれからまだ制作しなくちゃならないから、地球最後の日について考えてみよっと。

 

 



◆2008年6月29日(sun) ラブリーまたはバカ

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新作。制作途中。版に和紙を貼付けて刷る。




 楽しかったエミール・クストリッツア&ノー・スモーキング・オーケストラのライブの余韻に浸りたいところですが、そうもいかなくて哀しい。そういえば、●松本里美の Hey ! Emir Kusturica●は、彼らの『パンクオペラ/ジプシーのとき』のサントラを手に入れた時に短いコラムを書いていたのに、UPするのを忘れたまま放置していたのだった!さっき慌ててUP。2ヶ月も忘却していた。ライブについてのコラムは次回書きますが、下の日記をさらにまとめて載せることになると思うので、そんなに変化はないとは思いますが、読みやすくまとめる予定なので、お楽しみに。結構見てる人が多いらしいので、それを励みに書きますね。

 学研の子ども向け星座図鑑の春と夏のアイコンとギリシャ神話のワンシーンを数点描くというお仕事がやっと終わりました。さらに秋と冬の星座のアイコンの制作が残っている。こちらはギリシャ神話のシーンは無い。別の画家の方が描きます。図鑑なので、あまり勝手なことは描けないから、調べたり検証したりが結構大変です。
 さらに、秋の二人展のための新作を制作。やるのは10月だけど、DMの資料のまとめのリミットがあした。プレス用資料のプロフィールやコメントがまだできてない。ほかにも仕事が残っている。だから日記なんて書いてる場合じゃないんだとは思うのだけど、最近になって、書き続ける決心をしまして・・・というか、どこまでこうゆうことはやりつづけられるものなのかやってみたいと思うようになってしまった。精神的にどんなに波があっても毎日毎日書くとどうなってしまうのだろう、ということが知りたいと思ってしまった。そうゆう人がいるでしょ?毎日毎日書いてる人。それも、私的なことは書かずに淡々と書く人。女の人には滅多にそうゆう人はいないと思いますが。

 というわけで、忙しくても書く決心をし、そこから見いだせるに違いない明るくもなく暗くもない未来を探ろう、と思った次第です。が、現実は厳しい〜。いきなりわたしはスピードが落ちてしまっているのだ。しかも、今までたとえば5つのことを同時進行していたとして、今は2つでもキツい、と感じる。けれども、そんな話を数人にしたところ、まだわたしは普通の人よりもスピードがあるらしく、たくさんのことをしているというのだ。相当作業が遅くなってると思っているのが恥ずかしい気分だったので、では一体今までのは何だったのだろうか??と信じられないくらいだ。超特急、またはジェッツなわたしは、どこかに行ってしまった。

 その替りといってなナンだが、わたしはラブリーな気持ちになっている。速度がゆっくりになったせいなのか、なんなのかよくわからないけれど、今わたしはラブリー路線なのでした。
不思議だ。まったくそんな気持ちはなかったのに、新作のウサギの絵を見て、工房の人が ラブリーだというのだ。 速度がスローになったので、きっとかわいい気分になったのだろう。速度が遅くなった理由の一つは、集中力の持続が悪くなったのと、バランスが悪くなったせいなのだ。だというのに、All or Nothingな考え方を改めないのはいかがなものか?とは思うけれど、これはもう性癖としか言いようがないので、バカだなあとは思うけれど、このまま放置してみる。
 この All or Nothingだということは本当にバカだと思っている。だから、Jellyの中に入りたいという欲求は、きっとそこにあるのだろう、と思うようになった。Jellyの中の居心地の良さは、拒否もせず、委ねることもなく、孤高でありながら見通しは良い、という佇まいと定義している。わたしはそうありたいと思っているのだろうけれど、 All or Nothingという感覚はそこから見たらまったくの矛盾だと思う。そんな思考の繰り返しをやっていてもつまらないだけのような気がしてきた。そこでいきなりパフュームなんか聞こえてきてしまうと、力が抜けてきてしまい、「なんだよぉ、このラブリーは』とゲッソリしてしまい、時代はラブリーだと思うようになった。ラブリーで夢見るような気分が、ただの逃避なのかナチュラルハイなのかわからない。

 あ、今どこかにいってしまってました・・・。戻ってきました。ところで、その新作のウサギの版画ですが、数日の間なんとかがんばって集中してきょうやっと工房で完成することができました。できあがるまではスピードが遅くなってるから心配で心臓飛び出そうでしたが、きょうはゆっくり寝られるというものです。でも、もうサッカー始まるなあ・・・

 



◆2008年6月27日(fri) エミール・クストリッツア&ノー・スモーキング・オーケストラのサポーターです

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Emir Kusturica (Guitar)
Dr Nelle Karajlic (Vocal)
Stribor Kusturica (Drums)
Drazen Jankovic (Keyboards)
Zoran Marjanovic (Percussions)
Goran popovic (Tuba)
Ivan Maksimovic (Guitar)
Goran Markovski (Bass)
Dejan Sparavalo (Violin)
Zoran Milosevic (Accordion)
Nenad Petrovic (Sax)

来日メンバーはちょっと違ってました。

「アンダーグラウンド」や「黒猫・白猫」などで映画界に衝撃をあたえ、世界3大映画祭を制した天才映画監督「エミール・クストリッツァ」率いる「ノー・スモーキング・オーケストラ」。旧ユーゴスラビアの共産主義に異論を唱え、警察の検閲などを受けながらも、体制に埋没することなく活動を続けてきた。今では彼ら独自の音楽“Unza Unza(ウンザ ウンザ)ミュージック”を引っさげ、フランス、イタリア、ドイツといったヨーロッパで絶大な人気を誇り、世界90カ国、500公演以上のライブで奇跡的な大成功を収めている。“Unza Unza(ウンザ ウンザ)ミュージック”とはバンドのボーカリスト、ドクトル・ネレ・カライチによればバルカン諸国を発祥とし2/4拍子に凝縮された「レゲエ以降に生まれた最も重要な音楽」であり、独自のアップテンポの2ビートのせたジャズ、ラテン、スカ、ハードロック、そしてジプシーミュージック等をすべて飲み込んだミクスチャーロックサウンドだ。社会主義に拳を振り上げ、無秩序に広がり続けるグローバリゼーションに警鐘を鳴らす。彼らの熱狂のライブが遂に日本に初上陸する。(宣伝文より)




 勿論行った。サポーターだからね。

 きのうの夜は本当に盛り上がりました〜。
エミール・クストリッツア&ノー・スモーキング・オーケストラの説明はもうしませんが、興味のある方は別ページの●松本里美の Hey ! Emir Kusturica●をご覧ください。
2001年の『SUER8』は、彼らのロードムービーで、ステージの様子はこれで十分にわかります。で、これから7年たって、いやー、メタボリッカーになってましたねえ。メンバーが楽器でしか判別できないほどではないか!アコーディオンのミロシェヴィッチは元々小太りだったから、すぐにわかるけど、クストリッツア監督がスマートに見える。
 それにしても、いきなりの来日で、しかもたったの1回。ほかの関連イベントも見当たらず、不思議な来日でした。わたしの希望としては、立ち姿が段々似てきたオシム監督と監督対談をして欲しかった・・。なんといってもオシムはユーゴの誇りだし、サッカー命のクストリッツアさんは、きっとオシムのいる日本には少なからずラブな気持ちがあるに違いない、とわたくし思っております。W監督対談、いつか実現してもらいたい。ユーゴの話でもサッカーの話でも盛り上がってもらいたい。
 ちなみにオシムもサラエボ出身、ユーゴ分裂前の1990年FIFAワールドカップイタリア大会でのベスト8について、クストリッツア監督の想いは熱い。映画の中でも再三出てくる。その時の代表監督がオシムなのだから・・・
エミーレ・クースター

 見にいったのはバルカンもんでいつもコンビのSくん。そして版画友達O嬢と英国帰りのライター石井さん。JCBホールはステージが近くていいです。我々はアリーナの前から5列目、右側。ビール片手に石井さんのお土産のマーマイトビスケットをつまみにする。そんなに臭くない(わたしはね)。
  旧ロシア国歌(らしい)が流れて、始まった。エネルギッシュなヴォーカルのドクトル・ネレ・カライリチはアディダスのサッカーユニフォーム姿で、クストリッツアはTシャツ、ほかの人たちは白いスラックスに胸にひらひらのついたブルーのシャツで、ふざけてる。このおふざけ具合は一体なんなのか・・・・ふざけずにいられないこの体質が、わたしはどうしても好きなので、惹かれるのでしょうか・・・。思えば、ガイタレは滅多にいかないわたしが行った人というのはふざけた人ばかりで、まともな大御所はバブルの時しか行ってない。
 それはどうでもいいんだけど、ネレがニール・イネスに見えてしまう時があるので、ちょっとそんなことを思ってしまった。今ワールドカップの予選中なんでサッカーの恰好だったのかわからないけど、きのうの観客の雰囲気や、終止高速の2/4のリズムの感じでのるバンドと観客の一体感が先日見たサッカーの試合の熱いサポーターと同じ匂いを感じておもしろかった。最後も旧ロシア国歌が流れておわって、全員バンドのサポーターと化していたのでした。ああ、だから熱っぽくて楽しかったのかな。
 メンバーは、ドラムがクストリッツアジュニアじゃなかったのが残念でした。キーボードもいなかったですね。それとメタボになっててわからなかったのですが、ベースの人がチューバを担当してたのか、チューバの人がベ−スもやってたのか判別つかず・・。
 すばらしかったのは、メタボおやじばかりなのですが、最初から最後までアップテンポの曲だけで休み無く通したことで、何曲かは静かできれいな曲もあるのに、まったくやらなかった。ずっとノリノリ。あのウンザウンザのリズムは、ずっと小走りに走りつづけるリズムで、映画「アンダーグラウンド』の最初のシーンを思い出してしまいます。楽隊が小走りに走りながら崩れた街に入ってくるシーン。
 曲は、彼らがサントラをやった『黒猫・白猫』『Life is a Miracle』『パンクオペラ/ジプシーのとき』からがほとんどで、あとはウンザウンザ・タイムなど。

途中何度も観客の中のきれいどころをステージにあげていた。みんな女好きだった。ステージは大道芸みたいのもあって、ロックバンドと言ってはみてもやはりジプシーバンドという感じで、ステージというよりは道路でやってる雰囲気さえする。それにしても、演奏がうまくてビックリした。クストリッツアさんもちゃんとリードギターを弾いていて、『SUPER8』の時よりもずっとうまくなっていたし(何故かドキドキしながら見た)。彼らは結構な年齢なんで、途中ピンクフロイドやディープパープルやジミヘンをやったり、ギターといえばすぐに「エリック・クラプトン」を引き合いにだしてしまうというのは、仕方がないんですねー。たとえがデビッド・ベッカムだったりカレーラスだったりパバロッティだったりと、ひねったところが全然ないところが英国人ニール・イネスとは全然違うんだけど、なーんかかぶる、ネレ・カライリチ。
 我々もみんな最初からスタンディングで、ネレがステージを降りて来た時にはミーハーのように腕に触ってしまって嬉しかったです。水をかけてもらってミーハーなんで嬉しかったです。中心はこのヴォーカルのネレさんで、なんでクストリッツアが冠になっているかについては誰もが余計な疑問を持つのですが、いいんですコレで。時々しゃべるクストリッツア。ネレに「メタボ、コソボ」と連呼させたり(実は違ってた。真相は*へ)、「革命の準備はできているかい!」と呼びかけたりもする。観客が「YEAH!!」と答えるとアッサリと『OK Next Time」とあきらめたように言う。映画もそうだけれど、こうした姿勢が一環している。どうしようもない現実。個としての無力。大きな力には簡単にはたちうちできない。口ではなんとも言えるけれど、半分の諦めがある。それでも、言うことは大事なのだし、それでも、生きていく人々は笑っていたりする。苦笑いとは限らない。奇跡的に明るかったりする。
*(「メタボ、コソボ!」と言わせてたのかと思って笑ってたけど、あとでバルカンのサイトを見たら、あれは「Ne damo、コソボ」コソボを渡すな!と言ってることが判明!ウヒャー、笑い事ではなかったわい)

 『パンク・オペラ/ジプシーのとき』は、昨年ヨーロッパでのみ上演されたもので、わたしは到底行けなかったのでとても残念で仕方がなかった。でもサントラはすぐに手に入ったので日々聞いていた。ネレの声はよくわかっている。ほかはオペラの出演者の声だと思うのだけど、今回はヴァイオリンのダヤンさんとアコーディオンのミロシャヴィッチさんがオペラ風に歌っていた。この二人がだいたいコーラスをとったりしているのだけど、歌い方はネレとはまったく違う。ネレさんはロックバンドのヴォーカリストとして歌っているのだろうけれど、ほかの二人の節回しはロマミュージックの節回しなんですねー。この二人がしかも、音楽的にとてもすばらしくて(ほかの人もうまいけど)、それは『SUPER8』を見てもわかるし、映画のほとんどの曲を書いているのがダヤンさんで、とても良い曲を作っています。うまいしね〜・・・・しかし太ってしまいました。『Life is a Miracle』の時もそんなに太ってなかったのになあ。『黒猫・白猫』「Life is a Miracle』にも出演しています。ネレは、 「Life is a Miracle』ではいやらしいハンガリー人を好演(といってもそのまんまですが)してました。

 特にパンフレットがあるわけでもなく、ステージにも何も凝ったものはなく、本当にアッサリしたものだったのですが、観客とバンドがとても暖かく一つになった感のあるすばらしいライブで、ドクトル・ネレのエネルギッシュさとやはりクストリッツア監督の映画を見ている人たちの熱い気持ちがサッカーのサポーター現象を生んだんだと思いますねえ。2時間ちょっと、大汗をかいて楽しみました。近くで見れて幸せでした。
 わたしの回りのごく一部では熱狂的にこうゆうのが好きなんですが、お客さんの中にもいろんな人がいて、すれ違った男性二人の内の一人が「この人有名なの?聞いたことない」というともう一人が驚いて「すごく有名な監督さんですよ!」と答える。象徴的だなあ。クストリッツア監督はとてもすばらしい作品を作っているし、別に賞にこだわるわけではないけど、カンヌもパルムドールもとってるでしょ、でも、認知度もの凄く低いんですよねえ。日本では。まったく知らないか、凄く興味をもたれているか・・・極端。そこがまたロックな感じで良いですけどね。
 今回、クストリッツア監督がやはりカッコよかったと思うのは、まったくのバンドの一員としてやってきてるということなんですねー。オシムとのW監督対談が見たい、なんて最初に書きましたが、ネレを中心とした1バンドの1ミュージシャンとして来日しているのが凄くカッコいい!このロックなスタイルがわたしのLOVEの大きな理由の一つです。

本当に盛り上がっちゃいました。
終わったあとは、S君とビールを飲みつつ次のバルカンもんはなんだろか、などと話すのでした。そのくらいしか興味がない・・・あ、フーが来るんで、それくらいかな。なんか普通のライブ見てない・・・普通ってなんだ。

 一日たって、またサントラを聞きながら工房仕事です。やっぱりあの動き(変なダンスなんだけど)はサッカーノリだな、と思う。さ、仕事しよっと。星座の仕事はやっと半分終わった。

 



◆2008年6月25日(wed) 眼鏡族ライブ

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『nu』vol.3の中の牧野くんの文章につけた版画


 勿論工房へ。

きょうは久々にたくさんしゃべった日だった。5時半まではほとんどしゃべってないのだけど、その後テレビドラマの話になって、ここんとこ何も考えずに惰性でいろんなドラマを見ていたので、誰かがそんな話をしだすと、聞き耳をたてずにおれないわけです。きのう終わった「もこみちロボット」はロボットらしくてよかったし、徳井からマチャアキに走った夏川さんもヨカッッタわ。あの人は好きなのだった。総理になったキムタクが「マジッスカ」というのには寒いものが走ってしまいまして、ルーキーズは子どもが主題歌をずっと歌っているので憶えてしまった。一番盛り上がりを見せたのは「ラストフレンズ」で、あまりにも語ることが多いドラマだった。オグリンは一体何だったんよ・・・というのが一番の見所だった。と言ってしまったらどうしようもないんだけど、変なところ満載でおもしろかった。突っ込みどころが山ほどだ。ワンクールではこんなにタブーだらけの物語は収まらないだろうしなあ。で、あしたの特別編はオグリン特集かなあ???まさかね
 あしたはノースモーキングオーケストラを見にいくから、見られない。録画しておいてもらおう。

 さて、このドラマの話で急に工房中が盛り上がって大変だったのだけど、わたしは途中で抜け出して千駄ヶ谷に。
●『千駄ヶ谷loop-line』Rafael Toral ,秋山徹次,クリストフ シャルル,牧野琢磨,伊東篤宏
本当に久しぶりにライブに行った。牧野くんはたくさんライブをやってるなあ。でも、全然ここんとこ見に行ってなかったので行けてよかった。伊東さんとのデュオを見たのは2回目。最初の時は二人でブルーズという感じだったけれど、今回はもう少しドライで渋くなっていたかなあ。目がショボショボなので、伊東さんの蛍光灯の点滅で目がくらんだ。牧野くん眼鏡。クリストフ・シャルルさんは昔マツキヨが滑川五郎ほかと一緒にやった時に見た。あの時は美青年でありました。今回はパソコン。わたしはパソコンに向かってるだけっていうのは、眠くなっちまいます。眼鏡。秋山さんはアコースティック。これも目がショボショボだったのでよく見えなかったんだけど、変わったギターだった。いや、変わってなかったのか、わからない。ピックガードが変な模様だった。なんだったんだろう。時々恥ずかしいストロークをするのがおかしかった。このままフォークソングになっちゃったらどうしよう〜とドキドキするシーンが3度ほどあった。いや、でも、多少恥ずかしいくらいのものがあった方が楽しい。眼鏡なし、のち眼鏡あり。ラファエルさんという方は初めて知った方でしたが、これがとってもおもしろかったです。最初はマーシャルのちっこいギターアンプ(一番小さい15cm角くらいの)とライトをつかってのもので、身体の動きも音もかわいかった。これも良く見えなかったので、どうしてあんな音が出るのかわからなかったのだけど、シッカリ改造されてました。次に同じくらいの大きさの箱。指を舐めて金属がくっついてる部分をこすって音を出す。あとで話してるのをチラと聞いていたら、「オシロメーター」と言っていたので、これを2つ埋め込んでシンクロさせていたのだろうと思う。いい音なんですよ、これが。見た目もレトロで良いのでした。最後はフェンダーのやはりミニアンプを使って。こちらから見ると何も変わったところがないアンプだったので、一体そうしてこんな音が出るの?という感じだったけど、あとで見たら、裏側には基盤がくっついてました。ここを指でこすって音を出していた。もうひとつ金属のリングのオリジナル楽器があったのだけど、わたしの悪い目では何にも見えてなかったので、何もないところに触れて、なんで音がでるのかしら?と不思議だったのでした。なんてこった。これらの楽器は「発振器」そのもので、アナログシンセの芸大でやった展示を思い出してしまった。最初にあの電子音「ピ〜」を出すのにどれだけ苦労したか。その音一つのために、音を大きくしたり小さくしたりするために、どれだけ大きなものを作らねばならなかったか。を考えると、このコンパクトさが驚異なんですが、手に持って指でこすって出す、というのは、とても懐かしい感覚で、わたしは好きでした。電子音にいとおしさがあって良かったです。何より見た目がかわいい。眼鏡。
 発振器のライブでした。ギターも蛍光灯もパソコンも、そして人間も。おもしろかったです。

 みなさん眼鏡で、頭がよさそうなライブでした。終わってかた久々にMr.&Ms牧野と話す。うわっミュージシャンと話すの久しぶりだ!恥ずかしい〜!が、話がサクサクできて楽しいな、やっぱり。またやろうね。いつになるかわかりませんが、やりましょう。伊東さんにもありがとうを!このカフェがいい感じだったので紹介してもらった。なかなか絵をまともに飾れて音を出せてプロジェクターもあって、という場所はないので、珍しいと思った。
 家に帰ると『nu』のvol.3が届いていた。実はこれに牧野くんが物語(随筆?)を書いていて、嬉しいことにわたしが挿絵を描かせていただいていたのでした。印刷になると喜びもひとしおですね。どうぞ、手にとって見て下さいね。
ところで、ザッとページを捲っていて、吉田アミさんのブログを斜め読みしていて、病気のカミングアウトというところで反応してしまった。そして<水中、それは苦しい>の「カミングアウトの撤回」がタイトルだけでおもしろいとわたしは思っていたのだけど、やはりこの曲のことが書いてあって、思考回路がモロにわかっておかしかった。カミングアウトするのはいいことのような気もするれど、大変なことよ、それって。

例によって、書きぱなしですっt!!
またあした!

 



◆2008年6月24日(tue) 大人で子ども

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へびつかい座の名医のマーク

世田谷美術館に行くとたまに買ってしまうルソーの絵の金太郎飴。意外とおいしいです。


星座の版画の制作をしつつ、秋の二人展のための新作の制作をしている。目の具合は相変わらずなので、サササと書き逃げの予定でございますので、変な変換ミスもそのままでやる。結構おもしろいかも。
 ちょとスリム化を計ったつもりだったのに、やっぱり最近全然休めなくなってしまった。どうやっても毎日毎日目一杯なままで、またグッタリしてしまった。

 東京都現代っ子美術館、命名後、各所で話題となっており、さらに考えを深めておりますが、ほかにやることが満載なので突っ込んで考えられてないのg残念。たとえば、現代アートと呼ばれるようになったものの最初はなんだったっか?と考えてみると、デュシャンのレディメイドだろうと思われ、物質文明と切っても切れないものと言える。その物質も、古くさいものを使ってもやはり現代とは言えないから、その時代ならではのものでなければインパクトはない。などと考えてみて、現代っ子現代あートというのは、物質だけではなくって・・・・う〜ん、ここから先が考える余裕がなくて出てこないのだけど、明らかに何か違うので・・・
 止めておく。とりあえず、秋葉原に建てるのが良いのではと思ったけれど、それはどうも短絡的すぎるなあ。

 今朝は遅ればせながらチィちゃんのフィラリアの薬を貰いに病院へ。9種混合ワクチンというのも接種。これはチト高かった。でも、仕方ない。待ってる間、壁のかかっている「世界動物協会協力会員』という看板を見ていた。このマークは杖にへびが巻き付いているものだった。ほかにも大きな病院にこのマークがあったように思う。
 これは、星座の打ち合わせの時に初めて知ったのだけど、「へびつかい座」から来ているのでした。ギリシャ神話では、名医はへびを扱っていたのでした。へびの毒を使いこなして治療をしていたらしい。これでどんな病、怪我もなおしてしまうので、冥界の神が、「死人がいなくなるのはどうかと思う」みたいなことを行ったらしい。それでゼウスに言いつけた。ゼウスも自分の悪行はさて置いて、「それはイカン」と言って、蛇使いの名医に雷を落とし、殺してしまった。でもって、かわいそうだから星にして残してあげた・・・・というどうしようもない話なのだった。最初から最後までどうしようもない話でありました。が、神話ですから、許してしまえ。

 そんなわけで、病院にこのマークがついていることがあるわけですね。わたしもこの絵、描きました。これは学研の仕事なのですが、学研の「大人の科学」テルミンにつづき今度はアナログシンセだそうで、これも欲しい。今度の版画は「シンセのつまみ」を描こうと調度思っていたところだったのでタイムリー。学研楽しい。

 ギターの日ってなんだろう。フェンダーが作った日なんだろうか・・・??イベントもあるらしいけれど、週末は締め切りで忙しいので行かない。あしたもあさっても忙しいけれど、あしたとあさってはライブに行くことになっている。久しぶりだなー。

 子どもが歌謡曲という雑誌をどこかからか貰ってきて「これ弾けない?」とJ-POPのバンドの楽譜を見せるのだった。子どもはドラムが叩けるので、その曲をスタジオでわたしと一緒に演奏して自分はドラムを叩きながら歌いたいらしい。コード知らないから無理だ、と思ったら、わたしでもシッてるコードだったので、シメシメと思う。しかし・・・・聞いたことない曲なのだった。まあ、それはいいとして。「歌謡曲」って雑誌のタイトルがびっくりだ。



◆2008年6月22日(sun) 意外でしょうが、サッカー好き

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きのうは、残像が酷かったので、中途半端になってしまったけれど、少しつづきを。

東京都現代っ子美術館・・・・というのが、美術館の帰りのバスの中で思いついてしまって頭から離れなかった。
これでイイんじゃないか、昭和40年生まれよりあとの作家と、それまでの現代アートとは、相当違うなあ、と思ったから。これだけの美術館があってもイイかもよ。と思ってしまったのだ。THE TIMES, THEY ARE A-CHANGIN'というわけで、近代とか現代とか、言ってるけれど、その先のことばも考えなければならないような気がしてきた。特に名称は浮かばないけれど。

きょうは、何故かまったく似合わない感じするけど、サッカーを見に行って来た。
全日本対バーレーン戦。 埼玉スタジアム2002へ。
車で行ったけれど、どうやっても我が家からは遠い。でも、生で見るのは楽しい。勝ったのでさらに楽しい。スタジアムを覆うブルーがきれいだった。席は上の方だったけれど、ローガンズだから遠くても良く見えるし、屋根があるので雨に濡れることもなく快適だった。ビール飲んでお弁当食べたりお菓子食べたり。
試合も楽しいけれど、サポーターの応援を見るのもいいもんです。

しかし、似合わない・・・・・好きなんですけどね、スポーツは。 で、シラ〜ッと見てるとお思いでしょうが、そうでもありません。結構盛り上がって終わる。

全日本はアジア1位となりました。きょうはわたしの好きな大久保はレッドカードが出ていたので出られず。中澤のゴールなかったですね。スタジアムから駐車場までが長くて、結局ズブ濡れになってしまった。

さて、これから制作タイム。きょうは遠くをずっと見ていたせいか目の調子がとても良いゾ。さらに、パソコンの位置を下に下げたので、もっと調子良くなる予定。



◆2008年6月21日(sat) 東京都現代っ子美術館

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映像作家のジャン・ピエール・テンシンさんに大分前からお知らせを頂いていたもの、
●東京都現代美術館『大岩オスカール/夢みる世界』展に行く。
 木場公園で、朝サッカー少年のために作ったお稲荷さんと手羽とさくらんぼのお弁当を食べてブラブラ散歩してから。
帽子作家かとうひろみさんがテンシンさんのコマ撮りアニメーションなどの美術のアシスタントなどもされていて、昨年伊東屋の個展の時に一緒に来てくれた時に、フレイレフ・ジャンボリーとの繋がりがお互いにあることがわかり、わたしも拙いながらもコマ撮りアニメーションを作っていたり、ゴダール好きだったり等々、なんとはなしに相通じるものを感じていた。3月の公園通りクラシックスでのライブにも来てくれて、終わってからいろいろ話していたら、突段とも昔何か関係していたらしく、そんなこんなの世界の方だった。
 大岩オスカールは現代美術家で、テンシンさんがインタビューほかの映像を撮ったDVDが出ている。さて、いつ見に行こうかしら、と思いながらズルズルしていたのだけど、きょうだけ松蔭浩之が会長をしている昭和40年会(その年に生まれたアーティストが数人集まってる)の作った映画『晴れたり曇ったり』を上映するということがわかり、撮影がテンシンさんで、出演が小沢剛、明和電機の土佐正道、音楽とおばあさん役に有馬純寿、会田誠は男女二役、パルコキノシタ、そして大岩オスカールと宇治野宗輝が特別ゲストで、脚本が玉利祐助となっているのだった。無料だし、トークもあるらしいし、きょう以外にない、と思った次第です。

 その前に大森のFIRSTLIGHTでボールペン画家の金野さんの作品を見に行ってきて、 細い線にクラクラしてしまった。最近細い線の美しいものばかり見ていて、クラクラする。実は、家を出る時に、わたしは金属のぜんまいのような光る残像を見てしまっていて、目を閉じても片目閉じてもそれがどうしても見えてしまい、クラクラしていたのだった。わあ、もう、これは目の病気なんじゃないだろうか・・・いや、目とは関係ないかもしれない、どうしよう・・・と焦っておりまして、パソコンと銅版と、乱視用眼鏡とローガン眼鏡のせいなのに違いないと、目を休めることにしようと思っていたのでした。なので、美術館もどうしたもんか、と思ったのですが、大岩オスカールの絵がバカデカいので大丈夫でした。これと屋上庭園展と常設展と、特別展示の岡太郎の「明日への神話」も見てしまったのだけど、大きな絵が多かったので目が疲れることもなくてよかった。でも、そのあと映画を見ている間に寒気(というかただ寒かった)がして、松蔭×玉利対談はパスしてしまった。

 大岩オスカールは騙し絵のようなところがあり、そこがおもしろいと思った。遠くで見るのと近くで見るのと、どっちでも楽しめる。「モンキー」という作品がわたしは一番好きだった。機会があったら、見てみてください。色も構図も内容も好きだった。内容は厳しいモンがあるけど、政治的メッセージ性も、これだけ絵画として完成されていたらいいなあと思う。
  先日書いた山口晃は昭和40年よりも若いけれど、やはり会田誠にしろ、メカ、アニメ、破滅、破壊、というキーワードは共通するような気がする。映画が始まる前に松蔭氏がこの映画について少々語った中、「現代っ子』という言葉を使っていたのが、ああ、と納得してしまったのでした。菅井きんさんが言ってる感じで、「現代っ子だねぇ〜、シッカリ、チャッカリしてるねえ〜」そういわれるようになった時代の人たちということで。わたしよりも少し若い人たち。ビジネスをしっかり見据えている。良くも悪くも。
漫画(アニメ)「タッチ」というのはいつごろのだったのか・・・わたしはあれが好きじゃなかった。絵が駄目だったんでほとんど知らないんだけど、このあたりから少年漫画と少女漫画が・・・というか少年漫画が少女漫画みたいになってきてたような気がするんだけど。現代っ子現代美術家の描く女の子がわたしは好きじゃないっすね。山口晃はその点、ロリエログロいところがなくて好きだ。

 目が痛いのでもうあまり書けないけど、映画については、意外に有馬氏が演技がんばってたと思う。曲おmよかったし、土佐さんの動きに合わせたアナログシンセ(どっちがどっちに合わせてたのかな?多分その場で同時にやったんだろうと思う)の音が(MOOGっぽい)よかった。パルコキノシタもうまかった。ほかは特にうまくないけど、俳優さんじゃないからいいのだ。さすがに題字や雲の撮影などはよかった。撮影場所は会田誠の家と有馬氏のアトリエなんかが使われていた。
 霊界ラジオというのが出てくる。見えてないんだけど、それを土佐さんが修理する。霊界の小沢剛の声が聞こえる、というくだりは良かったな。『霊界ラジオ』って、『鉱石ラジオ』いたいな響きがあっていい。

もっと書きたいけど、目が限界。
岡本太郎の「明日への神話」はたしか渋谷の井の頭線の改札あたりに設置が決まったのじゃなかったっけ。
意味深くはある。でも、何度も見たいような感じはしないな。と思った。

 屋上庭園の方では思わぬ作品が見れた。 銅版画の中林忠良のゼロックス複写からの腐食版画。ガッツリした黒インクが怖いくらい力強かった。

パソコンのせいで残像が見えるようなので、これからはできるだけ、画面見ないことにした。それと推敲しないことにした。ので、片な文章でもあしからず。



◆2008年6月20日(fri) ローガンズ

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工房はローガン率が高い。
 モリー・ゴングくらい歳をとってくると(オランウータンのモリーは50をとっくに過ぎているんだけど)、そうゆうことになる。工房は今やローガンズだ。わたしは眼鏡を作って快適に作業ができるようになって、効率もあがりホッとしている。わたしより年配のKさんが「レンズの技術もなかった昔は、老眼の人は大変だったんだろうね」と言うので、キッパリと「老眼になる前に寿命で死んでますよ」と答えた。
 日本人だって昔は、以前のサンコンさんのように、パキパキに目は良かったに違いないのだ。浮世絵を見る限り、富士山は蝦夷地からも見えたほどだ。嘘。遠くの山々をいつも見ていた人たちは、きっと視力はとても良かったんだと思う。平賀源内エレキテル以前は夜も真っ暗闇だから、早寝早起きだし。寿命が50歳だったら、老眼のことなんか考えなくても良かったんだと思う。ローガンという言葉すら無かったに違いない。
 これから先は余生と考えると、なんだか楽しい。もう死んでしまっている、と思えば、ラッキーな感じもするから生きてるような死んでるような風でいいかもしれない。

 きょうは初対面の小学1年生の男の子と付き合う。2時間だけなんだけど、お絵描きなんぞでお相手をする。やっぱおこちゃまなんで、まだまだ肛門期真っ盛りなため、ウ◯コの絵ばっかり描いて喜んでいる。段々興奮してきて、トイレにも付き合わされる。「見て見て〜〜」とオチ◯チ◯を見せられ、飛び散ったオシッコの拭き掃除もセネバならず、ゲンナリしてしまった。だから、男も座ってやれっつーの!
それから家の中を探検をして、鉄のドアを発見。「このドアの向こう、見たい?」と言うと、ギュ〜ッと抱きついてきたので、かわいくなってしまった。ただの納戸だったのだけど、一緒にソーッと覗き込む時にもわたしの服をつかんでいるので、完璧にやられてしまった。人間にまだなってないというか、生き始めたばかりというか。



◆2008年6月19日(thu)-3 アンドロイド・アイズ

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眼鏡を作った。
銅版画の細かいところが全然見えない。これはもう老眼なんだわ・・・と思って原宿の工房へ行く途中にあるZoffに行った。検眼すると、近視ではないが乱視の方向がいろいろで、頭痛くなるでしょ?と言われる。これは前からそうなのだ。そんな事はわかっている。「老眼よね」「遠視ですね」。どっちでもいいけど。
待ってる間、中にあるバール風カフェのドリンク半額チケットをくれたのでカプチーノを飲む。Sくんに借りていた現代美術家の山口晃の本を見てため息をつく。

テレビでは速水もこみちがロボット役を。映画では彼女がサイボーグにもなっている。なんだか流行なんだろうか。先日鉄人28号実写版のDVDも見た。結構おもしろかった。全編CGじゃなかったからなのか。
山口晃の世界は緻密な日本画にサイボーグとか骸骨とか戦車とかが入り込み、めくるめくような時間の倒錯を感じてしまうが、とにかく男の子っぽいカッコ良さがあって、気分がいい。
ロボットやアンドロイドや、精密な機械をその筆力で(画力というよりは筆という感じがするのだ)ガッチリ描き込むものは、なにやらゾクッとしたものを感じて好きなのです。

エノチュウ(榎忠)も好きだ。金属片の積み上げられた街はゾゾッと美しい。
山口晃の少年剣士モンは、美しくていい。先日の横尾もこういったモンが好きだったっけ。なんだか、同じ世界の新旧を見ているようだ。人の身体が美しく、機械と生物の融合が魅力的だ。細かなタッチは大友克洋「アキラ」から好きになったように思う。多分最初は、鉄腕アトムが修理されるシーンからだったのだろうけど。あんなにかわいいのに、顔を半分開くと、骸骨風メカになっているのがギョエと思ったもんだ。

時代劇と現代モンの融合が最近やたらとアニメに多いので、これも何か世代によるのだろうか?と思う。「ナルト」や「銀魂」に通じていておもしろいと思う。エノチュウを見た時の六本木クロッシングでも漫画作品があった。これは何がどうよかったのか思い出せないけれど、嫌な感じがしないものだった。嫌な感じになるのも大事なんだと思うけれど、村上隆の嫌な感じがいい感じなのだ、と思う人は多いんだろうね。我慢ならない。

何を言っているのかわからなくなったのでやめる。

ああ、それで、雑誌が置いてあったのでそれも見ながら眼鏡を待っていたのだった。そこに「ランティエ」があって、表紙がロボットだったから、またしても見てしまった。この雑誌はどうゆう人が見るのか。捲ってみると、時計のメカがあったり、江戸時代の眼鏡職人の道具があったり、新しいフィアットとミニクーパーの写真があったり、そうゆうのが、どうもわたしはワクワクするので、ジックリガッツリ見入ってしまっていた。そこで眼鏡ができました、と言われて試しにかけてみたら、全然ピントが合わなかった。検眼しなおしたら乱視の方向が違ってた、とのことだったけれど、本の中の細かいメカばかり見ていたので、ピントがズレてたのかもしれない。
ピントはズレまくっているのだ。いつものことだ。でも、目がよく見えないのは嫌なもんだと思う。



◆2008年6月19日(thu)-2 四十五日間のこんだけ

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5月始めはまるで音を聞く気になれなかったけれど、後半からはゆるゆるとしたものなど聞いていた。
見たモンに続いて、聞いてたモンを書く。

●Kate Rusby『手ごわいアニー』
●Steeleye Spanの2nd.
●Epic Soundtracks『Rise Above』
●The Red Krayola『Introduction」
●The NoSmoking Orchestra『パンクオペラ”ジプシーのとき”』
●Deerhoof『Friend Opportunity』

このほかちょっと聞いたものもあるけれど、ほとんどこれだけしか聞いてない。
ケイトさんはイギリスのカントリーみたいな人(そんな言い方があるのかどうか知りませんが)星の王子様をアレンジしたスリーブがかわいくて好き。声もかわいい。ハッキリ言ってCD屋でのジャケ買いだったけど、気に入っている。
Steeleye Spanの2nd.は、The Blacksmithが良いわけで、頂き物でずっと聞いていた。 同じくThe BlacksmithはPlanxtyでも聞かせてもらった。これも良かった。電車の中で良く聞いた。
エピック・サウンドトラックスのこのアルバムはしみじみといい。ゆったりした曲が多いせいか、イギリス人だからなのか、割と歌詞が聞き取れる。というかそうゆう歌い方なのだろう。ラフ・トレードのものなど、ポストパンクやらなんやらそのあたりのは歌詞がついてないものが多いから想像ばかりしているけれど、多分哀しげなラブソングが多いんだろうと思う。ヒッソリとした彼と彼女の歌なんだろう。
レッド・クレイヨラのこのCDは2枚買ってしまったのだった。出た時すぐに買ったのに、いつしか忘れていてまた買ってしまった。なんてことだ。2枚もいらない。でも、1枚は大事に聞いている。これには歌詞がついている。このアルバムの『Puff』っていうのは、まったくメロディは違うけど、歌詞はピーター・ポール&マリーが歌った、あの「パッフ、ザ、マージック、ドラ〜〜ゴン』だった。メイヨさんは何を歌っているのか、来日した時、前の方で見たけれど、ほとんど発音理解できなかった。アメリカ人だからなのか、そうゆう歌い方だからなのか、わたしが単に英語力がないからなのかわからない。多分不条理なんだろう、と思いながら聞いていたけれど、やっぱり不条理だったのだった。ギターがいい音なのだった。
ノースモーキングオーケストラは、来週の来日のために予習復習。『ジプシーのとき』サウンドトラックがあまりにも良かったので、このオペラ版はきっと期待はずれだろうなあ、と思っていたのだけれど、結構これが良いのでありまして、随分聞いている。あのエデレジ〜は、どうするんだろうか・・・・ヴォーカルはネレ・カライリチがやるのかなあ・・・なんか違うなあ。できたら少年か少女のゲストでもいると嬉しい。早く見たい。
ディアフーフは頂いた。サトミ嬢がいるけれど、アメリカのバンド。ちょっと懐かしい感じもするんだけど、新しいバンドで、気持ちがいいなあ。やはり音が生エレキっぽいのはいい。というか好きなんだと思う。こうゆうハッキリしたギターサウンドが。

というわけで、音楽を聞くのは楽しいもんだなあ、と改めて思うのでした。ライブにも行ってない。ちょっと行きたい。



◆2008年6月19日(thu)-1 四十五日間のザクロ

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新作の一部 『Zakuro on the Clouds』

一番好きな5月が過ぎちゃいました。爽やかな5月はもったいない。
 四十五日間、仕事先と工房以外にほとんど出かけてなかったので、途中からしゃべるのが面倒になってしまった。しゃべるというのは慣れなんだった。しゃべるのが面倒だったからなのか、出掛けたくないからしゃべらなくなったのか、どっちでもいいのだけど、悪循環が悪循環を生み、もったいない5月だった。歌いながら版画作品を1枚完成させた。
 時間に関係なく寝たり起きたりする生活をしつづけていたので、休みの日は、それが目覚めている時なのか眠っている時なのか記憶が曖昧になってしまった。
 ある時、わたしの手のひらの上に大きな赤いザクロの実が置かれていて、それがくっついて離れないので、どうしたのだろう、と思った。
『これはキミだよ、よく見てごらん』、とそれを置いた人が意味ありげに言うので、 考え込んでしまった。どうしてこの人はそんな風に決めつけるのだろう?と少し考えてから訝しく思い、それは暗示でもなんでもなく、ただただその人の思い込みと勘違いなのだと結論はでた。ほとんどのことはそんなもんだろうと思う。だから、その実が身体にっくっついていても、そんなに大変な問題でもないような気がしてきた。大変な問題でもないのに、思わせぶりだなあ、これはこれで、こんなわたしとして一生生きていってもいいのかしら。と思ってみる。気にしなくても誰も見てないかもしれないし。しかし、たしかに取れないんです。
  ところで、その実はわたしだったらしいので、赤い実がツヤツヤと鮮やかで瑞々しいうちは気分も良かったのだけど、気がつくと少しセピア色になっていて、息が止まりました。ザクロの末路をわたしは知っている。以前何度かザクロの絵を描いているから知っているのだ。だから、これはいけない、と慌ててしまい、心臓が飛び出るくらいドコドコと鼓動をうつのでした。このまま放っておくとどうなるのか、それはもうわかりきっているので、また寝てしまおうと思う。目が醒めると、その実は固い緑色の実になっていたので、ホッとした。ところが、あまりにもセピア色になるのが怖かったために、その後も時々思い出しては心臓が音がするほどドクンドクンとなってしまう。すると、その緑色の実が、血液の流れの速度に比例するかのように(身体にくっついているのでそうゆう具合になっている)あっという間に赤くなってしまい、こんなことではいけない、とまた眠ることにするのでした。こんなことをやっていてはいつまでたっても眠りから醒めることはできないと思いながらも、それが眠っている時なのか目覚めている時なのか、もうわからないので、その実の成長とわたしの眠りはきりのない自転車操業となってしまいました。
そんな詩。でもって、鼻歌した。

 この夢なのか現実なのか定かではない光景についてはよくわかっている。そのザクロは、緑の実も、赤い実もよく見ているのだ。家のそばにそれはある。一つは何年も前から見つけていたのだ。出かける時にはわざわざその実のある家の前を通ることにしている。年々立派になってきて、幹のねじれも堂々としたものになってきた。緑の季節には豊かな葉が風にワサワサとそよいで、涼しげだ。もう一つの木は、昨年の暑い夏の夜中、非常に疲労感を感じながらギターを担いで帰った時に見つけた。ブルーな上に高ぶっていたので、駅からわざわ遠回りして25分間かけて歩いてみた。何事も25分で片付ける、そんな忙しない習性がついてしまったのが悲しい。それはポツンとわたしの目の前にあって、かわいく揺れて、わたしのおでこにぶつかりそうになったのだった。緑色だった。触るとちょうどわたしの手のひらにスッポリ入るサイズだったので、なんとも愛おしく、しばらくその実を握っていた。頑ななその実を握っているとやさしい気分になったので、連れて帰りたいと思った。申し訳はないが、一ついただきます、と、ちょっと酔っぱらってもいたのでグリッとしてみる。意外にこの実はシッカリと細い枝にくっついていて、ポロとは落ちなかった。落ちない実だったのだ。そうゆう寂しい植物だったのだ。わたしは慌ててしまった。ゴメン!とは思ったが半分細い枝を傷つけてしまったので、もうこの悪行は続行するしか道はない。スッカリ酔いもブルーな気分も醒めてしまい、その後この緑の実をポケットに押し込んで家に帰り着いた。しばらく机の上に無造作に置いてみていた。悪行を振り返るのは辛い。しばらくして捨ててしまった。


しゃべらない5月だった。それでも、数人とはたくさんしゃべった。その一人は、仕事の打ち合わせもかねてで、画家で編集人M氏。

 その中心的な話はギリシャ神話だった。星座の仕事なんでそんな話なんだけど。実は昔から苦手だった。頭デッカチの西洋人の切り札のように出てくるギリシャ神話とキリスト教的世界観が、どうも馴染めない。宗教だろうがなんだろうが、「畏れ」を植え付けるようなものが、ドーモ、嫌だ。正直な気持ちとして、嫌というか、怖い。罪悪感の植え付けが怖い。「〜したら〜になっちゃうぞ」と言われたら怖い。だからといって、「〜したら救われる」というのはもっといや〜な感じがする。そんなに簡単にすませられるなんて、本気で思っているわけじゃないよね・・。近代西洋哲学というのは、半分そんなのばっかりでおもしろくなかったわけではないけれど、不真面目な学生だったので、細かいところはほとんど忘れさっているのに、恐がりというのもあるんだろうけど、そうゆう怖かったところだけが残ってしまうというのが、また怖い。怖いと萎縮してしまうから、それがまた怖い。そして、なんでオレのことをオマエに委ねねばならんのよ、と怒りに変わってしまうのが、また嫌な気分だ。威圧的な物言いは、怖い気分が怒りになり、吐き気となり、最後には哀しくなるもんだ。

星座や星座の古い絵図は美しくて好きだけれど、『星にしてあげよう』なんてことで済ませていいのか?星座のお話は星として残してあげましょう、というものばかりだ。それも、どれもこれもゼウスが決めてしまうのだ。星になったら嬉しいかしら?としばし考えた。想像もつかない。

 東洋の思想というのは、アッケラカンとしていて自然で納得できる。M氏と話したり、また、別の仕事で民間医療についてのビックリするような方法を聞いていて、同じようなことを思ったのだけど、大事なのは選択肢がたくさんあることではないか?と思った。答えは一つじゃないと言うことで。民間医療の場合だと、そこに西洋医学の裏付けがあると、ヒトは安心するのだろうと思う。東洋の神秘、なんちゃって、神秘というのは西洋人の見方なわけで、もっと自然なことだったハズなんで、エコというのが気持ち悪いのも、説教されるからで、元々そんなのは普通のことだったハズなんだから・・・。狩猟民族に自分もなっていたなあ、と深く反省した。これは友人がわたしに話してくれたことなのだけど、農耕民族的に物事も良い事悪い事おおらかに受け入れるのが大事なんだろうと思うわけです。生も死も人間も神も動物もみんなゴタゴタでいいではないか。八百万の神様よろすくね。

 それはそうとして、ギリシャ神話が苦手なもうひとつの理由は 名前がギリシャ語読み、ラテン語読みなど面倒だからで、プルーストの「失われた時を求めて』も挫折したし、ロシア文学もほとんどこの名前がネックでちょっとしか知らない。名前が100個出て来てもおもしろく読んだのは吉川英治の『三国志』くらいだ。さらに、神様たちの近親相姦が甚だしくて、一体誰が誰の奥さんで、子どもで、孫で、と理解するのに頭が疲れるはで、やんなってしまうのだ。
 ゴヤの『我が子を食らうサトゥルヌス』というのが、わたしが物心ついて初めて衝撃を受けた絵なんだけれど、これがどうゆうつもりなのか、やっと最近理解できた。ようするにギリシャ神話なんですが、サトゥルヌスはサターンの事で、土星のことで、土曜日、サタデイになったってんで、「SATURDAY』というスペルがどうしても憶えられなくて心の中で「サトゥルデイ』と言わないと書けなかったわたしは非常に納得してしまったのでした。
  日本人は元々、人間も自然も死も生もその境目をフリーキーに考えていたと思う。ギリシャ悲劇と同じような話が古事記にもあるのを最近知った(あまり詳しくはないんだけど)。ハッキリした回答のないままに妙に尻切れとんぼに終わるものが多いような気がする、とそういったことに詳しいM氏に話したところ、日本人が持つ自然に体する考え方と、西洋人の持つ考え方は全然違うという話を聞かせてくれた。ああ、そうか、と、先ほど書いたように、「エコ」ということに対する気持ち悪い感覚について納得したのだった。今の世の中は能動的に「エコ」を語らなければならないほどヒドイことになっているのだろうけれど、元々自然に生きていれば、語ることもないことなのだ。その前にはやった「スローライフ」についても気持ちが悪いのは、そうゆうことなのだろうと思った。

 ザクロも暗示的に出てくることが多い。マリアがザクロを持っているボッチチェッリの絵は魅力的で好きだし、血の味がする、なんてことも言われていて、鬼子母神伝説にも出てくる。ギリシャ神話にも出てくる。娘はザクロの粒を4粒食べてしまったために、1年のうち4ヶ月を冥界で過ごさねばならなくなり、それから冬ができてしまった、というもの。「そんなわけないじゃん」と言うなかれ。 神話なんだから。


◆2008年6月15日(sun) 四十五日間都内の旅

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庭園美術館。旧朝香宮邸宅の横の出入り口は一般の人は通れませんが、好きな場所です。タイルもきれいだし。彫刻もいい。薔薇の棚のそばに松があり、和洋折衷の権化のようです。

きょう、工房で、26日に来日するエミール・クストリッツアとノースモーキング・オーケストラの話になって、とても楽しかったので久々に日記を書くことにしました。こんな話をするのはOさん以外には工房にはいなくって、ロマ音楽話に加わっていたK氏も「そんなの誰も知らないよ」と、匙を投げるのでした。Oさんが「やっぱ、シンバルとチューバがなくっちゃねえ。松本さんも常にこの二つと一緒にやってくださいよぉ。なんなら向こうの人と組めば?」と言うので、自分の曲を思い描いて黙ってしまった。チューバはOKだけど、全曲シンバルというのは考えられない。好きだけど。あちらのヒゲ男と一緒というのは楽しそうだけど、雇える財力はないよ。ピン・ポイントな話しかしないのが楽しかった。あとは黙々と作業する。

ここ2ヶ月間に行ったところ・・・はほとんど忘れてしまったけれど、印象に残ったものを書く。
●古い知人の吉岡さんの個展「吉岡宣孝/汎風景」展(パノラマ写真/サウンドスケープ)、表参道トキアートスペース。静かに、でもしっかりと自らの存在を主張していて、その佇まいが美しいと思いました。人間は、そのように謙虚でなければいけないなあ、と思いました。

●円盤ジャンボリー(出演者でしたが、ほかのがおもしろかった)で見た紙芝居。語り口がセクシーでデカダンでよかった。身体に花が咲くという話はヴィアンの小説のようだと思ったけれど、わたしも胸が苦しくなると(紙芝居の中では快楽によって花が咲くのだけど)肺の中に花が咲き乱れているのではないかと思うことがあり、調度下絵でそんなものを描いていたので「あっ」と思った。倉知さんが出番前ににじり寄ってきて、実は最近初めて個展をやったものの、凄く大変だったと話すのだけど、あんだけギターがうまけりゃ個展なんかどうでもいいじゃないか、と思ってしまった。ジョン&小春も上都&船戸もしみじみよかった。岸野さんのは映像がパリ仕様で素敵だった。日本の昔の女優さんが半端じゃなく美しく、アヌーク・エーメみたいな人ばかりだった。しかし、一番よかったのはホライズン宅配便・・・だったか配達便だった。思わずCDを購入。

●「横尾忠則/冒険王」展。世田谷美術館。思えば、最初にイラストレーションを意識したのはこの人だった。時代時代でどれだけ影響を受けたかわからない。色指定というデザインの方法もこの人のを見て知ったような記憶がある。すばらしいのはやはりその筆力だろうと思う。こういった天才と比較しちゃいけないけれど、わたしと同じく妄想の具現化をやりつづけている人だと思う。わたしと違うのは、圧倒的筆力があるから、それで済まされているところだ。大きなキャンバスに次々と描かれる「あ〜〜〜〜ッ!!!」という意識の表現がリアルだ。喜怒哀楽の「あ〜〜〜〜ッ!!!」の表現があんだけ描けたら、もしかしたらわたしも他のことしないかもしれない、と思った。妄想の表現という点と、その線の美しさ潔さで好きなのは、横尾とピカビアとシュヴァンクマイエルだ。偏執狂的にキリキリと丹念に自分の見たい線を描き込む。見たい線なのだと思う。見える線と見たい線とは違うと思う。結局ヒトは見たいものしか見てないのではないか??と思ったりする。線が好きだ。横尾のこってりしたアクリル画からも美しい流れの線が見える。

●都内じゃないけど、三渓園。友人と3人でドライブ。写真がブログの方にupしてあります。http://eggdays.exblog.jp/m2008-05-01
本当に素敵なところでした。帰りは元町近くのギャラリーと、中華街での食事とガールズトーク。ユーミンじゃないけど、女友達はいいもんですよ。この日のキーワードは「農耕民族」と「禅問答』だった。

●「季節のしたく」展。ギャラリーFIRSTLIGHT。アクセサリーや洋服のグループ展に、帽子作家のかとうひろみさんが参加してたのでした。これについては、楽しい再会などあって、かとうさんのブログとギャラリーオーナーの水越さんのブログで読めます。偶然の再会で楽しかったです。帽子と靴が好きなので、いろいろ被って、これまた嬉しかった。

●「品川区中学生/音楽鑑賞会』五反田ゆうぽうと。神奈川フィル、指揮/現田茂夫、テノール/志田雄啓で。モーツアルト「フィガロの結婚序曲」、ベートーヴェン『運命』、ナポリ民謡』『オー・ソレ・ミオ』、マスカーニ『カヴァレリア・ルスティカーナ』間奏曲、プッチーニ『トゥーランドットより誰も寝てはならぬ』、シベリウス「フィンランディア」、アンコールで「スターウォーズ』を。子どもの音楽の授業だけれど親も無料で行けるというので行って来た。オーケストラはなかなか普段見られないから嬉しい。『誰も寝てはならぬ』は例の荒川静香で有名になってしまったアレ。中学生が寝てしまわないようにキャッチーなものが多かったけれど、個人的には『カヴァレリア・ルスティカーナ』間奏曲が聞けたのがよかった。「フィンランディア」は、若い頃に、フィンランドのログハウスメーカーが晴海の見本市に出展した時に、映像に音楽をつける仕事をして、その関係で光栄なことに大使館主催の演奏会に招待してもらい、新宿厚生年金でフィンランドのF1レーサーと一緒に聞いた。地味だけれど、交響詩というだけあって、風景が見えてくるようでいい曲だと思った。知ってるお母さんは一人しか来てなかった。もったいない。五反田に、杏仁豆腐のおいしい店があり、そこにそのお母さんを誘って行った。プリンのように柔らかい杏仁豆腐で、ブルーベリーソースがかかっている。

●『オールドノリタケ』展。庭園美術館。 ノリタケとは『則武』と書く。則天武后を思い出してゾッとしてしまったが、関係ないことを祈る。地名也。陶磁器が好きだし、洋食器が好きだ。ノリタケのガーランド(という花の装飾模様がある)のついたオーソドクスなティーセットを持っている。アンティークではないけれど昭和な匂いがして好きだ。大正、昭和にかけて急激に完成度が高くなるのは、西洋料理の普及によるのだということがわかり、おもしろかった。当時の婦人雑誌や料理本も飾ってあり、現在よりももっと西洋の食生活の原風景が忍ばれるのでおもしろい。なんといっても、あの英国の『クリスマスプディング』が、普通に「クリスマスの食卓」として紹介されているのだ。文化は淘汰されて行くもので、そうなるとレベルは均等に上がるだろうけれども、コアなものが削ぎ落とされてつまらない、という事も言える。淘汰されたものを味わって訳知り顔でいる人よりも、バカにされながらも新しいものに手をつける人の方がやっぱりおもしろい。5月の砧公園と6月の庭園美術館と、どちらも庭がくつろげて好き。両日とも天気の良い日に行ったので、しばし休憩したりして植物を眺め、空を見た。

●『ナンシー関/消しゴム版画展』渋谷パルコ6F。週刊誌にずっと連載されていたテレビのコラムがおかしくて仕方なくて、ずっと読んでいた。行くまで知らなかったけれど、法政大学出身だったそうで、急に親近感が増してしまった。まったく惜しい人だった・・・・。現物はとてもきれいだった。部屋の様子もきれいで、わたしが思っていたような乱雑な感じとはほど遠いのでした。ごめんなさい。あのカッター使い、天才的であります。いつまでも文化財として保存されますように。わたしの前にナンシー関さんにそっくりな人がいて、親戚だろうか?と思ってチラチラ見ていたら、そこに名曲「メリージェ〜〜〜ン〜〜〜」の、あのドラマーTさんがやってきた。ご家族のようだった。ビックリ。ソックリ。ソックリ。ビックリ。ややこしやぁ。Tさんのお兄さんの漫画もわたしは好きだ。弟さんのリュートも好きだ(今も良く聞く)。兄弟全員好き。

来週は大岩オスカール展に行く予定。とある上映があって、それが見たいので、その上映日に行く。


楽器を2つ手に入れた。
一つはかわいいアコースティックギターで、フレットを改造中。もうひとつは古楽器。といってもそんなに古くない。これは、急に欲しくなってしまったもので、あまり日本では手に入りにくいものだったのだけど、幸い知人にリュート制作者がいて、もしかしたら・・・と聞いてみたところ、使ってないその「ブツ」があり、貸してくれるという。『Bronze & Willow」をお礼に差し上げて、それと引き換えに半永久的に借りることにしてしまった。 何故この楽器が欲しくなったかというと、1曲それにピッタリの曲が浮かんだからで、絵を描きながら早く演奏したいなあ、と思ってしまったのだった。ところで、この楽器はチューニングが単純で、もしかしたらこの曲に合わないじゃん・・・・と懸念中。やっぱりギターの方がよさそう。これはこれでまた曲を考えることにしよう。この楽器を手に入れたことを話した人(2人いる)!言わないでね。演奏できなかったら恥ずかしいから。

文章と版画と膨大な量を書いている。 文章の方はそろそろ終わる。版画はまだまだつづく。


◆2008年6月10日(tue) 帽子

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帽子作家のかとうひろみさんの帽子です。大森のギャラリー『FIRSTLIGHT』の展覧会で。
可憐な作品の一つ。早野凡平的ナース帽・・・のようなアーティスティックな帽子です。

2月のこのギャラリーでの個展の際に、ギャラリーのオーナーの水越さんとお客さんで来てくれたかとうさんが、偶然昔同じ色彩教室で学んだ友人であったことが発覚。すばらしい仕事をされているお二人のキューピット役をさせてもらって、とても光栄でした。
そして、あれよあれよという間に今回のグループ展ということになったようなのでした。嬉しい。

わたしは早野凡平大好きでした。この写真の帽子は輪っかを半分に折った形をアレンジしていて、水色の小さな花が立体的にたくさん飾られています。

夏まではおしゃれな帽子を被ってでかけることもないと思ったので、秋用の帽子をオーダーしました。どんな帽子ができあがってくるのかなあ・・・・。と想いを馳せながら過ごすことにした。

 









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